近くに住むLarry 君の次男のJason 君はフィッシング用のボートを持っているので、家でLinda さんとMargie さんが女どおしのおしゃべりをしている間に、私とLarry 君は3人で昨年も釣りをした近くのBlailock 湖に魚釣りに行きました。Jason 君がガソリンのモーター(25馬力)を操作し、Larry 君が電気モーターを操作し、バス(ブラックバス)がいそうなところに疑似餌(私は底に沈むプラスチック製ミミズ、Jason 君は水面から少し沈む各種の疑似餌)を投げました。私の疑似餌にかなりの大きさ(多分2ポンド=0.9Kg くらい)のバスが食いつきましたが、安全ピンを外して針を刺し込ませる前に水面上にジャンプして疑似餌を吐き出して逃げられてしまいました。従って釣果はゼロでしたが、大きな湖でボートを走らせて、周りの美しい景色を眺めながら釣りをするのは最高の気分でした。
午後からはTate 牧場内の池に行って釣りをし、ここでは1.5ポンドくらいのバスを1尾だけ釣り上げました。Jason 君はハンティングとフィッシングが趣味ですが、2年くらい前に奥さんに逃げられて、まだ立ち直れていないようでした。あきらめて別の女性とデートをするように皆が紹介しても、逃げていった前の奥さんのことが忘れられないうちは、その気になれずに駄目なようでした。居間にはハンティングで仕留めた雄鹿の頭部の剥製がたくさん飾ってありました。
夕食にLinda さんが今日私が釣ったバスと、以前からLarry 君が釣って冷凍してあったブルーギルを料理して食べさせてくれました。デザートにはとろけるように美味しかった手製のバナナプディングを出してくれました。
2012年9月30日日曜日
2012年9月29日土曜日
昨夜から雨が降り出しましたが、昼頃モーテルを出発して、サウスカロライナ州ギャフニィ市に向かいました。途中どしゃぶりの区間があって前方がよく見えなくなったので、事故にならないように慎重に運転しました。1回だけガソリンを入れる時に休憩しただけで、夕方5時半頃Larry Tate 博士の家に着きました。森に囲まれた325エーカーの土地は、奴隷のいた昔は一面の綿畑だったようですが、今は広大な牛の牧場と松林が中心です。
今年は子牛の値段がよくて、1頭平均800 ドルで30頭(計2400 ドル)売ったそうですが、牧草を育てる肥料代や冬の間補給する飼料代などの支出があるので、その中の40%くらいが手取り収入になるとのこと。今年は松の木もパルプの原料として売って同じくらいの売り上げがあったそうですが、こちらはほっておくだけで支出はないけど、木が育つまで何年もかかるので1年当たりの収入にすると僅かにしかならないとのことでした。
牛の他に卵を採る鶏と、ペットとしてのウサギと馬3頭を放し飼いにしています。アンティーク(古い物)が好きで、家の中には年代もののミシンやカンナ、庭には馬に引かせてトウモロコシの茎を刈る昔の機械が飾ってあり、バルコニーの床下には集めた動物の骨が置いてありました。
Larry 君と奥さんのLinda さんが待っていてくれて、夕食をご馳走になりながらいろいろな話をしました。ちょうどLinda さんのいとこのMaton Smith 氏が仕事の都合で訪ねて来ていましたが、アラバマ州のモービル市出身で、独特の訛りのある英語で話していました。Larry 君の家にはゲストルームは一つしかないので、同行したMargie さんがそこで寝て、夫婦の寝室のベッドを私に提供し、Larry 君とLinda さんは居間のソファーベッドで寝ました。Maton 氏は近くの娘の家に泊まらせていました。アメリカ南部の田舎には、来客を大事にする昔の習慣がまだそのまま残っています。
今年は子牛の値段がよくて、1頭平均800 ドルで30頭(計2400 ドル)売ったそうですが、牧草を育てる肥料代や冬の間補給する飼料代などの支出があるので、その中の40%くらいが手取り収入になるとのこと。今年は松の木もパルプの原料として売って同じくらいの売り上げがあったそうですが、こちらはほっておくだけで支出はないけど、木が育つまで何年もかかるので1年当たりの収入にすると僅かにしかならないとのことでした。
牛の他に卵を採る鶏と、ペットとしてのウサギと馬3頭を放し飼いにしています。アンティーク(古い物)が好きで、家の中には年代もののミシンやカンナ、庭には馬に引かせてトウモロコシの茎を刈る昔の機械が飾ってあり、バルコニーの床下には集めた動物の骨が置いてありました。
Larry 君と奥さんのLinda さんが待っていてくれて、夕食をご馳走になりながらいろいろな話をしました。ちょうどLinda さんのいとこのMaton Smith 氏が仕事の都合で訪ねて来ていましたが、アラバマ州のモービル市出身で、独特の訛りのある英語で話していました。Larry 君の家にはゲストルームは一つしかないので、同行したMargie さんがそこで寝て、夫婦の寝室のベッドを私に提供し、Larry 君とLinda さんは居間のソファーベッドで寝ました。Maton 氏は近くの娘の家に泊まらせていました。アメリカ南部の田舎には、来客を大事にする昔の習慣がまだそのまま残っています。
2012年9月28日金曜日
時差ボケが少しは体調に影響しているのか、昨日いつもの倍ジョギングした疲れが残っているのかはわかりませんが、少し体が重かったのでモーテルの近くのRegency 公園の池の周りを2周だけ歩いてきました。それでも汗を一杯かいたので、シャワーを浴びたら元気がでてきました。
Bill 君に電話をして彼の住んでいるアパートに行き(部屋が散らかっているというので、恥を掻かせないように部屋には入らずに)、彼がいつも食事に行く中国人がやっている大衆的レストランで昼食を食べました。
それから、昨年行って答礼人形として日本からアメリカに贈られた日本人形が展示してあるのを見つけたNorth Carolina Musium of Natural Science(ノースカロライナ自然科学博物館)に一緒に行きました。ミス香川という名前が付いた日本人形がどこにあるか受付で訊いたら、2階の奥の部屋にあるというので行きました。何回見ても、実に見事な美しい人形です。ラベルも一緒に写真を撮りました。
受付に戻って、何故日本人形がすぐ隣にあるNorth Carolina Museum of History (ノースカロライナ歴史博物館)にではなく自然科学博物館に展示してあるのかと訊いたら、皆不思議だと言いながら誰も答えられませんでした。この博物館は元はNorth Carolina Museum of Natural History という名前だったのが、North Carolina Museum of Natural Science とNorth Carolina Museum of History の2つに分離された時に、どういう訳か歴史博物館に行かずに自然科学博物館に残ったということのようです。こういう会話をしている中で、実は地下の図書館に別の日本人形があるということがわかったので、特別中に入れてもらって見てきました。りっぱな市松人形と雛人形があり、初めはMiss Kagawa とは無関係に集めたものかと思いましたが、側にあった壁掛け人形に「香川県親善人形の会」というサインがあったので、全部セットで香川県からアメリカに贈られたものだとわかりました。
今から85年も前に、アメリカから日本の子供たちにアメリカ人形が贈られたお返しに、日本からアメリカに贈った答礼人形のひとつMiss Kagawa(香川)がノースカロライナ州に届けられ、戦争中も展示され続け、今も展示され続けられていることを香川県の関係者が知ったら、驚くのではないかと思います。
夕方はMargie さんの娘のSarah ちゃん・Scott 君夫妻の3週間前に引っ越したばかりの家によばれて、グリルで焼いたハンバーガーとホットドッグの夕食をご馳走になりました。Sarah ちゃんは生まれたばかりの時から知っていますが、大学生時代からScott 君と同棲し、ついに今年の3月に結婚しました。結婚式はローリー市でやって、新婚旅行はジャマイカに行ったそうで、写真をたくさんもらいました。
今年の10月14日~19日にスリランカのコロンボで開かれる農薬登録に関する会議に出て討議に参加してほしいという依頼のメールが届きました。旅費、滞在費、謝礼も全部出してくれるという条件なので、スリランカには行ったことがないので魅力はあったのですが、私の日本への帰国は10月15日で日程的に無理なので、断りの返信をしておきました。
信濃毎日新聞の記者から連絡があり、松くい虫防除の薬剤散布に関する記事は、田畑博士の見解が9月28日、私の見解が9月29日の紙上に掲載されるとのことでした。
明日はサウスカロライナ州で牧場をやっているLarry Tate 博士(昔の研究室の仲間、フィッシングの先生、空手の弟子)の家を訪ねて2泊してくる予定です。車で何時間もかかるところなので、Margie さんも同行します。携帯電話の電波が届かないところですし、以前奥さんにせっかく来たのだからパソコンの画面に向かわずに自分と話をしてほしいと言われましたので、パソコンはモーテルに置いていくことにしました。ブログの更新は帰ってきてからにします。
Bill 君に電話をして彼の住んでいるアパートに行き(部屋が散らかっているというので、恥を掻かせないように部屋には入らずに)、彼がいつも食事に行く中国人がやっている大衆的レストランで昼食を食べました。
それから、昨年行って答礼人形として日本からアメリカに贈られた日本人形が展示してあるのを見つけたNorth Carolina Musium of Natural Science(ノースカロライナ自然科学博物館)に一緒に行きました。ミス香川という名前が付いた日本人形がどこにあるか受付で訊いたら、2階の奥の部屋にあるというので行きました。何回見ても、実に見事な美しい人形です。ラベルも一緒に写真を撮りました。
受付に戻って、何故日本人形がすぐ隣にあるNorth Carolina Museum of History (ノースカロライナ歴史博物館)にではなく自然科学博物館に展示してあるのかと訊いたら、皆不思議だと言いながら誰も答えられませんでした。この博物館は元はNorth Carolina Museum of Natural History という名前だったのが、North Carolina Museum of Natural Science とNorth Carolina Museum of History の2つに分離された時に、どういう訳か歴史博物館に行かずに自然科学博物館に残ったということのようです。こういう会話をしている中で、実は地下の図書館に別の日本人形があるということがわかったので、特別中に入れてもらって見てきました。りっぱな市松人形と雛人形があり、初めはMiss Kagawa とは無関係に集めたものかと思いましたが、側にあった壁掛け人形に「香川県親善人形の会」というサインがあったので、全部セットで香川県からアメリカに贈られたものだとわかりました。
今から85年も前に、アメリカから日本の子供たちにアメリカ人形が贈られたお返しに、日本からアメリカに贈った答礼人形のひとつMiss Kagawa(香川)がノースカロライナ州に届けられ、戦争中も展示され続け、今も展示され続けられていることを香川県の関係者が知ったら、驚くのではないかと思います。
夕方はMargie さんの娘のSarah ちゃん・Scott 君夫妻の3週間前に引っ越したばかりの家によばれて、グリルで焼いたハンバーガーとホットドッグの夕食をご馳走になりました。Sarah ちゃんは生まれたばかりの時から知っていますが、大学生時代からScott 君と同棲し、ついに今年の3月に結婚しました。結婚式はローリー市でやって、新婚旅行はジャマイカに行ったそうで、写真をたくさんもらいました。
今年の10月14日~19日にスリランカのコロンボで開かれる農薬登録に関する会議に出て討議に参加してほしいという依頼のメールが届きました。旅費、滞在費、謝礼も全部出してくれるという条件なので、スリランカには行ったことがないので魅力はあったのですが、私の日本への帰国は10月15日で日程的に無理なので、断りの返信をしておきました。
信濃毎日新聞の記者から連絡があり、松くい虫防除の薬剤散布に関する記事は、田畑博士の見解が9月28日、私の見解が9月29日の紙上に掲載されるとのことでした。
明日はサウスカロライナ州で牧場をやっているLarry Tate 博士(昔の研究室の仲間、フィッシングの先生、空手の弟子)の家を訪ねて2泊してくる予定です。車で何時間もかかるところなので、Margie さんも同行します。携帯電話の電波が届かないところですし、以前奥さんにせっかく来たのだからパソコンの画面に向かわずに自分と話をしてほしいと言われましたので、パソコンはモーテルに置いていくことにしました。ブログの更新は帰ってきてからにします。
Miss Kagawa
1928. Miss Kagawa, one of 58 doll ambassadors of goodwill given by Japan to places in the United States is received by North Carolina as a symbol of peace and friendship. She is the only Japanese Friendship Doll remain on display through World War II. (ミス香川 1928年 ミス香川は日本からアメリカに贈られた58組の親善大使人形の一つで、ノースカロライナが平和と友情のシンボルとして受け取ったものです。ミス香川は第二次世界大戦中も展示され続けた唯一の人形です。)
“WHOM THE GODS WOULD DESTROY THEY FIRST MAKE MAD”
The Japanese made an insane attack upon The American Territory of Hawaii on December 7, 1941.
With a grim determination we now are committed to stop for all time Japanese aggression. This has no bloodthirsty implications to destroy peoples as such. We still believe in peace and good-will, to live and let live.
Men, women, and children of Japan have this good-will but they have now been dominated by ruthless leaders. Proof of such latent good-will are the Friendship Doll Exhibits exchanged between children of the United States and Japan during 1926 and 1927 and shown as here in Museums in both countries.
(Miss Kagawa’s label c. 1941)
(日本は1941年12月7日にアメリカ領ハワイに狂気の攻撃をした。断固とした決心で我々は日本の不当な攻撃を止めさせる決意である。このことは日本の国民を残虐に破壊するという意味ではない。我々は今でも自己が生き他者も生きるために、平和と親善を信じる。日本の男たち、女たち、子供たちはこの親善友好の意志をもっているが、彼らは今冷酷無慈悲なリーダーたちに支配されている。そのような親善友好の最近の証拠は、ここで見られるように、アメリカと日本の間で1926年-1927年に友好人形展示会が両国の博物館で開催されたことである。 1941年のミス香川のラベル)
2012年9月27日木曜日
昨日Buck Grissom 博士に依頼しておいた西ナイルウィルス防除で散布する殺虫剤の環境影響と健康影響に関する文献が早速たくさん届いたので、目を通しています。予想した以上に多数の殺虫剤(有機リン剤、合成ピレスロイド剤、IGR=昆虫成長制御剤、殺虫協力剤)が認可されています。蚊に刺されてウィルスに罹ること(死者もでている)による経済的被害と、散布された殺虫剤に暴露することで起こる可能性のある健康影響の経済的被害を比較して、前者の方がはるかに大きいという解析をしている論文もあります。殺虫剤による健康影響について、ゼロリスクではなく、「unreasonable health risk (不合理な健康リスク→許容できない健康リスク?)はない」という表現をしているところはアメリカ的だなと思います。
昨日はジョギングできなかったので、モーテルの部屋でいつものように準備体操やストレッチングやハンドウェイトを使った筋力トレーニングをしてから、Johnson 湖に出かけて今日は倍の2周9.6Km/1h24min 、ゆっくり走りました。モーテルに帰ってきてシャワーを浴びてから、貯まっている洗濯物をラウンドリールーム(洗濯室)で全部洗濯して乾燥しました。洗濯機を回すのに2 ドル、乾燥機を回すのに2 ドルかかります。
冷蔵庫の中が空っぽに近いので近くのスーパーに買い物に行こうかと思っていたら、Margie さんが果物や野菜やチキンやコーヒーなどを買ってきて、夕食を作ってくれました。一緒に食べた後で、友人達に電話をして週末に訪問する打合せをしました。
昨日はジョギングできなかったので、モーテルの部屋でいつものように準備体操やストレッチングやハンドウェイトを使った筋力トレーニングをしてから、Johnson 湖に出かけて今日は倍の2周9.6Km/1h24min 、ゆっくり走りました。モーテルに帰ってきてシャワーを浴びてから、貯まっている洗濯物をラウンドリールーム(洗濯室)で全部洗濯して乾燥しました。洗濯機を回すのに2 ドル、乾燥機を回すのに2 ドルかかります。
冷蔵庫の中が空っぽに近いので近くのスーパーに買い物に行こうかと思っていたら、Margie さんが果物や野菜やチキンやコーヒーなどを買ってきて、夕食を作ってくれました。一緒に食べた後で、友人達に電話をして週末に訪問する打合せをしました。
2012年9月26日水曜日
こちらは今日も気持のいい秋晴れの一日でした。RTP(Research Triangle Park)と呼ばれる研究学園都市にあるNIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences 国立環境健康研究所)に勤務している友人のBuck Grissom 博士を訪ねました。1982~1983年に私がノースカロライナ州立大学で客員教授をしていた時に、私の研究室のゼミにポストドク(博士研究員)として参加していた人です。昼食はいつもどうするのかと電話で訊いたら、家からサンドイッチを持ってきてオフィスで食べるというので、私もファーストフーード店に寄ってチキンとフレンチフライ(フライドポテト)とサラダと飲み物を買って持っていって、一緒に食べることにしました。
彼のオフィスが入っているビルは空港と同じように入り口に厳しいセキュリティチェックがあります。受付で彼を呼んでもらって、一緒にエレベーターに乗りました。
MCS(Multiple Chemical Sensitivity 化学物質過敏症)について、その後どれだけ研究が進んだか机上のパソコンで検索してもらったら、膨大な文献がでてきたので、論文タイトルとアブストラクト(摘要)に目を通して、重要そうな論文をいくつか選んで私のメールアドレスに転送してもらいました。日本も国立感染症研究所あたりではそういう仕組みになっているのかもしれませんが、特定のキーワードを入力して論文を検索して、アブストラクトや論文全体をすぐ読んだりハードコピーがとれるというのは便利で、情報技術の発達はたいしたものです。
久し振りに会ったので、研究以外の分野でもいろいろな話題についておしゃべりをしました。太平洋戦争は、日本の侵略戦争で日本が真珠湾攻撃を仕掛けたことで始まったことになっているが、本当はアメリカ側がそうさせた(輸入に頼っていた日本の石油の供給を止めて)のではないかと思うがどう思うかと訊いてきました。第二次世界大戦は戦勝国側にとっては正義の戦争となっているが、実際はヨーロッパの国々(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど)が先にアフリカやアジアや中南米を侵略して植民地化して、遅れて発展してきたドイツや日本が植民地を求めて衝突した経済戦争だったのではないかという私の意見を伝えました。ニュールンベルグ裁判にしても、東京裁判にしても、結局は戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、国というのはいつの時代でも自分に都合のよいことしか国民に伝えないという点で意見が一致しました。
彼の家族はジョージア州のアトランタに住んでいて、奥さんはイタリア系の女性でPhysical Therapist (物理療法士)として働いているが、潔癖症で彼が毎日下着を変えないと怒るのでやりきれないと奥さんの悪口を披瀝し始めました。私の妻も全く同じだよと言って、この点(そういう奥さんを持った男の苦労?)でも意見が一致しました。本当はそういう奥さんに感謝しているくせに、国を問わず男は勝手なものです。
彼は69才なので私とほとんど同じ年代ですが、現在の仕事に飽きて(疲れて?)、10月1日付けで退職するとのことでした。
先日取材を受けた信濃毎日新聞の松枯れに関する記事は9月27日の朝刊に掲載されるとのことです。日本から時々電話がありますが、私がアメリカに来ていることを知らない場合が多く、時差(マイナス13時間)の関係で真夜中になるので携帯電話はマナーモードにして寝ることにしています。知っている方は、こちらの朝か夜の早い時間になるように選んでかけて下さっているようです。
彼のオフィスが入っているビルは空港と同じように入り口に厳しいセキュリティチェックがあります。受付で彼を呼んでもらって、一緒にエレベーターに乗りました。
MCS(Multiple Chemical Sensitivity 化学物質過敏症)について、その後どれだけ研究が進んだか机上のパソコンで検索してもらったら、膨大な文献がでてきたので、論文タイトルとアブストラクト(摘要)に目を通して、重要そうな論文をいくつか選んで私のメールアドレスに転送してもらいました。日本も国立感染症研究所あたりではそういう仕組みになっているのかもしれませんが、特定のキーワードを入力して論文を検索して、アブストラクトや論文全体をすぐ読んだりハードコピーがとれるというのは便利で、情報技術の発達はたいしたものです。
久し振りに会ったので、研究以外の分野でもいろいろな話題についておしゃべりをしました。太平洋戦争は、日本の侵略戦争で日本が真珠湾攻撃を仕掛けたことで始まったことになっているが、本当はアメリカ側がそうさせた(輸入に頼っていた日本の石油の供給を止めて)のではないかと思うがどう思うかと訊いてきました。第二次世界大戦は戦勝国側にとっては正義の戦争となっているが、実際はヨーロッパの国々(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど)が先にアフリカやアジアや中南米を侵略して植民地化して、遅れて発展してきたドイツや日本が植民地を求めて衝突した経済戦争だったのではないかという私の意見を伝えました。ニュールンベルグ裁判にしても、東京裁判にしても、結局は戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、国というのはいつの時代でも自分に都合のよいことしか国民に伝えないという点で意見が一致しました。
彼の家族はジョージア州のアトランタに住んでいて、奥さんはイタリア系の女性でPhysical Therapist (物理療法士)として働いているが、潔癖症で彼が毎日下着を変えないと怒るのでやりきれないと奥さんの悪口を披瀝し始めました。私の妻も全く同じだよと言って、この点(そういう奥さんを持った男の苦労?)でも意見が一致しました。本当はそういう奥さんに感謝しているくせに、国を問わず男は勝手なものです。
彼は69才なので私とほとんど同じ年代ですが、現在の仕事に飽きて(疲れて?)、10月1日付けで退職するとのことでした。
先日取材を受けた信濃毎日新聞の松枯れに関する記事は9月27日の朝刊に掲載されるとのことです。日本から時々電話がありますが、私がアメリカに来ていることを知らない場合が多く、時差(マイナス13時間)の関係で真夜中になるので携帯電話はマナーモードにして寝ることにしています。知っている方は、こちらの朝か夜の早い時間になるように選んでかけて下さっているようです。
2012年9月25日火曜日
午前中にノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)のMichael Roe 教授を予告なしで訪ねたら、あいにくメインキャンパス(今は大学の拡張で3つのキャンパスに分散している)での会議に出かけて研究室にはいないとのことでした。ただ挨拶に寄っただけなので、また出直すことにしました。数人の大学院生が対応してくれて、私のことを知っていたので、私は1982年に客員教授として毒性学科に来ていたと話したら、自分はその時は2才でしたと言われていかに時間が経過し、自分が歳(とし)をとったかを認識しました。
午後4時半からは作物学科での佐藤 卓(すぐる)君の講義を聴講することになっていたので、昼休みにいつものJohnson 湖で先にジョギングしてきました。少しずつペースが上がってきて、今日は1周4.8Kmを35分で走れました。
駐車場が確保できるか不安だったので3時半過ぎに大学(メインキャンパス)に行って、久し振りに学内を散歩しました。新しい建物が次々に建って、空き地がほとんどなくなっていました。昔、私の研究室があったGardner Hall という4階建ての建物は別の名前に変わっていましたが、あの4階の角に位置していた研究室で必死になって毎日夜中まで研究に打ち込んでいた若い時代を思い出しながら、しばらく眺めていました。図書館の横や、研究棟の裏や、あちこちのちょっとした広場に学生の憩いの場が設けられていて、学生たちが本を読んだり、仲間と語らったり、ブランコを揺らしながら瞑想に耽ったりしていました。
佐藤君がゲストスピーカーとして担当した講義は、作物学(Crop Science)専攻の1年生対象の最初のセメスター(学期)の「Global Sustainable Human Development」(地球の持続可能な人間の発展)という講義で、「The Role of Science, Technology and Regulation in Global Food Production and International Trade」(地球の食料生産と国際貿易における科学、技術、規制の役割)というタイトルで5時半まで英語で講義をし、30分くらい質疑応答をしていました。世界の人口増加に対応した食料増産の必要性と、遺伝子組み換え作物(GMO)の役割について論理的に話をし、説得力がありました。
18人の学生が受講していましたが、大学1年生というのはこんなにも若々しかったのかという印象を受けました。日本でもアメリカでもそうですが、学生たちの生き生きした姿を見ると、しっかり勉強して世界の未来を切り開いて築いてほしいという願いとともに、宗教問題や、人種問題や、国境問題などで、個人の自由がなくなるような時代にならなければいいがと思ってしまいます。
夕方には、Margieさんがモーテルに来て夕食を作ってくれて、一緒に食べました。
午後4時半からは作物学科での佐藤 卓(すぐる)君の講義を聴講することになっていたので、昼休みにいつものJohnson 湖で先にジョギングしてきました。少しずつペースが上がってきて、今日は1周4.8Kmを35分で走れました。
駐車場が確保できるか不安だったので3時半過ぎに大学(メインキャンパス)に行って、久し振りに学内を散歩しました。新しい建物が次々に建って、空き地がほとんどなくなっていました。昔、私の研究室があったGardner Hall という4階建ての建物は別の名前に変わっていましたが、あの4階の角に位置していた研究室で必死になって毎日夜中まで研究に打ち込んでいた若い時代を思い出しながら、しばらく眺めていました。図書館の横や、研究棟の裏や、あちこちのちょっとした広場に学生の憩いの場が設けられていて、学生たちが本を読んだり、仲間と語らったり、ブランコを揺らしながら瞑想に耽ったりしていました。
佐藤君がゲストスピーカーとして担当した講義は、作物学(Crop Science)専攻の1年生対象の最初のセメスター(学期)の「Global Sustainable Human Development」(地球の持続可能な人間の発展)という講義で、「The Role of Science, Technology and Regulation in Global Food Production and International Trade」(地球の食料生産と国際貿易における科学、技術、規制の役割)というタイトルで5時半まで英語で講義をし、30分くらい質疑応答をしていました。世界の人口増加に対応した食料増産の必要性と、遺伝子組み換え作物(GMO)の役割について論理的に話をし、説得力がありました。
18人の学生が受講していましたが、大学1年生というのはこんなにも若々しかったのかという印象を受けました。日本でもアメリカでもそうですが、学生たちの生き生きした姿を見ると、しっかり勉強して世界の未来を切り開いて築いてほしいという願いとともに、宗教問題や、人種問題や、国境問題などで、個人の自由がなくなるような時代にならなければいいがと思ってしまいます。
夕方には、Margieさんがモーテルに来て夕食を作ってくれて、一緒に食べました。
2012年9月24日月曜日
(日本にいるコンピューターに詳しい元学生にどうしたらブログの記事更新ができるかメールで問い合わせて、いろいろやってみましたが、結局「Internet Explorer 8」をダウンロードしてインストールしたら、いつもと同じ書き込める画面がでてきました。私が使っているノートパソコンが古い機種なので、モーテルが設備したWiFiに対応できなかったのかもしれません。)
朝、モーテルの近くの池にTシャツとジーパンで散歩にいったら、肌寒くて長袖シャツを着るべきだったと後悔しました。野鳥と池の縁を泳ぐ小魚と水面から顔を出している亀と、ジョギングや散歩をしている人にたまに行き交う以外は、静かな環境で、小さな草花や大きな木々にも目がとまります。
朝、モーテルの近くの池にTシャツとジーパンで散歩にいったら、肌寒くて長袖シャツを着るべきだったと後悔しました。野鳥と池の縁を泳ぐ小魚と水面から顔を出している亀と、ジョギングや散歩をしている人にたまに行き交う以外は、静かな環境で、小さな草花や大きな木々にも目がとまります。
昼はBill君とMargieさんと弁護士のEverrette君とイタリヤレストランで待ち合わせをして、昼食を一緒にしました。簡単なサンドイッチやスパゲッティなので一人$6.50や$7.50程度でしたが、Everrette君が最初にThis is my treat.(これは私のおごりです)と言って、全員の食事代を出してくれました。私が1年ぶりに訪れたので、歓迎の意味が込められています。
Bill君はこの数年通っているキリスト教会の教えにすっかり心酔して、いわゆるファンダメンタリスト(教条主義者?)のようなことを言うので、Everrette君と食事の間中議論をしていました。Everrette君は南部のジョージア州で育ちましたが、子供(13才)の頃、学校のクラスでワシントンDCの博物館に行ったら、発育段階ごとの人間の胎児が瓶詰めして展示してあり、発育途中までは魚と同じ鰓(えら)が付いていたので、人間は神様が創ったと教えられ信じていたのに、何故正常な人間の胎児に鰓があるのかといろいろな人に訊いたけど誰も答えてくれなかったとのこと。つまり、聖書の言葉通り、人間は神が創ったアダムとイブを起源としているのか、生物の進化系統樹の一部なのかという難しい議論に入ってしまいました。
2012年9月23日日曜日
昨夜の夕食会の後、Margieさんがキッチンの後片付けをし、ごみをごみ袋に入れ、コーヒーメーカーにフィルターペーパーとコーヒーと水も入れて朝起きたらスイッチを入れるだけにしてくれました。皆がモーテルの部屋から去った後、ビールの影響もあってすぐ眠りました。朝は7時に起きて、シャワーを浴びてひげを剃った後で、コーヒーとベーグルと残り物のバーベキューとコールスローで朝食にしました。ここのモーテルは月曜~金曜は1階の食堂スペースでベーグルとコーヒーと果物(リンゴとバナナ)の朝食がでるのですが、今日は日曜なので自分の部屋で朝食をとりました。
ブログの記事の更新ができないので、今日もいろいろやってみましたがやっぱり駄目なので、コンピューターに詳しい元学生に私でも問題を解決できるか問い合わせのメールを送りました。中国のホテルと違って、ブログへのアクセスはすぐできるのですが、「投稿」をクリックしても書き込みができるいつもの画面がでてきません。仕方がないので、ワードに記事を書いておいて、ブログの記事の更新ができるようになったら転載することにしました。
2012年9月22日土曜日
自宅を朝7時過ぎに出て、電車で成田空港に向かいました。成田からWashington DCのダレス国際空港まで正味12時間半で着きました。時差ボケ防止で機内では映画などは観ないで、できりだけ眠るようにしています。2時間くらいの待ち時間でノースカロライナ州のローリー・ダーラム空港行きの飛行機に乗り換え、1時間くらいで着いたのは午後1時半頃(時差の関係で同じ日)でした。Margieさんと、Bill君と、Eugene君と奥さんのKimさんが迎えに来てくれていました。東京のアメリカ大使館に勤務している千葉大学卒業生の佐藤君もちょうど用事があってほとんど同じ時間帯に到着したので、全員で一緒にレンタカー会社に寄って、予約してあった私の車を借りました。全員で私のモーテルに集まって、その後Margieさんが佐藤君を彼のモーテルに送って行き、しばらくしてまた戻ってきました。新たにFrank君と奥さんのJoAnnさんがモーテルに到着し、アメリカ南部の典型的なバーベキューと豆の煮物、コールスロー(サラダ)、その他の野菜、ビールで再会を祝して夕食会をしました。Eugene君とKimさんは海岸のWilmingtonという町からわざわざ私に会いに来てくれました。昨年会った時はまだお付き合いしている段階でしたが、今年の5月にカリブ海の島(ドミニカ共和国)で結婚式を挙げたとのことでした。Kimさんはもう成人した前の結婚からの子供も孫もいるし、二人だけで田舎の教会で式をしたのだそうです。Kimさんは51才になってから医師になることを目指して勉強し、Residencyと呼ばれる研修も済んで医師(Family Doctor=家庭医)になっていました。二人とも人生の失敗にくよくよせずに、幸福を求めて新しい人生を切り開くたくましさはたいしたものです。
2012年9月21日金曜日
月刊「文藝春秋」誌の依頼で、埼玉県浦和高校の同期生5人が校門前に集まって写真撮影をしました。12月4日(?)に発売される号の、我ら同期生というようなコラムに掲載されるそうです。5人というのは、元日本サッカー協会会長(現埼玉県政アドバイザー)の犬飼基昭君、株式会社ヤオコーの会長の川野幸夫君、静岡大学防災総合センター特任教授・理学部客員教授の藤井直之君、深谷赤十字病院院長の諏訪敏一君、と東京農業大学客員教授の私です。撮影終了後、事務室に寄って校長先生にご挨拶をしてきました。
中には高校卒業以来50数年振りに初めて顔を合わせた人もいて、最初はお互いの認識もできませんでしたが、二次会で浦和ロイヤルパインズホテルに移って軽く一杯飲みながら夕食をしている中に、だんだん昔の面影と一致してきました。誰がどういう基準でこの5人を選んだのかはわかりませんが、文武両道をモットーとしていた当時の浦和高校で、3人は文を担当し、2人は武を担当していたなあという話になりました。全員70才ですから、すでに一線を退いた筈ですが、それぞれの道でまだ社会貢献をしています。
中には高校卒業以来50数年振りに初めて顔を合わせた人もいて、最初はお互いの認識もできませんでしたが、二次会で浦和ロイヤルパインズホテルに移って軽く一杯飲みながら夕食をしている中に、だんだん昔の面影と一致してきました。誰がどういう基準でこの5人を選んだのかはわかりませんが、文武両道をモットーとしていた当時の浦和高校で、3人は文を担当し、2人は武を担当していたなあという話になりました。全員70才ですから、すでに一線を退いた筈ですが、それぞれの道でまだ社会貢献をしています。
2012年9月20日木曜日
今ちょっと前に帰国し、シャワーを浴びて机に向かったところです。
北京で宿泊していたホテルでは、持参したパソコンを部屋のインタ^ネットに接続してすぐメールの送受信はできるようになったのですが、支援する会のブログへのアクセスは中国公安部の検閲でブロックされていて、記事の更新ができませんでした。支援者の何人かからはメールをいただいたのでその旨お伝えしましたが、その他の方々にはご心配をおかけしたことと思います。
部屋のテレビでNHKニュースを見られたので、北京を含めた多くの都市で反日デモが行われ、過激な破壊活動も行われていることは知っていましたが、宿泊しているホテルの周りや、国際会議場の周りではそのような動きは全くありませんでした。ただ、ホテルのすぐ裏にある日本料理店は営業を停止して、大きな看板の日本という字の部分を中国の国旗で隠していました。私は近くのオリンピック公園(鳥の巣スタジアムがある)に何回も散歩に行きましたが、念のため、外出する時はすぐ日本人とわからないように言動には気を付けて用心しました。
中国農業大学の助教授が空港まで車で迎えに来てくれ、今日もホテルから空港まで送ってくれました。大学のレストランで研究室の学生達も含めて2回も私の歓迎の夕食会をやってくれました。中国の人達は個人対個人では何の問題もなく、お互いに尊敬できるよき友人です。
写真もたくさん撮ったのですが、今夜はもう遅いのでおいおい少しだけでも紹介しようと思っています。
北京で宿泊していたホテルでは、持参したパソコンを部屋のインタ^ネットに接続してすぐメールの送受信はできるようになったのですが、支援する会のブログへのアクセスは中国公安部の検閲でブロックされていて、記事の更新ができませんでした。支援者の何人かからはメールをいただいたのでその旨お伝えしましたが、その他の方々にはご心配をおかけしたことと思います。
部屋のテレビでNHKニュースを見られたので、北京を含めた多くの都市で反日デモが行われ、過激な破壊活動も行われていることは知っていましたが、宿泊しているホテルの周りや、国際会議場の周りではそのような動きは全くありませんでした。ただ、ホテルのすぐ裏にある日本料理店は営業を停止して、大きな看板の日本という字の部分を中国の国旗で隠していました。私は近くのオリンピック公園(鳥の巣スタジアムがある)に何回も散歩に行きましたが、念のため、外出する時はすぐ日本人とわからないように言動には気を付けて用心しました。
中国農業大学の助教授が空港まで車で迎えに来てくれ、今日もホテルから空港まで送ってくれました。大学のレストランで研究室の学生達も含めて2回も私の歓迎の夕食会をやってくれました。中国の人達は個人対個人では何の問題もなく、お互いに尊敬できるよき友人です。
写真もたくさん撮ったのですが、今夜はもう遅いのでおいおい少しだけでも紹介しようと思っています。
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