2013年8月31日土曜日

国立感染症研究所に勤務している卒業生K君が送ってくれたトコジラミ(南京虫)に関する総説と最近NHKのクローズアップ現代で放送されたトコジラミ特集番組のDVDが届きました。防除方法は、殺虫剤散布の他に、物理的に吸い取ったり、加熱処理をしたり、蒸気加熱したり、いろいろ組み合わせて行われていますが、根絶するのはなかなか難しいようです。最近になって報告件数が増加している背景についてはいろいろな考察が行われていますが、終戦後防除に使われたDDT のような殺虫剤がなくなったことや、現在主流のピレスロイド剤に抵抗性が発達していることが関与しているようです。
アメリカでは探知犬を訓練によってトコジラミの成虫1匹、卵1個でも検知できるようになるとのこと。しかしやはり、生きた個体と死んだ個体を区別できない場合があるという問題も指摘されていました。

9月12日に高知県高知市で行われる農薬シンポジウムの主催者から、私の航空券が送ってきました。配布資料の督促の意味が含まれている筈ですので、明日なんとか頑張って仕上げようと思っています。

今日の運動は水元公園の中を2時間歩いてきました。夕方6時頃には太陽が沈み、いつの間にか少し日が短くなりつつあるような気がしました。捕虫網をもった子供たち4人が自転車で来て、池の縁で元気に遊んでいました。





2013年8月30日金曜日

9月4日に岩手県盛岡市で開催予定の松林防除実践講座での私の講演のパワーポイントスライドが仕上がったので、主催者に宅ファイル便で送りました。そろそろ心配して催促の電話があるだろうなと思っていたら、やはりありました。いつも欲張ってスライドが多過ぎて時間をオーバーしてしまうので、今回は思い切って削減して、配分された1時間15分で終わるようにしました。
その後、駅に行って松戸から盛岡までの乗車券と東京からの新幹線はやぶさ7号の特急券を買ってきました。

今日は歩く運動は休んで、田んぼを見に車でちょっと郊外に出てみました。予想通り、早くも稲刈りが済んで、刈った稲束(たば)をおだがけしている田んぼもありました。この頃は稲刈り機が進歩して、刈るだけでなく、稲籾(もみ)と藁(わら)を分離して、藁は刻んで田んぼに置いてきたり、籾の乾燥も機械でやったりしますので、おだがけして乾燥させる景色は珍しくなりました。私にとっては子供の頃よく見た懐かしい昔風の景色で、心が和(なご)みます。



2013年8月29日木曜日

午前中は机に向かって仕事をして、昼休みに運動に出かけました。今日は以前から気になっていた竹ヶ花という地区の雷電神社に行ってみました。階段を上る小高い山の上にある小さい神社でした。
鳥居をくぐって、途中に巨大な木が立っていました。シイかスダジイか私には見分けがつきませんが、千葉大学園芸学部構内にあるスダジイというラベルのある木とそっくりなことと、落ちていたドングリの色や形もそっくりだったので、スダジイではないかと思います。他にも巨大なクスノキもあり、鳥居のすぐ裏には枯れて途中から伐採された巨大な木が残っていて虚(うろ)からは別の種類の木が生えていました。
石碑があったので裏を見たら、享保19年甲寅(きのえとら)と彫ってあったので、江戸中期の1734年に彫られたようです。享保17年(1932年)は有名な大飢饉が起こり、ネットで調べたら「洪水や蝗虫(ウンカ類のこと)の大発生で餓死者6125人」という記録が載っていました。当時は洪水や飢饉が頻発して人々が苦しんだので、それを静める願いで神社が建立されたのかもしれないと想像しました。
先日訪ねた金山神社もそうですが、周囲はすっかり開発されてビルや住宅になった中で、神社だけが地元の人々によって守られていて、昔の様子を伝えてくれます。
帰りは江戸川堤防に出て、結局ちょうど2時間の運動になりました。




2013年8月28日水曜日

9月4日の講演の準備に追われています。まだスライドを送っていないので、いつ催促の電話があってもおかしくありません。明日中には仕上げないとまずいなと思って少しあせっています。

東京都立水元公園の桜堤(つづみ)のジョギギングコースを終点近くまで歩いて、「かわせみの里」まで行きました。
http://www.city.katsushika.lg.jp/2883/003148.html
施設の中にはカワセミの写真の展示の他にアズマヒキガエルや淡水魚の水槽もあり、外にはカワセミが来る瞬間を待っているのか三脚にカメラを付けて待ち構えている人たちがいました。
今日はゆっくり歩いて約3時間の運動でした。



2013年8月27日火曜日

トコジラミ(南京虫)の発生件数が増加しているとのことなので、少し調べてみました。終戦直後は海外からの引揚げ者が持ち帰ったりして蔓延していたのか、昔はよくこの名前を聞きましたが、DDTのような殺虫剤のお蔭で防除ができて最近はほとんど聞かなくなっていた吸血性のカメムシの一種のようです。ピレスロイド系殺虫剤に抵抗性を発達させていて、防除はなかなか困難な衛生害虫のようです。

朝日新聞夕刊の社会面には「きれいな戦争はないんだ」という大きな見出しで、紙面半分を使った「はだしのゲン」に関する記事が載っていました。作者の故中沢啓治の奥さんの証言と、問題とされた日本軍兵士による残虐な行為のマンガでした。目を背けたくなるような、日本人がそんなことをしたのかと信じられないような描写ですが、戦争が人を狂気にさせるということを示しています。以前千葉大学の私の研究室にフィリッピンからの女子留学生がきていた時に、彼女のお母さんが一度だけ日本に来られて三人一緒に食事をした時のことを忘れられません。戦争中に日本軍兵士がフィリッピン人に残虐な行為をするのを散々目撃したからでしょうが、私に向かって日本人がこんなに親切な人たちとは思っていなかったと言いました。
日本人だからではなく、アメリカの兵士もベトナム戦争の時に残虐な行為をしたことは世界中に報道されましたし、最近ではユーゴスラビアが分裂した時にもこれが人間のすることかと思われる残虐行為がありましたし、結局戦争が人間を人間でなくしてしまうのだと思います。

今日の運動は昼休みに江戸川堤防の左岸を下流に向かって歩き、国道6号で新葛飾橋を渡って、柴又の帝釈天(たいしゃくてん)に行きました。黄金色の水田には農作業中の農家と見間違えた案山子(かかし)が何本も立っていましたが、私が側を通ったら多数のスズメが一斉に飛び立ったので、あまり効果はないようでした。江戸川ではモーターボートが水上スキーを引っ張っていて、いかにも気持ちよさそうでした。
柴又の帝釈天には前にも行ったことがありますが、境内の帝釈堂の角にものすごく枝ぶりのよい松が立っているのに気がつきました。2方向に伸びている枝ぶりが地面を這っている龍のように見えるからか瑞龍(ずいりゅう)松という名前がついていました。




2013年8月26日月曜日

島根県松江市の教育委員会が、広島の原爆と戦争の悲惨さを描いた故中沢啓治箸「はだしのゲン」を子供に見せるには残酷な場面があるとして、図書館の自由閲覧棚から自由には閲覧できない場所に移した問題について、この2、3日社会を賑わしていました。戦争とはそういうものだと子供に伝えることこそ重要だという多くの抗議が届き、今日松江市教育委員会は考えを変えて自由閲覧棚に戻すことにしたとニュースが伝えていました。当然のことですが、よかったと思いました。
私が昔アメリカのノースカロライナ州立大学に留学していた時、どこの国の留学生とも仲良くしていて何の問題もなかったのですが、ある時に台湾からの女子留学生(元々は中国出身)と話をしていて日中戦争中の日本軍による南京大虐殺の話題になった時に、当時私はそういう事件があったことすら知らなかった(日本の学校で教えられたことはなかった)ので、そんな話は聞いたことがないと言ったら、彼女は突然人格が変わったように猛烈に怒りだしました。その後よくよく調べてみたら、犠牲者の人数については異論があるようですが、実際に日本軍兵士による中国市民の虐殺があったということがわかり、恥ずかしい思いをしたことを思い出しました。
戦争を二度としないために、自分の国にとっては都合の悪いことでも、きちんと子供たちに教えるべきだと思います。

9月2日に開催予定の埼玉県農産物安全技術専門委員会の進行次第と資料が郵便で届きました。私が委員長で座長役をしなければなりませんので、あらかじめ目を通しておくことができるようにという配慮です。今年から3年継続の「土壌及び農産物における放射性物質の実態把握及び安全性確保要因の解明」という研究プロジェクトがスタートしますので、どういう報告がされるか楽しみです。

今日の運動は江戸川右岸を上流に向かって、常磐新線が川を渡る辺りで堤防を降りて、水田や住宅地を見ながら中川(大場川?)沿いに歩いて三郷排水機場のところで堤防に戻るというコースで、結局4時間近く歩きました。いい運動になりました。何日か前の猛暑日に比べると気温が下がって快適で、空も何となく秋空のような気がしました。
いつも見ている江戸川手前の酔(すい)芙蓉(通称酔っ払い)の花は、午後1時頃は白色だったのが、午後5時頃には確かにほろ酔い加減のピンク色に変わっていました。不思議なものです。
昭和7年(1932年)(私が生まれる10年前)建立と石碑に書いてあった小さな神社には、大きな目玉が2つ付いた藁でできた人形みたいなものが飾ってありました。何かの意味があるのでしょうから、今度もう一度来た時に誰か近所の人を見つけて訊いてみようと思います。

     (クリックすると写真は拡大できます)





2013年8月24日土曜日

9月4日~5日の岩手県盛岡市での松林防除実践講座の講演の準備がまだできないうちに、早くも9月12日に高知県高知市での農薬シンポジウムの基調講演の連絡が入って配布資料の準備を依頼されました。8月中は何も講義や講演や会議がないので夏休みのつもりでのんびりしていましたが、そろそろ尻に火が付き始めました。

ELSEVIERという出版社から依頼されていた"Biochemical Toxicology of Forensic Toxicants"という本の出版プロポーザルに関する評価の回答期限(謝礼金$200がもらえる)が今日まででしたので、全部質問事項に回答を書きこんでメールに添付して返送しました。来週の土曜までだと謝礼金が$150に減額されるというのはもったいないので、がんばって今日仕上げたということは、インセンティブ(動機)を与えて仕事を早くやらせるというアメリカ的なやり方は人間の本性をうまく利用したやり方だなと思います。

今日は江戸川を越えて水元公園に行き、桜堤(つづみ)を途中から降りて埼玉県側のみさと公園の中を歩きました。土曜日だったせいかいつもより多くの人達が来ていて、小合溜(こあいだめ)で釣りをしたり、散歩をしたり、ベンチで昼寝をしたり、子供の遊び場(滑り台やモンキーバーなどがある)で親子で遊んだり、バーベキューをしながらピクニックを楽しんでいる人たちがいました。私は動物や植物を観察しながら、いつものように2時間半くらい歩き回りました。




2013年8月23日金曜日

PLOS ONE に載っている論文の原報が見つかりました。
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0070182

ミツバチの巣箱を置いた主要7作物の畑というのは、blueberry(ブルーベリー)、cranberry(クランベリー)、cucumber(キューリ)、pumpkin(カボチャ)、watermelon(スイカ)、almond(アーモンド)、apple(リンゴ)のことで、ミツバチが集めて巣箱に持ち帰った花粉を3部分に分け、1部分は花粉の同定に、1部分は残留農薬の分析に、1部分はミツバチに摂食させてノゼマ微胞子虫感染実験に供したようです。
不思議なことにはじめの5作物畑においた巣箱のミツバチは当該作物よりも周辺の雑草や野生の花から花粉を集めていたとのこと。いろいろな観点から統計的な検定をしていますが、一番興味深い結果は、花粉に含まれる殺菌剤(多分複数)の合計残留濃度とノゼマ微胞子虫の感染確率が関係しているという結果でした。普通は、殺虫剤と違って殺菌剤はミツバチに影響がないと思われますが、何らかの理由でノゼマ微胞子虫の感染感受性を高める効果があったということでしょうか。

日は江戸川堤防を2時間歩く運動は早目に済ませて、夕方長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人のN君を見舞いに行きました。リハビリセンター/病院に着いたら4時半くらいでちょうどドシャブリ(最近の言葉ではゲリラ豪雨?)の真っ最中でした。夕食(5時半から)の前のお茶の時間だったらしく、介護士がN君を車椅子に乗せて、他の患者さんたちと一緒に食堂につれて行ってくれていました。お蔭で私も椅子に座って彼と同じ目線で話ができました。何も返事は返ってきませんが、今日は私がいろいろな話をしている間中私の顔を覗き込むように見つめてくれました。N君、私の言っていることが聞こえているのかと時々言っても返事はありません。ところがしばらくしたら、ウーッとかワーッとか言葉にならない声でしきりにまるで私に話しかけるように声を出してくれました。N君、君の言っていることはわからないよと言いながらもしかしたら何か本当に私に何かを話そうとしているのではないかという気がして嬉しくなりました。
夕食の時間になって介護士(女性)が彼の流動食を水飲みに移して飲み口を口の中に差し入れたら、やっぱり気道に入るらしく激しくむせったりしていました。しかし今日の介護士は、大勢の患者を担当しているにもかかわらずゆっくり少しずつ飲み込ませてくれていました。飲み込むときにN君が目をつぶるので、介護士がN先生「目を開けて」と言ったら、驚いたことにN君はパッと目を開けました。やっぱり聞こえているんだと思いました。入院して長いので自分で腕や手を動かすこともできなくなっていて、記憶も一部失われてつながらなくなって、言葉も話せなくなっていますが、部分的には人の言っていることがちゃんと聞こえて理解できているんだと感じました。
これからも彼の命が続く限りは月に一度は見舞いに行って、返事は返ってこなくても話しかけてあげようと思っています。



2013年8月22日木曜日

NIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences アメリカ国立環境健康研究所)に勤務していたアメリカ人の友人Grissom 博士からは今でも時々私が興味のありそうな農薬や健康に関する情報が送られてきますが、今回はミツバチ問題に関するUSNews の報道記事 http://www.usnews.com/news/blogs/at-the-edge/2013/08/07/bee-colony-collapses-are-more-complex-than-we-thought 
が届きました。CCD(Colony Collapse Disorder 蜂群崩壊症候群)が実際に起こっているアメリカでは、その原因を解明しようとする研究が活発に行われていて、いくつかの要因が候補として提唱されています。今回の記事の見出しは 「Bee Colony Collapses Are More Complex Than We Thought」(蜂群崩壊は考えられていたよりももっと複雑」となっていました。
PLOS ONE と呼ばれるオープンアクセスの学術サイトに掲載されたメリーランド大学(University of Maryland)とアメリカ農務省(US Department of Agriculture)の研究者の研究論文によると、アメリカ東部海岸沿いの主要7作物から採集した花粉(Pollen)には平均9種類の農薬(殺菌剤1、殺虫剤8)が検出され、殺菌剤(を含んだ花粉?)を健康なミツバチに食べさせたところCCDを起こすことが知られているノゼマ微胞子虫(Nosema cerange)(ミツバチ成虫の腸管に寄生してノゼマ病を発症させる原虫)の感染の確率が3倍高まったということです。

いつもの道を歩きながら、果実の熟し具合が気になって見ていますが、小ぶりの柿の実が赤くなってきました。アゲハ蝶もよく見かけます。


2013年8月21日水曜日

南日本新聞に紹介された愛媛大学農学部河野公栄教授らの蜂蜜から検出されたネオニコチノイド剤に関する研究がどこかの学会で発表されていないかと思っていたら、ある人が情報を送ってくれました。 
2013年7月31日~8月2日に東京農業大学府中キャンパスで行われた第22回環境化学討論会で「環境水中及び蜂蜜中からのネオニコチノイド系農薬の検出」(発表者:山崎泰生・原口達彦・近藤靖高・松田宗明・高橋 真・森田昌敏・河野公栄)という演題でポスター発表されていて、その要旨(要旨集p.636、発表番号2PD-17)が入手でき、そこに環境水中から検出されたネオニコチノイド剤の濃度と市販の国産とラベルされた蜂蜜から検出されたネオニコチノイド剤の濃度が報告されていました。

ミチバチに毒性が低い方のアセタミプリドとチアクロプリドの最高検出濃度はすでに新聞記事に出ていましたが、毒性の高い方の5剤の中で、ジノテフラン、イミダクロプリド、クロチアニジンは検出されず、問題のチアメトキサムの最高検出濃度は2.4ng/ml(=1.7ng/gに相当)だったとのことでした。これは私が新聞に出ていた生涯摂取量は急性毒性LD50値の1/2という説明から逆算して推測した値1.45ng/ml(=1.04ng/gに相当)とは異なりました。この違いは、私はForagerと呼ばれるハタラキバチの生涯摂餌(糖)量を80mg(EFSA Guidance による一日当たり摂餌量)×30日(ハタラキバチの寿命)=2,400mg=2.4gと仮定したのに対して、上記ポスター発表の山崎ら(2013)は5gと仮定してチアメトキサムの生涯摂取量を計算しているという違いによるもののようです。
FERA Report(2013)に公表されているチアメトキサムのミツバチに対する急性経口LD50値は5ng/beeとなっています。山崎らが検出したチアメトキサム濃度1.7ng/g蜂蜜から一日当たり摂取量(一日当たり採餌量80mgと仮定して)を計算すると、0.136ng/beeになります。これは急性経口LD50値5ng/bee の約37分の1に相当します。この濃度のチアメトキサムが含まれる蜂蜜をミツバチが摂取し続けた場合にどういう影響を与えるかは実際に実験をしてみないと何とも言えませんが、昨日も推察しましたように、少なくともForagerと呼ばれるハタラキバチはこの濃度のチアメトキオサムを含む花蜜をせっせと平気で採集してきたことは事実の筈です。ということは、いわゆるCCD(Colony Collapse Disorder 蜂群崩壊症候群)に特徴的な巣箱の中に餌、幼虫、女王蜂を残してハタラキバチ(成蜂)だけがいなくなるという症状(ネオニコチノイド剤の影響でハタラキバチが行動異常を起こして失踪する?)とは矛盾するような気がしますが・・。

今日のウォーキングは江戸川左岸を上流に向かって歩き、途中で堤防を降りて松戸市内に入りました。松戸水門の辺りでは今日も鵜と亀が羽干し、甲羅干しをしていました。路傍に無造作に置いてある念仏像には寛文八という文字が見えましたが、1668年に造立されたものなのでしょうか。松戸市役所の裏には金山神社の小高い山が残されていますが、そのお堂の前には美しい日本人形が2体無造作に置かれていました。




2013年8月20日火曜日

昨日の南日本新聞に掲載された「蜂蜜にネオニコチノイド」という見出しの記事に出ていた検出濃度について、少し計算をしてみました。ミツバチに対して毒性が低い方の2剤のアセタミプリドとチアクロプリドについては、検出された最高濃度がそれぞれ5.9ng/mℓ、16ng/mℓと書いてありました。ハチミツの比重を1.4(つまり1mℓ=1.4g)、Worker bee の摂餌量を80mg/day、寿命を1ケ月(=30日)として計算すると、ミツバチによるアセタミプリドの一日当たり摂取量は0.336ng/bee、一生涯摂取量は10.08ng/beeとなり、同薬剤の経口LD50値(半数致死薬量)14,500ng/beeと比べると著しく低く、一日当たり摂取量は約43,000分の1、一生涯摂取量は約1,400分の1に相当しました。従って、ミツバチに影響を及ぼす濃度よりもはるかに低い範囲と考えられます。また検出された残留濃度は4.2μg/Kg、すなわち0.0042ppmに相当しますので、残留基準値の設定されていない農薬に適用される一律基準0.01ppmよりも低く、人間の食品としての安全性にも全く問題がないと考えられます。

同様にチアクロプリドについては、一日当り摂取量は0.912ng/bee、一生涯摂取量は27.36ng/beeとなり、これらは同薬剤の経口LD50値17,320ng/beeの約19,000分の1と633分の1に相当しますので、やはりミツバチに影響を及ぼす濃度よりもはるかに低いと考えられます。残留濃度は11.4μg/Kgすなわち0.011ppmですから、一律基準0.01ppmとほぼ同程度で、食品係数の中でハチミツの摂取量はわずかに過ぎないことを考えれば人間の食品としての安全性にも問題はないと考えられます。

肝心のミツバチに毒性の高い方のネオニコチノイド5剤の検出濃度は書いてありませんでしたが、チアメトキサムについてだけは一生涯摂取量はLD50値の約2分の1に相当したという記述がありましたので、それから検出濃度を逆算してみました。チアメトキサムの経口LD50値は5ng/beeですから、検出された濃度は1.45ng/mℓ(=1.04ng/g)すなわち0.001ppmとなり、人間の食品としての安全性は全く問題になりません。ミツバチによる一日当たり摂取量は0.083ng/bee、一生涯摂取量は2.5ng/beeとなり、これはそれぞれ同薬剤の経口LD50値5ng/beeの60分の1および2分の1に相当します。一日当たり摂取量はLD50値の60分の1ですから、急性毒性の影響はないと考えられます。一生涯摂取量はLD50値の2分の1と計算上なりますが、これがミツバチの行動に何らかの影響を及ぼすかどうかということが懸念されると記事の中では指摘されています。
急性毒性値の60分の1という微量のチアメトキサムを含んだハチミツを1ケ月間摂取し続けた場合、薬剤はそのままミツバチ体内に蓄積して増加していくのか、摂取量と分解・排泄量とのバランスで一定量(無影響レベル)が維持されるのか、ということが判断のポイントになると思われます。放射性同位元素で標識した薬剤をハチミツに混入して摂取させ、体内の親化合物の量が増加するか一定レベルに維持されるかを測定すれば比較的簡単に判断する情報が得られる筈です。分析でチアメトキサムが検出された当該ハチミツをミツバチに投与して1ケ月間行動や症状を観察すれば、もっと簡単に影響があるかどうかの直接的な情報が得られる筈です。
しかしよく考えてみれば、検出された濃度のチアメトキサムを含むハチミツをミツバチが採集できたということは、この程度の濃度では実際にはミツバチの行動に影響を与えていないのではという想像もできます。

今日は午後から江戸川の右岸に渡って、水元公園に行き、2時間ちょっと歩いてきました。桜堤(つつみ)には北向き地蔵と名付けられた小さなお地蔵さんがあり、赤い帽子を被って白いエプロンを付けています。誰が建立したのだろうといつも気になります。すぐ横を平行して走る道路で子供が交通事故にでもあった親が寄進して設置したのでしょうか・・。セミの鳴き声はまだアブラゼミが多いようですが、少しずつミンミンゼミに続いてこの頃はツクツクボウシが増えてきている気がします。ドングリも緑色から少しずつ茶色に着色し始めています。

 


2013年8月19日月曜日

ミツバチとネオニコチノイド剤との関係があちこちで話題になっているらしく、ある人が南日本新聞で掲載された「蜂蜜にネオニコチノイド 残留農薬、ハチに悪影響も」という見出しの記事(2013.8.19)のコピーを送ってくれました。愛媛大学農学部の河野公栄(かわのまさひで)教授のグループが市販の蜂蜜13種を分析したところ、ネオニコチノイドが検出されたという報道でした。ハチミツから多くの農薬が微量検出されることはアメリカではすでに1960年代から報告されていて珍しいことではありません。
健康食品のイメージがあるハチミツに残留農薬が含まれていることはイメージと異なるかもしれませんが、一定の濃度以下であれば食品として問題はありません。今回検出されたネオニコチノイド剤も、記載されている濃度は健康に全く影響のない範囲のようです。アセタミプリドとチアクロプリドは、ミツバチに毒性の低いネオニコチノイド剤ですので、検出された濃度ではミツバチに対しても全く影響はないと思われます。ミツバチに対して毒性の高い方のネオニコチノイド剤については、残念ながら検出された濃度が記載されていませんでしたので、ミツバチに影響があり得るのかないのかの検証はできませんでした。

今日は江戸川の左岸を上流に向かって2時間ちょっと歩いてきました。堤防斜面の草が伸びて、風に波打っていました。途中田畑のあるところで堤防を降りて寄り道をしてみたら、もう稲がたわわに実っていつ収穫してもよいような状態に育っていました。電線で羽を休めているツバメもいました。



2013年8月18日日曜日

千葉大学園芸学部時代の同級生で、農業高校教師を定年退職後ある有機農業の認証機関の理事長をしているT君から、特定農薬(特定防除資材)と松くい虫防除でヘリコプターで薬剤散布が行われている地域に関する質問が届きました。以下は、私が彼に送った返信です。
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メールをありがとうございました。有機認証を申請した圃場にはFAMICの農薬検査部や肥料検査部の人が実地検査に来るのですか。私は、有機認証については、農水省の表示企画課が所管していて、民間の認証団体を認証して、農水省が直接実際の圃場や農業生産者の検査はしないと思っていました。
ご存知のように2002年12月に当時の武部農水大臣の政治的公約を受けて農薬取締法の一部改正が行われ、2003年3月10日から施行されました。当時私は農水省の農業資材審議会の農薬部会長でしたが、ある時の審議会で改正の内容について審議会で審議しなくていいのかという問題提起を役所にぶつけましたが、法律の改正は国会の審議事項で審議会の審議事項ではないので、その必要はないという答弁で逃げられてしまいました。その結果、現場では多くの混乱が生じて、審議会は尻拭いの役をさせられ、いまだに問題は解決していないという状況です。特定農薬(特定防除資材)問題はその一つです。
当時は、いわゆる無登録農薬が法の裏をかいて日本全国で横行しているという実態が次々と明るみに出て国民の食の安全に関する不信感が極度に高まり、それを受けて武部大臣が開催中の国会で短期間に農薬取締法の改正をやると啖呵を切ったことに役所が引きずられた結果、農業現場や国民目線での十分な見当がされないまま、役所の視点だけで法律改正が拙速に行われてしまいました。無登録農薬には2つの意味が含まれていました。1つは、当時の食品残留農薬基準のネガティブリスト制の下で、日本で農薬登録のない農薬は法律に縛られないので個人輸入をして勝手に使っても違反にならないということから、輸入業者・団体や一部の農業協同組合が中国その他から無登録農薬を個人輸入して販売や使用をしていたために、当該作物に適用がない農薬の残留が農作物や食品から検出されても規制できないという問題がありました。もう1つは、有機農業で農薬代替資材として病害虫・雑草防除に使われていた資材(多くは天然・植物抽出液と称していた)には実際には農薬が混入されていたために(この分野では私たちの研究が大きな貢献をした)、登録農薬のように安全使用基準なしに使われると散布作業者、環境、消費者を危険に曝すという問題がありました。これらの問題を解決するために、改正農薬取締法では(1)無登録農薬の輸入・製造・販売・使用の禁止、(2)使用基準の遵守を義務化、(3)罰則規定の強化、(4)特定農薬という新しいカテゴリーの創設をし、その後さらに(5)食品残留農薬基準のポジティブリスト制の採用、をしました。(4)は環境保全型農業、減農薬・減化学肥料農業、有機農業を推進するために、無登録でも使える防除資材が必要との配慮から創設されました。当時私は農業資材審議会農薬部会の中に設置された特定農薬検討委員会(委員6名から構成)の委員長に任命されていましたが、確か、2002年12月20日の委員会で約750の候補資材のリストを渡され、この中から特定農薬に指定できるものを選んで2003年1月10日までに提出するようにと依頼されました。役所の責任を放棄した丸投げです。年末年始の20日間、散布作業者への安全性、環境(非標的生物や生態系や周辺住民)への安全性、消費者への安全性、ならびに防除効果という4つの観点からメール会議で評価作業をしました。6名の中、2名以上の委員が一致してこれなら特定農薬に指定してもいいという資材があれば、全員でさらに詳しく情報収集をして検討するという方法を採用しました。その結果、上記4つの観点をクリアできるとして2名以上の委員の意見が一致した資材は1つもありませんでした。1月10日に私が特定農薬検討委員会の正式回答として農水省に提出した答申は、「特定農薬に指定できる資材は1つもありません」でした。驚いた農水省は、1月25日くらいだったでしょうか農薬対策室長と課長補佐の2人を私の研究室に派遣し、3月10日の改正農薬取締法施行に向けて、特定農薬として指定した資材を書く筈の別表の中身が空っぽでは困ると、次官も局長も心配しているので、何とか再考して特定農薬を指定してほしいと懇願に来ました。そこで、年末の研究室で私の独断で選んだのが重曹と食酢と地元で採れた天敵の3つです。重曹と食酢は過去に農薬登録があったので、安全性とある程度の防除効果は確認済みだということと、地元で採れた天敵というのは自分の畑で採集したテントウムシをハウス栽培のキューリに放してアブラムシを食べさせても生態系への悪影響はないということが根拠です。残りの委員は私が責任をもって説得するからと伝えた時の室長と課長補佐の嬉しそうな顔が今でも浮かびます。すぐ携帯電話で、「本山先生が妥協してくれました」と安堵の表情で役所に報告していました。
特定農薬の問題点は、原材料に照らして安全なものを指定するのだから、使用基準を設定できないし、ラベル標示も義務化できないという、内閣法制局の解釈があるということです。つまり、科学的には絶対的に安全というものは存在せず、毒になるか薬になるかは暴露(摂取)量で決まるにもかかわらず、使用基準の設定もラベル標示も義務化できないという矛盾です。
法律は5年経過すれば改正が可能になるとのことでしたので、私は農水省には特定農薬制度は廃止して、新たにアメリカのように登録農薬の中にミニマムリスクペスティサイド(リスクが著しく小さい農薬)というカテゴリーを創設し、通常の使用で安全性に問題がないような資材は比較的簡単な審査で認可してこの中に入れて、使用基準とラベル標示だけはきちんと義務化するという改善策を提案してきましたが、問題は先送りされているようです。
現在の農薬取締法での無登録農薬の取り締まり基準は、登録のない資材を(1)防除効果を謳って、(2)販売する、のは禁止ということになっています。従って、「殺草」「除草」「抑草」は全て効能を謳うことになるので違反と見なされます。
マツクイムシ防除で有人ヘリコプター、無人ヘリコプターで農薬を散布している場所を示したような資料はないと思います。林野庁の森林保護対策室と一般社団法人の農林水産航空協会というところが一番情報を把握している筈ですが、散布するかどうかは毎年決まるのが遅いので、今年はどことどこでどの農薬が散布されますか、有人ですか無人ですかと訊いても直前にならないとなかなかわかりません。私たちが松くい虫防除の農薬の飛散問題に取り組み始めたのは2004年からですが、今までに群馬県、静岡県、新潟県、千葉県、秋田県、島根県で調査を実施しました。山の松林と海岸の松林の両方が調査対象でした。ちょうど先月報道関係者との情報交換会で私が講演した時のスライドがありますので、さっき宅ファイル便で送っておきました。ついでに、ミツバチとネオニコチノイド問題についても講演した時のスライドと講演テキストを送っておきました。現在松くい虫防除で散布される農薬は、有機リン剤のフェニトロチオン(スミパインMC、スミパイン乳剤)かネオニコチノイド剤のアセタミプリド(マツグリーン液剤2)、チアクロプリド(エコワン3フロアブル)、クロチアニジン(モリエートSC)だけだと思います。私たちは飛散量として、周辺地域での気中濃度と落下量を測定していますが、飛散量は極々微量で人間の健康にも生態系にも全く影響を及ぼさない程度です。従って、有機農業用の苗生産に使う土壌を松くい虫防除で薬剤散布された松林の周辺で採取したとしても、全く影響はないし、分析しても検出限界以下で検出もされないと思います。
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日本経済新聞の「ミツバチとネオニコチノイド」に関する記事が掲載される予定の日でしたので、近くのコンビニに行って1部購入してきました。「ミツバチ どこへ消えた」「農薬を群れ全体で食べることに・・・」「農薬が原因か EUで規制もという大きな見出しが示すように、科学欄でありながら科学的な検証が不十分なままで、まるでネオニコチノイド系殺虫剤が原因である可能性が高いという印象を与える論調の記事になっていました。私のところに取材に来た記者が当初送ってくれた私のコメントの引用文を、途中で変更したいと言ってきて、それに対して私が誤解のないように訂正文案を送り、それを正しいと認め、「整理部」(記事を統括する編集局デスクのことか?)に訂正をリクエストしたと言いながらも、字数オーバーなのでどうなるかわからない、という趣旨のやりとりがあった時点で、私はこういう結果になることを半分は予想していました。今までも何回も経験してきたことですが、日本経済新聞が「ミツバチとネオニコチノイド」問題を取り上げて記事にすることを決めた時点で、全体としてのストーリーはできあがっていて、それを裏付けするために取材をし、それに都合のいいコメントだけを引用するというやり方はテレビでも新聞でも雑誌でもよくやることです。”千葉大学の本山直樹名誉教授は「どんな農薬でもリスクを考慮しながら適正に使う必要がある」と指摘する”という引用も、ネオニコチノイド剤が原因である可能性が高いという主張の裏付けとして、私が言ったこととは全く違う(むしろ反対の)意図に使われていました。記者の問題なのか「整理部」(デスク?)の問題なのかはわかりませんが、日経お前もか、という印象です。

今日は午後少し遅い時間に江戸川に出かけ、約3時間歩いてきました。海に向かって左岸の堤防を下って市川市まで行き、里見公園に寄って見物してきました。昔8千人の兵を率いた里見軍が2万人の兵を率いた北条軍に滅ぼされたという国府台城址やバラ園もあり、もう一度ゆっくり来たいなと思いました。高台の木立の間からは東京スカイツリーが見えました。堤防の草むらの上をたくさんの赤トンボが群れ飛んでいたのでカメラのシャッターを押しましたが、写真には少ししか写っていませんでした。暑い暑いと言っているうちに、秋が近づいてきているのでしょう。

 


2013年8月17日土曜日

ELSEVIER(エルセビア)という出版社からメールが届き、North Carolina State UniversityのErnest Hodgson教授とR. Michael Roe教授が共著でBiochemical Toxicology of Forensic Toxicants(法廷毒物の毒性生化学)という本の出版を提案しているので、出版をするかどうか判断するためのいくつかの質問に専門家として回答してくれるかという打診でした。2週間以内に回答すれば$150、1週間以内に回答してくれれば$200をhonorarium(謝礼金)として支払うとのことでした。早く対応してくれれば余計払うというのは、いかにもアメリカ的です。
著者はお二人とも私が勤務していた大学の毒性学科の教授でよく知っていますし、法医学の裁判に関わる毒性学のテキストは興味深い分野ですので、喜んで引き受けるとメールで返信しましたら、早速本の目次と質問票が送ってきました。よく考えて、来週末までに回答を返送するつもりです。

今日は久し振りに松戸市の歴史公園になっている戸定邸(徳川昭武の別邸)に寄ってから、江戸川堤防に行き、葛飾橋を渡って水元公園の運動場側を2時間ちょっと歩いてきました。歩くと、走っている時とは違って立ち止まってゆっくり景色を見られることがよいことです。