2014年4月30日水曜日

東京農大総合研究所研究会農薬部会の総会は5月16日(金)に予定されていますが、今日はそれに向けた会計監査がありましたので私も顔を出しました。雨天でしたので、久し振りに小田急線経堂駅からいわゆる農大通りを傘をさして歩いたら、途中の邸宅の塀からつつじの枝が外に顔を出していました。雨に濡れてなおさら瑞々しく、鮮やかでしたので、傘の下からカメラを向けて写真を1枚撮ってきました。

会計監査では、経験のある監査役が領収書や銀行の通帳をチェックしたり、数字を合わせて若干の矛盾が見つかったところを訂正したりしてくれました。その後、新任の松島芳隆教授との顔合わせを兼ねて、名誉教授の山本 出先生のお宅に何人かで集まって昼食会をしました。松島先生は有機合成化学が専門の方ですが、これから農薬部会にも幹事として参加して下さることと、研究室の一部を今まで通り農薬部会の事務室として使わせていただけることになりました。

ネットで簡単な塩分濃度計を発注しました。5月2日に発送予定という返信メールが届きました。5月3日の平砂浦での調査には残念ながら間に合いませんが、植樹したマツ苗が大量枯死した砂地の塩分濃度を枯死率の低かった砂地と比較してみるつもりです。


2014年4月29日火曜日

朝7時ちょっと過ぎに自宅を出て、横浜駅伝がある神奈川県綱島の鶴見川河川敷に着いたのは9時ちょっと前でした。千葉大学走友会は早く着いたメンバーがすでにブルーシートを何枚か広げて場所取りをしてくれていました。1チーム7人構成で、全国から652チームが参加していましたのでかなり混雑状態でした。単純な計算でも4564人になります。この大会は千葉大学走友会にとっては上位入賞や記録更新が目標ではありませんので、出場したA、B、Cチームそれぞれに早い人と遅い人を混ぜて配置してありました。私はBチームの6走で5Km区間を担当しました。今のメタボの体調では1Kmを8分ペースで40分で走れればいいかと思っていましたので、タスキを受け取ってから無理をせずにマイペースで走り続けましたら、自己計測では35分44秒で走れましたので自分としては満足でした。ただ、この速度では後ろから追い抜かれるだけで私が追い抜いたランナーは一人もいなかったと思います。約20年前の52~3才の時の5Kmの自己ベストが確か19分43秒だった筈ですから、ずい分遅くなりましたが、72才を目前にしてこうして仲間と一緒に楽しく走れるだけでも幸せです。
AチームのU氏は50才で1走の10Km区間を走りましたが、何分だったかと訊いたら41分だったとのことでしたので、さすがですが、本人はまだまだ満足していないようでした。

A、B、Cチームの全員が走り終わってから、ブルーシートにビールやジュース類や食べ物を並べて慰労会をしました。天気予報から場合によっては雨の中を走る覚悟もしていたのですが、天気予報が外れて慰労会が終わる頃にポツポツし始めた程度だったのはラッキーでした。
この大会は縫いぐるみの中に入ったり(暑くて大変だろうなと思いますが)、仮装をして走るチームもあって、楽しいお祭りですが、中には大学か実業団の陸上部か駅伝部らしいものすごく速いチームも参加しています。私は来年も参加するなら、適正体重まで減量してもっとちゃんと走り込みもしてからにしないといけないなと思いました。第一、息が切れてフーフー言いながらやっとかっと走っているようでは、走ること自体が楽しくもありません。
帰りの電車の中では足腰が攣(つ)りそうになるのを、あちこち姿勢を変えて何とか我慢しました。自宅に着いたのは夕方の5時過ぎでした。今日は野外で体をいっぱい動かしたいい祭日(以前は”みどりの日”でしたが今は”昭和の日”)でした。

2014年4月28日月曜日

サンゴジュを使った実験で、一部未調査の供試木があることに気がつきましたので、追加調査をしてきました。園芸学部実験圃場にはいろいろな木が植栽されています。桜やチューリップやパンジーほど派手ではありませんが、普段はあまり目立たない地味な木々もこの時期には花を咲かせています。それにしても試験をした薬剤(殺虫剤)の効果は抜群です。無処理区のサンゴジュの若葉はサンゴジュハムシという害虫の食害でボロボロですが、処理区の若葉は健全で生き生きしています。

千葉大学走友会の幹事長から明日の横浜駅伝大会について連絡が入り、私と同じチームで5Km区間を走る予定だった名誉教授のW先生が病気を理由に出場しなくなったとのことでした。明日は誰かに2回走ってもらってその区間をカバーしなければなりません。W先生は現役の時は北海道サロマ湖1周100Kmウルトラマラソンや、富士山の標高差1Kmの登山マラソンを走ったりして超人的なスタミナを誇っていたのですが、3年前に定年退職して特に昨年1年間は全くトレーニングできなかったらしく、4月5日の練習会では私と同様に体重オーバーで相当苦しそうに走っていました。私も一瞬病気を理由に出場キャンセルのメールを打ちたいという誘惑にかられましたが、止めときました。明日は途中で足が痛くなったら、這ってでもタスキを次走者に渡すつもりです。
今日は右足を少しでも休めるために運動には出かけませんでした。














2014年4月27日日曜日

ネットのニュースによると、死刑判決を受けてから46年間刑務所で過ごし、先日東京高裁の判決で再審が認められて釈放された袴田 巌さんが徐々に拘禁症から快復しつつあるとのこと。市橋君の場合はもちろん死刑囚ではなく、無期懲役刑ですが、社会から隔離されて長期間刑務所で過ごす間に拘禁症に陥らないことを祈りたいと思います。

午後から水元公園に行って約2時間歩いたり走ったりしてきましたが、日曜日で天気に恵まれたこともあって、池のこちらの東京都側も池の向こうの埼玉県側も大勢の人々が遊びにきていました。右足の状態は親指の付け根から甲にかけて痛みがあってあまりよくありませんので、29日(火)の駅伝大会では痛みが悪化して走れなくならないように用心しながら走るしかありません。

サンゴジュの幹に薬剤を注射した実験の結果が整理できましたので、明日共同研究者に送るつもりです。

2014年4月26日土曜日

「市橋達也君の更生を支援する会」の幹事から以下のメールが届きましたので、返信をしました。

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本山先生
暖かくなりましたね。
ご無沙汰しておりますがお元気ですか?
来月29日で市橋達也君の更生を支援する会が一年になります。早いものですね
過ごしやすくなり市橋君もがんばっていると思います。来月通帳のコピーを送ります。

2014.4.26
〇〇〇〇様
〇〇〇〇様
お知らせありがとうございました。本当に時間の経つのは早いですね、来月29日でもう1年になりますか。
「市橋達也君の更生を支援する会」の通帳のコピーをわざわざ送って下さるとのこと、ありがとうございます。30年は長い年月ですので、1年に一度お互いに近況を知らせ合って元気かどうか確認するのはいいですね。桜の花の季節から新緑の爽やかな季節になりましたので、5月に一度どこかでお会いしませんか。〇〇様にもご都合のつく日がないか訊いてみようと思います。もし全員の都合のつく日が見つかりましたら、どこでお会いするのがよいでしょうか。私自身は、松林の視察を兼ねてそちらに近い方に出かけても構いませんし、東京でも構いません。
本山直樹
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今晩は。お久しぶりです。調査や研究、講演等でお忙しそうなご様子を、いつもブログで拝見しています。
先日の袴田氏が釈放されたブログも、拝見しました。以前、袴田事件の映画を観たことがあります。袴田事件の裁判官で、無罪の主張が通らず、自ら死刑の判決文を書く葛藤や、その後の苦悩が描かれていました。
その時に、支援者の方から再審請求の状況や袴田氏の健康状態のご報告もありました。ご家族や元裁判官、支援者等の支えがあって、釈放が出来て、本当に良かったと思います。
又、犯人に仕立てた警察・検察や関係者に腹立たしく感じます。一度しかない人生の大半を、長期間拘束され、取り返しがつかず、本当に許されないことだと思います。これからの人生を、ご家族と穏やかに過ごして欲しいです。
先月3/25は、市橋達也さんの事件があった日でした。7年が経ちました。事件から逃亡・逮捕と、環境が大きく変わり、現在のあまり変化のない生活の中で…事件のあった日を振り返り、どのような思いで過ごしているのだろうと思っていました。
あまり変化のない刑務所の生活でも、季節を感じられるように、イベントや食事が出されているようです。桜の時期は、運動場でお花見も行われたと思います。
神田川沿いは桜がとてもきれいで、毎年お花見で賑わっていますが、今年は桜が満開の時に雨が降り、少し物足りない感じがしました。
これからの新緑の季節も、いいですね。本山先生のブログの植物やお花の写真も、楽しみで和みます。
右足の甲の痛み、心配ですね。来週の横浜駅伝大会は、痛みが出ないで、区間を完走出来るように、応援しています。無理をしないように、頑張って下さい。
 
2013.4.27
〇〇〇〇様 
久し振りのお便りをありがとうございました。その後、市橋君から山本弁護士を通しての連絡は全くありませんので、元気で服役していることと想像しています。
事件からもう7年も経ちましたか。先日用事があって車で市川の近くに行って、町の中を歩いている時に、事件後一度訪ねたことがある市橋君が住んでいたマンションとその周辺の景色をふと思い出しました。
「市橋達也君の更生を支援する会」の〇〇様・〇〇様から、会の発足から来月29日で1年経つので、支援金の残金を預けてある通帳のコピーを送って下さるとのメールが届きましたので、以下の返信を致しました。できたら皆で一度どこかでお会いできたらいいなと思いますが、ご都合のつく日はありますか。私の方は、すでに予定の入っている日を除けば、何曜日でもどこでも構いません。
私のブログに目を通して下さっているとのこと、ありがとうございます。30年後に市橋君の仮出所が許される時がきた時のために、更生を支援する会と私との交流の歩みを記録として残しておいてあげたいと思いますので、ブログの名称も変えずに続けていこうと思っています。
29日(火)の駅伝は、ちょっと走ると右足の甲が腫れて痛くなる状態ですのでトレーニング不足ですが、何とかタスキだけはつなぎたいと思っています。ご心配と励ましをありがとうございます。
本山直樹
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[更生を支援する会の幹事の〇〇さんから早速返信が届き、5月は忙しいので皆で会うのは6月中旬以降にしたいということになりました。]

今日から連休が始まり、天気も良かったので、久し振りにジャージを上下とも脱いで、ランニングパンツと長袖のシャツだけで江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。相変わらず体は重くすぐ息が切れますが、日に日に緑が濃くなっていく川原の景色を眺めながら太陽の下で汗をかくのはいい気持ちでした。

2014年4月25日金曜日

東京農業大学校友会館(グリーンアカデミー)で日本農薬学会農薬生物活性研究会シンポジウムが開催されましたので、私も聴講してきました。新規に開発された殺虫剤に関する講演が3題、殺菌剤に関する講演が3題、除草剤に関する講演が3題あり、いずれも興味深く、大変勉強になりました。朝自宅を7時45分に出発し、夕方帰宅したのは6時45分頃でした。

2014年4月24日木曜日

歯医者の定期クリーニングのアポイントメントが済んでから千葉大学園芸学部の圃場に直行し、N先生、T先生、下松明雄博士と共同研究として実施している実験の結果観察に参加しました。今からデータを整理して解析してみることが必要ですが、一見して薬剤処理の効果は明白でした。林学が専門のT先生は、今まで実際に農薬を散布するような機会はなかったらしく、見事な防除効果を目の当たりにして、あらためて農薬の効力の高さを実感されたようでした。学生実習の時に、無処理区と薬剤処理区の違いを見せるとのことでした。

今日は教授会の日ですのでN先生とT先生は12時頃で終わりにし、下松博士と私は昼食後も観察を続け、午後4時過ぎに終わりました。松戸駅近くの居酒屋に寄って二人で生ビールを楽しみました。
今回の実験結果は、さらに追加実験をした上で、いずれ学会で発表しようということになりました。

2014年4月23日水曜日

新聞やテレビのニュースは、先週韓国で起こった修学旅行の高校生を大勢乗せた旅客船の沈没事故やオバマ大統領の訪日や、次々に起こる事件・事故・出来事など話題に事欠きませんが、私が一番注目したのは2004年に海上自衛隊員(当時21才)が他の隊員によるいじめに遭って自殺した事件に対して、東京高裁が、組織の犯罪を隠すために重要な証拠書類を海上自衛隊が隠蔽し続けたと認定したという報道です。

事件直後に隊員を対象に実施したアンケート調査でいじめ自殺の可能性が示されていたにもかかわらず、その資料は廃棄されて存在しないと嘘を言い続けたとのこと。幸い、途中で現役の3等海佐がアンケート資料は存在することを実名で告発したお蔭で真実が明らかにされたようです。この3等海佐は、内部文書を持ち出したとして懲戒処分を検討されているとのことですが、国が組織を守るために一人の隊員(国民であり、一人の人間である)を犠牲にしてまでも嘘をつき続け、それを明らかにした別の隊員を内部規則を持ち出して懲戒処分にするというのはとんでもないことです。

昔、私がアメリカ在住だった頃、ニクソン大統領のホワイトハウスで犯罪行為が行われた時に、ダニエル・エルズバーグというスタッフがそれを社会に公表するという事件がありました。そんなことをすれば大変な政治的圧力がかけられて裏切り者として苦境に立たされることがわかっていながら、良心に従って正しいことを勇気をもって実行したこの人を私は当時非常に尊敬したのを思い出します。彼がそうできたのは、パトリシアという奥さんの強い支えがあったからです。そんな奥さんに感銘し、当時生まれた私の娘には将来同じような女性になってほしいという願いを込めて、パトリシアという名前をつけました。

昨日は走った後で腫れた右足の甲に湿布を貼って寝たら痛みがとれましたので、今日も江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。右足のジョギングシューズの紐をゆるめて走ったら、外反母趾の親指が曲がった時に甲にあまり圧力がかからなくなったのか、少し楽に走れました。

2014年4月22日火曜日

今月末が締め切りの原稿が3件ありますので、またそろそろ尻に火がつき始めました。

今日も江戸川堤防に運動に行き、調子が良かったので少したくさん走ったら、4Km 地点で折り返してから右足の甲が痛みだし、足を引きずりながら帰ってきました。気持ちは若いつもりでも、体があちこち言うことをきかない年齢になったということかもしれません。

2014年4月21日月曜日

20日(日)に行われたかすみがうらマラソン大会に出場してきた千葉大学走友会メンバーから、共通メールアドレス宛に報告が届いていています。まあまあの成績だったというのに加えて、17Km 付近の関門で制限時間以内の完走は無理と判断されてバスに収容されてしまったというのもありました。私は今までフルマラソンは事前にそれなりの走り込みをして制限時間以内に完走できる自信ができた時だけ出場して、走り込みが不十分で駄目だと思った時は出場を取り消しましたので、今まで途中で棄権したりバスに収容されるという屈辱を味わったことはありません。

来週29日(火)の横浜駅伝大会は私が走るのはわずか5Km の区間ですが、全く準備が不十分なので本当はキャンセルしたいところです。しかしそうすると、誰かが私の区間をカバーするために2回走らなければならなくなってチームに迷惑をかけてしまいますので、腹をくくって走る以外にありません。幸いこの大会は千葉大学走友会にとっては順位や記録が目標ではなく、皆でタスキをつないで楽しむことを主眼にしたチーム編成になっていますので、無理をせずに走ってタスキだけはつなごうと思っています。

朝の中は雨でしたが、昼頃は止んだので、少しでも運動しなければと思って江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。帰りは小雨がポツポツ落ちてきました。

2014年4月20日日曜日

平砂浦の次回の調査は5月3日に行くことになり、樹木医のA氏と千葉大学園芸学部の女子学生Sさんも同行する予定です。2月23日に植樹されたマツ苗で枯死したものについて、特に根の状態について調査と試料採取をしてきたいと思っています。

アメリカのノースカロライナ州在住の親友・空手の弟子のFrank 君夫妻の体調が悪いという情報が入ったので、Frank 君に電話をしてみました。奥さんのJoAnn さんは前から躁うつ病(英語ではBipolar と言います)の薬を飲んでいました。高血圧や長期(3週間?)便秘などで体調が悪くなったのでRaleigh 市内の病院に入院していたけど、躁うつ病の方が悪化したのでChapel Hill という隣町にあるUNC (University of North Carolina) の大学病院に移ったとのことでした。Frank 君自身も心臓発作を起こしたことがあって体調がよくないのに大変だなと言ったら、困難は必ず乗り越えると前向きの答えが返ってきました。
私が向こうに住んでいれば、もっと励ましてあげられるのですが・・。

今日は江戸川堤防を8Km 時間をかけて歩いたり走ったりしてきました。至る所で春が満開です。市橋君はどこで服役しているのかわかりませんが、季節が巡ってまた春が来たことを感じているのだろうかと、ちょっと気になりました。横浜駅伝大会は来週火曜日(29日)ですから、もうこの時期では体重の減量は無理ですから、最低限タスキを次走者につなげることを目標に心肺機能だけでも少しでも活性化しておこうと思っています。





 





 

2014年4月19日土曜日

マツノマダラカミキリ成虫は、この辺りでは5月下旬~6月初旬に羽化脱出してきますので、マツの当年枝・1年枝の樹皮を後食(摂食)してマツノザイセンチュウ感染が起こるのはそれ以降ということになります。平砂浦では今年の2月23日に植樹祭が行われて多数のマツ苗が植樹されました。それがどういう状況になっているか観察するために、一人で車を運転して平砂浦に行ってきました。4m×8mの区画にマツ苗は16本ずつ植えられていますが、区画によっては2本~3本枯死しているところがありました。枯死原因を解明する参考に、枯死症状の写真をたくさん撮ってきました。症状的には、昨年10月に植樹された区画で93%という大量枯死が見られた場合の症状と同じように見えました。マツノマダラカミキリ成虫の発生していないこの時期に枯死したということは、少なくともマツノマダラカミキリ成虫の後食によってマツノザイセンチュウ感染が起こったという可能性は除外できます。
ということは、マツ苗(の一部)が枯死した原因には、土壌(砂地)中に存在する何らかの要因が関与している可能性が想像されます。何とか原因を解明できればと思っています。

2014年4月17日木曜日

アメリカ在住の娘から電話があり、やっと自宅に戻れたが、保険でカバーされない修理費や電気製品を全部新しいのに買い替えたりしてお金を使ったので、今年の夏は日本に来ないことにしたとのこと。義理の息子の両親が住んでいるテネシー州にも行かないようです。孫3人を連れてくるので飛行機の切符が高いので止むを得ません。テネシー州の義理のお母さんは、日本にはいつも1ケ月半も行くのに、どうしてテネシー州には1週間か10日しか来ないのかと不満(やきもち?)をもらすそうです。今年は両方とも行かないということなので、問題は起こらない筈です。2年間も孫たちの顔を見ないとずい分大きくなってしまうでしょうから残念ですが、仕方がありません。

千葉大学園芸学部の3年生の女子学生から、松枯れ問題に興味があるので私たちが平砂浦に調査に行く時に一緒に連れて行ってほしいというメールがきました。3年生はまだ授業の履修がある筈ですので、日程の都合が合う時に車に同乗してもらって、現地を見てもらおうと思います。

近所の病院の整形外科に行って、右足のレントゲン写真を撮ってもらって診察をしてもらってきました。骨折はしていないけど、疲労骨折の場合はレントゲン写真では判断できない場合があるので、無理をしないようにと言われました。炎症を抑える塗り薬と湿布の処方箋を出してくれました。29日の駅伝大会まであまり時間がないので、トレーニングが思う存分できないのはつらいところですが、5Kmを走ってタスキを次走者に渡せるだけの最低限の準備だけはするつもりです。

2014年4月16日水曜日

サンゴジュの幹に注入した薬剤の効果を24日(木)の調査日にどうやって定量的に評価するか、いろいろ考えて書き込み式の調査表を作成しました。

江戸川堤防を約8Km歩いたり走ったりしてきましたが、今日も右足の甲の辺りが痛んで足を引きずりながら帰ってきました。左足に比べると少し腫れて熱をもっていますので、炎症を起こしているのでしょう。

2014年4月15日火曜日

妻が若い時に大変お世話になった親戚のSさんは3年前に89才で亡くなりました。ご遺灰は一人娘と奥様のおられるお住まいに置いて毎日話しかけてこられたようですが、とうとう決心をされて今日納骨式がありましたので、私たちも参列しました。参列者は娘さんと奥様と、Sさんと職場が一緒で退職後も趣味(旅行、山登り、絵画)で長い親交のあった友人のMさんと、私たち夫婦だけで、ラジカセで故人が生前好きだったクラシック音楽のCDをかけながら納骨し、故人が好きだった赤ワインを皆で一口すすって献杯をし、故人が好きだった秋川雅史の”千の風になって”を歌いました。帰りに皆で一緒に食事をしました。家族だけで簡単だけど、心のこもったよい納骨式でした。”千の風になって”の歌詞は、まるでSさんが私たちに語りかけているようで、今日の納骨式にピッタリでした。

作詞:不詳・訳詞:新井満
作曲:新井満

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています

Sさんは一人娘以外にお子さんはいなくて、その一人娘も還暦を過ぎて独身ですので、生前3人で話し合って、用意してあった遠方のお墓を手放して近所の永代供養墓を購入したのだそうです。奥様と娘さんの名前もすでに石碑に刻んであって、最後の家族が亡くなって13年後にご遺灰を一緒にして土に還すという契約だそうです。少人数家族が多く、先祖伝来のお墓や家を守る人が絶えることが多い現在の社会のニーズに合った考え方だなと思いました。

50年以上前、私たちがまだ結婚する前にSさんのお宅を訪ねたことや、その後アメリカのノースカロライナ州に住んでいる時に20代だった娘さんが我が家を訪ねてこられたことがありました。その娘さんがもう還暦を過ぎたのですから、いつの間にかずい分時間が経ちました。家族は、生きている間に喜怒哀楽を共にして、そしてやがて時期がくれば順番に風になってあの世に旅立っていくのでしょう。旅立っていく人が、残される家族が悲しまないように気を配りながら旅立つということは、幸せだった家族との生活を慈しみ感謝しているということを表しているのだと思います。

2014年4月14日月曜日

サンゴジュを加害するサンゴジュハムシを木の幹に薬液を注射して防除する試験の途中経過を少し詳しく観察してきました。葉の食害痕数を計数するよりも、供試木ごとの被害葉率を算出して評価する方がよいかもしれないという気がしてきました。共同研究者に提案してみようと思います。
サンゴジュハムシの幼虫も何頭か見つかりました。

今日の運動は海に向かって左岸の江戸川堤防を下って、矢切の渡しまで行き、ネギ畑やキャベツ畑を眺めながら2時間近く歩いたり走ったりしてきました。






2014年4月13日日曜日

暑くもなく、寒くもなく、風もなく、絶好の日和でしたので、江戸川堤防を上流に向かって往復14Km歩いたり走ったりしてきました。途中、主水(もんど)池に下りて釣り糸を垂れている人たちをしばらく眺めていましたが、全く魚の動きはありませんでした。池の真中では人に慣れたシラサギが1羽じっと水面を見つめて、時々細長い嘴(くちばし)を素早い動きで水の中に突っ込んで餌(小魚?)を獲っていました。私と同じように池を眺めている人に訊いたら、練り餌を使って平鮒(ひらぶな)を狙っているけど、今年はまだ魚の動きがないとのことでした。本当かどうかわかりませんが、このシラサギは釣った小魚を与えてくれる特定の釣り人を覚えていて認識できるのだそうです。釣り人のほとんどは老人(高齢者)でしたが、ここに来る人は病院に行く必要がなく、話し相手の仲間もいるので幸せなのだとのことでした。私ももうすぐ72才ですから同じ年代の筈ですが、何故か他人事のような気がしました。

園芸学部の生垣にはサンゴジュという木が植栽されていますが、サンゴジュハムシという害虫の食害で葉っぱは穴だらけになっています。緑化樹木の病害虫防除に、人間に注射をするように、木の幹に薬液を注入したりカプセル化した薬剤を打ち込む技術を開発する試験をしています。新芽がまだ小さく孵化幼虫が出現するかしないかの時期にあたる3月20日に薬剤処理をしましたので、昨日ちょっと様子を見に行ってみたら、新芽が若葉になっていて、無処理区はすでに食害の被害痕が多数見られたのに対して、薬剤処理区は全く食害されていませんでした。今月24日には皆で集まって、定量的な調査をする予定です。公園や街路樹など多くの市民が利用する場所で、薬剤散布をせずに病害虫防除ができる可能性が見えてきましたので楽しみです。きちんとしたデータが取れたら、この技術を他の樹種や他の薬剤に広げて試験してみるつもりです。





2014年4月12日土曜日

私は千葉大学園芸学部の出身研究室の同窓会長をしていますので、昨日、4月22日が締め切りのニュースレター用の原稿執筆の依頼が届きました。4月末が締め切りの別の原稿もありますので、それに追われる前にと思って話題を決めて書き始めたら、気分が乗ってあっという間に書けてしまいました。書き終わってから念のため字数を数えてみたら、ワードの書式の行数の計算を間違えて、指示された字数(600~700字)の2倍の長さになっていることに気がつきました。ちょうど2つの独立した話題についての内容でしたので、2つに分けましたが、いずれも捨てがたかったので結局両方とも担当者に送りました。担当者は困る筈で、多分どちらか1つを選ぶことになる筈です。

今日も江戸川堤防を歩いたり走ったりするつもりで出かけたのですが、途中で気が変わって大学の隣にある松戸市立の戸定歴史公園(徳川慶喜の舎弟の水戸藩主だった徳川昭武の別邸だったところ)に寄って庭をゆっくり1時間くらい散策してきました。ソメイヨシノの時期は過ぎていましたが、シダレザクラと八重桜はまだ満開で、その他の植物も生き生きとしていました。

驚いたことに、昨日ネットで注文してその後で銀行から代金を送金したノートパソコンがもう届きました。多くのカタログを見比べて機種を選定し、パソコンで検索して最安値を確認し、近所のコジマ電気に行ってこれと同じ値段にしてくれるなら買うと言って交渉したら、関連店舗に問い合わせたがどこにも在庫がないと言われました。そこでネットで最安値を提示したところに購入申し込みをし、在庫が確認され、代金を銀行振込みで送金し、その日のうちに配送され、翌日には手元に届いたのですから、個別の電気店や大きな店舗を構えている量販店は厳しい競争にさらされていることをあらためて実感させられました。ネット上に広告を出している各社の価格と比べても、同じ機種で5万円もの差がありました。














2014年4月11日金曜日

郵便局に行って、「後藤寛和君を支える会」の口座に支援金を送り、次は銀行に行って平砂浦の航空写真の代金を京葉測量という会社に送金し、ネットでノートパソコンを注文した会社にも代金を送金しました。パソコンを扱っている会社からは、間もなくして、入金が確認できたのでパソコンを発送したとの連絡が入りました。

今日も江戸川堤防を歩いたり走ったりしてきましたが、体が重くてすぐ息が切れるのに加えて右足に痛みもでてきて、足を引きずりながら帰ってきました

2014年4月10日木曜日

樹木医のA氏が朝9時に大学に到着し夕方の7時半まで(途中、昼食と夕食の時間をはさんで)、DNA診断キットを用いてマツ苗の根からマツノザイセンチュウを検出する実験をしましたが、結果は前回の実験結果と異なりネガティブでした。まだ結論は出せませんが、ここは慎重にもう一度(3回目)実験をやってみようと考えています。

2014年4月9日水曜日

昨日のブログで紹介しました浦和高校ラグビー部の選手だった生徒が試合中に頸椎を負傷した事故については、浦和高校のHPに詳細が報告されていました。
http://urako-tama.com/?action=common_download_main&upload_id=148&nc_session=c981c3a263bce120f967b38de2a62089

ドクターヘリで埼玉医科大学総合医療センターに搬送されて緊急手術が行われ、その後国立障害者リハビリテーションセンター病院において社会復帰に向けて懸命にリハビリに取り組んでいるとのこと。
3年間一緒にラグビーの練習をしてきた仲間はあこがれだった筈の花園ラグビー場での全国大会出場という経験をし、すでに大学に進学して夢を実現するためにそれぞれの道を歩き始めていることを考えるとどんなにか悔しいだろうと想像します。
ほんの一瞬の違いで仲間との境遇がこんなにも違ってしまうのですから、不運というか、人生は残酷です。
昨日届いた報告書の中で生徒たちの感想が述べられていますが、後藤寛和君のは、「一番印象に残っているのは夏合宿です。人生で最も辛い日々を仲間たちと、走ったり、食べたり、泣いたり、笑ったりして乗り越えた思い出は宝物です。この先、どんな辛いことがあっても、あの夏合宿を思い出せば乗り越えられると思います。」と記してありました。自分(だけ)が負傷して辛い状態に陥っていることの泣き言は一言もありませんでした。
幸い、「後藤寛和君を支える会」が組織されましたので、私も支援金を送って、この若者の回復と社会復帰を見守ろうと思います。

今日も昼食を抜いて、江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。

2014年4月8日火曜日

昨年、私の母校の埼玉県立浦和高校のラグビー部が県大会で優勝して54年振り2度目の全国大会出場を決めた時に、選手たちを東大阪市の近鉄花園ラグビー場に送り出すために、後援会長の川野幸夫君(株式会社ヤオコーの創立者で会長、私と浦和高校時代に同期)から卒業生に寄付の依頼がありました。「尚文昌武」「少なくとも三兎を追え」「無理難題に挑戦しろ」をモットーにしている浦和高校ですが、近年は「文」はともかく「武」の方はパッとしなかったので、久し振りの快挙に私も嬉しくなって寄付に応じました。

試合の方は残念ながら1回戦で関西地区の強豪の滋賀県の私立光泉高校に敗れはしましたが、生徒たちにとっては3年間の厳しい練習の成果が報われ、貴重な経験を得ることができました。
昨日、りっぱな冊子の報告書が届きました。何と、4,916件の寄付があり、32,843,998円が集まったとのこと。卒業生がいかに選手たちを誇りに思い、応援したかがわかります。
試合の詳しい様子や写真と、選手たちの名前やポジションや出身中学名に加えて、出場した生徒一人一人の感想も載っていました。後援会長の挨拶文、校長の挨拶文、監督の挨拶文などに目を通しながら胸に熱いものが込み上げてきました。後輩の生徒たちから感動をもらいました。浦和区領家にあるあの学校のグランドで練習に明け暮れている生徒たちの姿が瞼(まぶた)に浮かびました。

驚いたことに、埼玉県予選の決勝戦で対戦した深谷高校の猛撃をタックルで防いだ生徒のG君が頸椎負傷で退場して救急車で病院に運ばれ、体が思うように動かない状態になったとのこと。現在も回復に向けて懸命にリハビリを続けているようですが、社会復帰するには長い時間がかかりそうと報告されていました。どんなスポーツにも危険はつきものなのでしょうが、輝かしい栄光の陰にそのような犠牲があったことに胸を締めつけられる思いがしました。寄付金の残金10,171,267円は、G君を支える会に寄付したとのことでした。選手のほとんどは3年生だったので、すでに卒業して進学し、今頃はそれぞれの大学で新しい大学生活を迎えている筈ですが、G君は進学できたのかどうか気になります。G君を支える会が立ち上げられ寄付を募っていますので、近いうちに後援会長の川野君にG君のその後の様子を訊いてみようと思っています。

私は横浜駅伝大会に向けて、今日も江戸川堤防に行って、昼食を抜いて、約2時間歩いたり走ったりしてきました。

2014年4月7日月曜日

走友会のメンバーから、山梨県笛吹市桃の里マラソン大会と埼玉県幸手市さくらマラソン大会に参加してきた報告が共通メールアドレスに届きました。両方ともハーフマラソンだったようですが、二人ともいい成績で満足している様子が感じられました。

4月29日(昭和の日)の横浜駅伝大会には毎年千葉大学走友会から3チーム出場しますが、今年は私は5Km 区間を走ることになっています。そろそろそれに向けて真剣にトレーニングをしなければと思って、まだ一昨日の練習会の疲れが少し残っていましたが、そうも言ってられないので江戸川堤防を1時間半くらい走ったり歩いたりしてきました。

帰りに大学生協に寄ってノートパソコンが載っているカタログをもらってきました。現在使っているノートパソコンは10年前に買ったWindows XP なので、サポートが中止になるこの機会に買い換えようと思っています。

妻に頼まれてアメリカ在住の娘にメールを送ったらすぐ返信が届きました。改修中の自分の家にやっと戻れたとのこと。洗濯機の水が溢れて家の中が洪水になって以来、保険会社が斡旋する家々を転々と引っ越しながら暮らしていたので心配していました。まだ改修が終わるまでには2週間くらいかかるそうですが、3人の孫たちが学校が春休みで家にいるので、その相手で毎日テンヤワンヤ(hectic)なようです。固定電話がつながるようになれば、携帯電話より安いので国際電話がもっと頻繁にかけられるようになります。