2014年9月30日火曜日

東京の王子駅前の「北とぴあ」というところで、第29回報農会シンポジウム「激動する農業環境における革新的技術と経営的評価」が開催され、私も聴講してきました。シンポジウムは5つの課題についての講演と総合討論から構成されていて、いずれの講演も素晴らしい内容でした。

第1課題:有限会社貫井園の貫井香織氏による「一次から六次へ、埼玉から世界へ-”今”だからできる農業の可能性」
第2課題:(独)農研機構中央農業研究センターの津田真や新哉氏による「臭化メチル剤から完全に脱却した産地適合型栽培マニュアル」
第3課題:高知県農業振興部の古味一洋氏による「高知県における天敵を中心にしたIPMについて」
第4課題:岩手県花巻市農事組合法人遊新の高橋新悦氏による「飼料用米の生産現場での取り組み」
第5課題:滋賀県立大学環境科学部の増田清敬氏による「水稲の減農薬栽培導入に関する経営的・環境的評価」

私には特に第5課題の講演が興味深く、斬新な内容でした。滋賀県は琵琶湖に接していることから、水田で使われる農薬と化学肥料が水路に流出して琵琶湖に流入するのを防ぐのは重要な課題です。慣行栽培に比べて化学農薬の使用量を50%以下に、化学肥料の使用量を50%以下に減らした農業は環境保全型農業あるいは特別栽培として、奨励されています。環境影響は大きく2つに分けて、地球温暖化(CO2等量換算)と富栄養化(PO4等量換算)で評価されますが、増田先生の農業経済学的計算では、減農薬栽培は慣行栽培に比較して農業所得が減少する一方で、環境影響に対する改善はごくわずかか、むしろ悪化するという驚くべき結果でした。
これでは減農薬栽培を導入しようとしても、農家に普及しないのは当たり前ということになります。
河川への流入の可能性は小さい果樹園や野菜畑の減農薬栽培における環境影響と農業所得の関係についても、誰か同様な評価をしている人がいるかどうか・・。

例年通り懇親会も予定されていて私も参加するつもりでしたが、急に心変わりして参加せずに帰宅しました。アメリカ出発の日が近くてまだ準備が終わっていないので、酔っぱらってしまうのはまずいという分別が働いたのかもしれません。
夕方早目に松戸に帰れたので、散髪に行ってきました。これで来月1ケ月はアメリカの床屋に行かなくてもすみます。




2014年9月29日月曜日

彼岸花はかたまって咲いている場合が多いような気がしていましたが、時々離れた場所に1本だけ咲いているとどうしてだろうと不思議な気がしていました。江戸川の堤防で咲き終わった彼岸花がありましたので、よく見たら実がなっていました。まだ未熟でしたが、実を割って見たら中に種が入っていましたので、種が風で飛ばされたりしたらあちこちに生えていても不思議はないなと思いました。

2014年9月28日日曜日

秋晴れの日曜日でしたので、昼頃江戸川堤防に運動に行き、上流に向かって右岸を往復2時間ちょっと歩いたり走ったりしてきました。ススキの花が咲き始め、逆光の中で銀色に輝いていました。ある時期は侵入植物のセイタカアワダチソウ一色だったのが、最近は少しずつススキが回復してきたような気がします。

途中の道でいい匂いがしたと思ったらキンモクセイが満開でした。匂いはhttp://www.azaban.com/f4-kinmokusei/08.html によると、β-イオノン、リナノール、γ-デカラクトン、リノナールオキシド、cis-ヘキサノールなど複数の成分から構成されているとのことです。
橙色の木の実がなっているのが遠くに見えたので近寄ってみたら、鈴なりの柿の実でした。
私には木の名前はわかりませんが、千葉大学園芸学部の構内にある生垣に赤い小さな実がなっていました。9月12日に信州大学農学部の構内で見たのと木の形状、葉、実の大きさと色がよく似ていました。もしかしたら同じ木かもしれません。
9月も下旬ですから、これから本格的な秋の季節になる気配です。

今週末10月4日にはアメリカに出発ですので、妻は私の衣類をそろえてスーツケースに詰めたり、いつも長期旅行の時は持参するノートパソコンのポータブルプリンターなどの準備を始めました。私にはまだその前にこなさなければならないスケジュールがあるので今週末はまだ先のような気がしていますが、何でも早目に準備をしないと気が済まない性格の妻にはすぐそこの気がしているようです。直前まで追い込まれないと準備ができない性格の私にとっては、ありがたいことです。









2014年9月27日土曜日

東京日本橋の「好成軒」というところで、千葉大学園芸学部の研究室の古い卒業生の集い「名月を愛でる会」があり、私も参加してきました。特別会員の教員も含めて会員数は名簿上は167名ですが、参加者は14名でした。遠くは新潟県上越市や大阪府川西市から来られた方もおられました。
まだ現職の若い会員は多忙で、後期高齢者の年齢をはるかに超えた年配の会員は健康問題などで、参加できない人たちが増えているようです。特に、この会の発案者でもあり常連参加者だったS先輩とO先輩が来られなくなったのは寂しい限りでした。かつてのお二人のお元気だった頃の様子を思い出しました。それでも、同窓の懐かしい仲間と久し振りに顔を合わせて、楽しいひと時を過ごしました。

東京に出かける前に大学に寄ってマツ苗の発病試験の様子を観察してきましたが、マツノザイセンチュウの根系感染を防ぐ対策としてあらかじめマツ苗の根を薬液に浸漬処理してから鉢に植えた区では、高濃度区では6鉢中の4鉢で薬害と思われる症状が発現していました。無処理区や低濃度区では薬害症状は見られませんでしたので、マツ苗の根を薬液に浸漬処理する場合は事前の予備試験で濃度設定をしっかりしないと駄目だということになりそうです。

東京からの帰途、道路脇に設置してある大きなバケツ形のプランターに綺麗な花が植えてあり、名前はわかりませんが訪花昆虫が来ているのが目に留まりましたので、写真を1枚撮ってきました。

 
 

2014年9月26日金曜日

私が古巣のノースカロライナ州に一定期間滞在する時は、いつもサウスカロライナ州のギャフニィという田舎で牧場をやっているアメリカ人の友人Tate 夫妻を訪ねることにしています。彼らは牛を放牧している広大な牧場の他に、パルプの原料として販売する広大な松林も植栽しています。アメリカから100年ぐらい前に輸入されたと言われるマツノザイセンチュウに対して、アメリカの松は抵抗性を発達しているから枯れないと説明されていますが、Tate 博士の松林にはよく見るといつも2~3本枯れた松があるのが気になっていました。
今年訪問する時に、ドリルで材片を採取して、冷凍してマツノザイセンチュウを殺して日本に持ち帰り、DNA診断で本当に日本にいるマツノザイセンチュウと同種かどうか自分の目で確かめてみたいと思っていました。問題は、材片に寄生している線虫は冷凍処理で殺せても、材片自体が植物ですので植物検疫上問題になる可能性があるということです。

先日何人かで集まった時にその話をしたら、ある人からそれなら線虫を日本に持って帰るのではなく、DNA診断キットを向こうに持って行って現地で実験をしてきたらいいじゃないかという提案をされました。名案ですので、早速今日理化学業者にDNA診断キット一式とその他必要な器材を発注して、出発の前日までに届くようにと依頼をしました。Tate 博士は元々アラバマ州立大学で生物学の教授をしていましたので、自宅に簡単な顕微鏡も持っていましたので、簡単な実験はできる筈です。
サウスカロライナ州でのフィッシングも楽しみですが、今回は新たな楽しみが加わりそうです。

2014年9月25日木曜日

手賀沼近くの生ハム製造工場に行って、追加試験で必要な器材を届けてきました。昔、ハエ類の発生生態と防除法の研究で養豚農家を何年間も最低週に1回は回っていた頃は、沼南町だけで20戸前後の養豚場がありました。その後沼南町は柏市に併合され、農村地帯が都市化するにつれてほとんどの人が廃業して、今ではT畜産1戸だけになったようです。
豚肉の第一次生産現場で、加工(生ハム製造)、販路開拓まで自ら手掛けてこられたことが、生き残ってこれた秘訣かもしれません。日本は、こういう農家を大事にしなければいけないのだと思います。

2014年9月24日水曜日

元森林総合研究所で長年松くい虫防除に関する研究に従事し、定年退職した現在は私と一緒に引き続き松くい虫防除に関する研究をしているT博士(岐阜県在住)が明日予定されているある委員会に出席するために上京しましたので、東京の日本緑化センターで待ち合わせをし、近くのレストラン兼飲みやで一杯やってきました。

2014年9月23日火曜日

元食品総合研究所勤務で、貯蔵害虫防除の専門家のN博士と常磐線天王台駅で待ち合わせ、私の車で手賀沼近くの生ハム製造工場に出かけました。N博士とは昔名古屋大学大学院時代に研究生として来ておられて以来の親しい関係です。もうすぐ75才で後期高齢者の仲間入りをするとのことでしたが、昔と同じで若々しく元気な様子でした。
通常、食料倉庫などでは15℃で低温貯蔵するとお米の品質が保たれると同時にポストハーベスト害虫の発生も抑えられるのですが、15℃で繁殖している害虫がいることに驚いた様子で、生きている成虫と幼虫を採集していきました。近々種の同定もされることと想像します。

2014年9月21日日曜日

第2回マツ苗発病試験の残りの作業を全部終わりにしました。現場では松くい虫被害木を伐採した後でチップ化して砂浜に敷きつめることがあります。チップの中にはマツノザイセンチュウが寄生していますので、砂の中の水分を利用して植樹されたマツ苗の根から侵入・発病させることはないのか確かめるために、鉢の中の砂の上に当年枯れの枝から採取した材片(DNA診断でマツノザイセンチュウが存在することを確認済み)を重ねて敷く区も作りました。線虫が侵入して大体1ケ月ぐらいで発病してマツ苗は枯れることがわかっていますので、私がアメリカから帰国する11月初旬頃には結果がでている筈です。


2014年9月20日土曜日

埼玉県立浦和高校13回生同期会が埼玉県浦和駅西口のロイヤルパインズホテルで開催され、私も出席してきました。確か1クラス50人ぐらいで8クラスありましたので、1学年400人ぐらいの生徒数だった筈です。約90名の参加がありました。男子校でしたから全員男子で、誕生日が過ぎていれば皆72才です。卒業以来初めて顔を合わせる者もいて、お互いにしばらく眺めていると昔の面影を思い出したりしました。
幹事が最初に逝去者の名前を読み上げて、全員で黙とうを捧げましたが、逝去者は数十人に上りました。出席者は元気な方ですが、この年齢になるといつまでも若々しい人と、相当老人みたいになっている人と分かれてきます。
食事とお酒と楽しい歓談の後、昔応援団長だったO君の音頭で皆で肩を組んで校歌を歌ってお開きにしました。

2014年9月19日金曜日

朝9時に大学の研究室に樹木医のA氏と女子学生のSさんと集まって、マツノザイセンチュウのDNA診断の試験設計をしました。診断キットに含まれる試薬量と前回の残りの試薬量から、検定をしたいサンプル数を絞りました。
Sさんのトレーニングを兼ねて、ほとんどの作業をSさんにやってもらって、全部終わったのは夕方の5時頃でした。サンプルの入っているマイクロチューブを紫外線ボックスの中に並べて、小窓から蛍光発色していればサンプルにはマツノザイセンチュウが存在しているということになります。小窓のガラス越しに写真を撮ったのでピントがあまくなってシャープな写真が撮れませんでしたが、結果は大成功でした。

陰性対象は-、陽性対象は+、マツ苗は根と幹の地際部の2サンプルずつ診断しましたが、無処理(線虫無接種)のアカマツ苗とクロマツ苗はいずれも-、クロマツ苗のマツノザイセンチュウKa-4株(系統?)を地上部に接種して発病枯死した苗は3反復とも+、クロマツ苗の鉢の砂にマツノザイセンチュウしまばら株(系統?)を培養培地ごと埋設して発病枯死した苗は3反復とも+、でした。
従って、砂の中に埋設したマツノザイセンチュウは砂の中の水分中を移動して確かにマツ苗の根から侵入し、幹にも移動し、感染枯死させたことになります。

現在進行中の発病試験の再試験の結果がでるのは約1ケ月後の筈ですが、再現できればワンダフルです。さらに、追加したマツ苗の根をあらかじめ殺線虫活性のある薬液に浸漬処理してから植えた区で防除効果が確認できれば、これから松くい虫被害木を伐倒・伐根した跡地(マツノザイセンチュウ汚染地)の砂浜にマツ苗を植樹する時に活着率を高める技術として実用化できる可能性があります。

松くい虫被害木を伐倒して現場でチップ化して砂浜に敷きつめる場合がありますが、その場合にチップ内に存在するマツノザイセンチュウが根系感染源にならないかどうかを試験するために、9月1日に平砂浦で採取してきた当年枯れのマツの小枝を電気ドリルで穿孔して材片を採取し、マツ苗を植えた鉢の砂の上に重ねて敷きつめました。この材片にマツノザイセンチュウが存在することは、DNA診断で確認しました。

次のステップは、実際の砂浜(平砂浦)でマツ苗を植樹し、近くにマツノザイセンチュウを培地ごと埋設して発病枯死するかどうかを確認することですが、私は10月4日から渡米して1ケ月日本を留守にするということと、砂に埋設するマツノザイセンチュウの培養が時間的に可能かどうかということが問題です。現在手持ちの培地中のマツノザイセンチュウは室温で保管して大分経つので、活力が弱って、今から苗木を準備して砂浜に植樹して埋設する時点では不適になる可能性があります。出発までの残りの期間には他の予定も入っていますので、苗の入手や砂浜に試験目的で植樹することの許可を得ることなど、時間的に無理かもしれません。その場合はしっかり準備をして、来年の春(2月~3月)の植樹の時期に試験をするしかないかもしれません。
いずれにしても、今日は期待通りのよい結果が得られましたので、3人とも気分上々で、どこかで祝杯をあげたいところでしたが、A氏は遠くから車で来られたので次の機会までお預けにしました。

 

2014年9月18日木曜日

先日マツ苗発病試験で鉢の砂に埋設したマツノザイセンチュウの培養培地に本当にマツノザイセンチュウが入っていたか、無料貸し出しデモ用の3眼実態顕微鏡で観察してみました。簡易的に培地をピンセットの先で少しだけつまんでガラスシャーレに入れ、水を加えて懸濁状態にして覗いてみたら、確かに生きている線虫が何頭も動いているのが観察できました。
カメラと接続アダプターも付属していたので、試しに写真撮影もしてみようと思いましたが、倍率が低かったこととピントがシャープでなかったことで、残念ながら駄目でした。この程度のものなのか、私の技術が未熟だからなのかはわかりませんが、購入すべきかどうか迷いが残りました。

昼休みに道場で久し振りに稽古着に着替えて、約1時間空手の稽古をしました。体重がベスト時に比べて約10Kgもオーバーで、筋力の衰えも著しく、全く思うように体が動きませんでした。それでも、びっしょり汗をかいて、シャワーを浴びた後は気分爽快でした。

昨日、水元公園に運動に出かけた時に拾ってきたドングリを一緒に並べてみました。植物の名前を覚えるのが苦手な私ですが、ドングリを拾った木に名前のラベルが付いていると、ドングリの形状と木の名前を合わせて覚えることができます。この中で、スダジイとマテバシイとクリはすでに試食して食べられることを知っていますが、シラカシ、クヌギ、コナラのドングリはまだ試食したことはありませんので、その中ちょっとだけかじってみようと思っています。先日トチノキのドングリを一口かじってみたら強烈な苦みが口の中に残りましたので、今度は用心して先ずほんのちょっとだけかじって、大丈夫のようだったらむしゃむしゃ食べてみるつもりです。

明日は朝9時から樹木医のA氏がきて、千葉大学の女子学生Sさんも一緒に、先日のマツ苗発病試験で発病枯死した苗の根と幹にマツノザイセンチュウが根系感染で侵入しているかどうかをDNA診断で確認する予定です。


2014年9月17日水曜日

午前中は机に向かって集中して、アメリカの友人たちからきたメールに返事を送りました。皆が私の10月の訪問を楽しみにしているようです。

午後から水元公園に運動に出かけました。東京都下水道局東金町ポンプ所のすぐ横にある多目的運動広場は、緑色の芝生がまるでゴルフ場のグリーンのようにいつも短く刈りそろえて管理されています。サッカーのゴールポストみたいなものが置いてありますが、今まで使われているのを見たことはありません。
今日は側を通りがかったら数人の造園業者が草刈りと薬剤散布をしていました。動噴を背中に背負って、太いパイプを下向きにして芝生に白い粉を噴霧していました。殺虫剤か、殺菌剤かは判別できませんでしたが、かなり風がありましたのでドリフト(飛散)しているのが遠くからでもよく見えました。もし白い粉が農薬だったとしたら、こんな風の強い時間に散布するのは不適切だなと思いました。一人の作業者は風上・風下を配慮せずに散布をしていましたので、自分自身が白い粉の中に位置して相当量暴露していました。

いつも皆がカワセミの観察に集まる不動池の近くの広場にカリンの木が1本あり、大きな実がたくさんなっていました。カリンの実は果実みたいに食べられるのかどうかはわかりませんが、私の母が存命中はよく焼酎に漬けてカリン酒を作っていたのを思い出しました。
木の下の方の葉は虫の食害を受けて葉肉がなくなっていましたが、よく見たらイラガの幼虫がムシャムシャかじっていました。イラガの種類まではわかりませんでしたが、イラガの幼虫には毒針があることを知っていましたので、触らないように写真だけ撮ってきました。

大学内で果樹園芸学が専門のO助教に出会いましたので、私の研究室の卒業生が長野県でやっているリンゴ園を見学してきたことや、「木村さんちの奇跡のリンゴ」の実態などについて立ち話をしました。O助教とは彼がまだ学生だった頃からの知り合いです。ちょうど学内の研究圃場から収穫してきたばかりの赤ナシの秋月と青ナシの二十世紀をいくつかもらいました。






2014年9月16日火曜日

先週、卒業生が長野県でやっているリンゴ園を見学した時に、M君が黄緑色になった葉っぱを指して、これは褐斑病(かっぱんびょう)という殺菌剤を散布してちゃんと防除しないと来年果実になる花芽ができなくなる怖い病気だと言ったのが気になって、ネットで調べてみました。http://www.pref.nagano.lg.jp/bojo/documents/ringokappan.pdf#search='%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%94%E8%A4%90%E6%96%91%E7%97%85' りんご褐斑病菌 Diplocarpon malo Harada et Sawamura によって引き起こされ、「多発した場合は激しく落葉するため翌年の花芽形成に影響する」 とありました。

午前中に千葉県幕張にある運転免許場に行って国際免許をとってきました。国際免許は有効期間は1年なので、昨年とったものは10月にアメリカに行く時は無効になります。それからネットでビザの代わりのESTA(Electronic System for Travel Authorization)を申請して入手しました。

しばらくぶりに大学の体育館に行ってみたら、男子更衣室の床は誰か土足で入る学生がいるらしく砂利でザラザラし、ごみも散らかっていました。シャワー室も窓から入った木の落ち葉やシャンプーの空き容器などで散らかっていました。箒で掃いてから、更衣室はモップ掛け、シャワー室はデッキブラシ掛けをして掃除をしました。道場で準備体操と筋力トレーニングをしてから、水元公園に運動に出かけました。
不動池の近くには大きな黄色の花が咲いていました。ついこの間までは花が咲いているのが珍しかった彼岸花が真っ赤に咲きそろっているところがありました。こんなにたくさん誰かが植えたのか自然に増えたのかわかりませんが、真っ赤な色が鮮やかで目立ちます。
更衣室とシャワー室の掃除をしてから出かけたので帰りは少し遅くなったら、夕方5時半頃には太陽が沈みましたので、いつの間にか日が短くなってきたようです。




2014年9月15日月曜日

昼休みに江戸川堤防を上流に向かって、上葛飾橋下の河川敷のコスモス畑を見に行きました。毎年この時期にはいろいろな色のコスモスが咲いて、市民が散歩がてらに見に来ます。
写真を撮った後で橋を渡って金町側に行ったら、一株だけ赤くない彼岸花が咲いていました。よく見たら、すぐ側に赤と白の斑(ぶち)の彼岸花もありました。人間が選抜したのか、突然変異で自然にできたのかはわかりませんが、コスモスにしても彼岸花にしても、私たちの目を楽しませてくれます。

千葉大学園芸学部構内のマテバシイは、日当たりのよい枝葉のドングリは褐色に色付いてきました。ツバキの葉にはチャドクガの幼虫がびっしり付いていました。触ったらかぶれて大変です。

先週訪ねた長野県下伊那郡松川町でリンゴとナシの農園をやっている卒業生のM君から、りっぱな梨(幸水)が送ってきたので、すぐメールで礼状を打っておきました。彼は確か40才になったと言っていたので、卒業して18年も経つのに、ありがたいことです。

腎臓透析と2度の脳梗塞で長期入院している元同僚教授/親友のN君を見舞いに行ってきました。今日は顔色がよく、穏やかで、私が長野県で撮ってきた写真を見せながら講演の話や、卒業生がやっているリンゴ園・ナシ園の話をしたら、写真や私の顔を見ながら聴いてくれました。卒業生の家族と一緒に写っている写真を見せながら、こうして指導した元学生が社会で活躍するのを見れるのは大学教師の喜びだなと言ったら、言葉に出しての返事はありませんでしたが、何となく頷(うなず)いたような気がしました。
卒業生から送ってきた大きな梨を1個おすそ分けしますと書いたメモと一緒にサイドテーブルに置いてきました。写真もパソコンでプリントしたものを何枚かクリアフォルダーに挟んで置いてきましたので、後で奥様が来られた時に、私がN君にどんな話をしたか想像できる筈です。ついでに、最近アメリカ人の友人から送ってきたThe Train of Life(人生の列車)という小文のコピーも置いてきました。奥様は英語が堪能な方ですので、日本語に訳してN君に読んであげる筈です。

      (写真はクリックすると拡大できます)








  

2014年9月14日日曜日

久し振りに江戸川の葛飾橋を渡って水元公園に行って、2時間くらい歩いたりジョギングしたりしてきました。秋晴れの青い空に白い雲が浮かんでいて、それほど暑くもなく、快適でした。雲の形が面白く、現在放送中のNHKの朝の連続小説「花子とアン」の口癖ではありませんが、「想像の翼を広げて」何回も空を見上げながら歩きました。河川敷の野球場では少年たちが試合や練習をしていました。公園内では彼岸花がきれいに咲いていました。

信州大学農学部構内では、橡(トチ)の木の実と小さな栗(クリ)の実が落ちていたので2~3個ポケットに入れて拾ってきました。トチの実はクリの実と似ていて美味しそうだったので、子供の頃よく山グリの実を拾って生で食べたように、試しに皮をむいて少しだけ食べてみました。歯ごたえはクリの実と同じで、最初はえぐみを感じましたが、そのうちに強烈な苦みが口の中一杯に広がりました。あわてて吐き出して、水で何回も口をすすぎましたが苦みがとれないので、チョコレートクッキーを食べたり飴玉を舐めたりして苦みを消しました。

元農薬会社の部長で、退職して今はボランティアでBAA(Bridgs Across Asia アジアに架ける橋)というNPO法人を立ち上げてミャンマーの子供たちを支援する活動をしているS氏から、東京芝の増上寺で10月18~19日にミャンマー祭り http://myanmarfestival.org/market/ というイベントがあるとの案内が届きました。残念ながら私は10月はアメリカのノースカロライナ州に滞在中で顔を出せませんが、企画が盛会になることを祈っています。





2014年9月13日土曜日

中央高速道伊那インター近くのルートイン伊那インターに余計に一泊し、朝食後約束の8時に千葉大学時代の私の研究室の卒業生のM君が車で迎えにきてくれました。

彼の家は下伊那郡松川町にあり、りっぱな邸宅でした。ご両親と奥さんと小さい3人のお子さんが待っていてくれました。リンゴ園は標高800m の傾斜地にありました。冬は雪が積もると車で坂道を上るのは困難になるとのこと。順番に収穫できるように何種類かのリンゴの品種が植えてありました。集落の果樹園全体は、山から下りてくるサルとイノシシとシカとクマを防ぐための電気柵とトタン板で囲まれていました。病害虫はスピードスプレヤーで殺虫剤と殺菌剤を散布して防除していても、鳥が小枝のすぐ下になっている(小枝に留まってつつけるので)リンゴをつつきに来るのは防ぎようがないようでした。農薬散布の手を抜くと病害虫が発生して来年の果実になる花芽が形成されなくなるので致命的だとのことでした。園主が高齢になって農作業ができなくなって放棄されたリンゴ園は、農薬散布も剪定もしないと数年で木が駄目になって、周辺のリンゴ園への病害虫の発生源になってしまうのだそうです。

松川町でも標高の低いところでは水田が黄金色で収穫間近で、蕎麦(ソバ)畑は白い花が満開でした。昼食は山を下りて町の中の有名な蕎麦屋でもりそばと天ぷらをご馳走になりました。
南アルプスと中央アルプスの間を流れる天竜川沿いの平野に駒ケ根市や伊那市や松川町といった町が発達したのでしょう。標高800mのところまで昔は水田をやっていたようですが、今は集落全体がリンゴとナシを栽培していました。M君は、すぐ近くの信州大学農学部に行かずに、わざわざ遠くの千葉大学園芸学部に来て、しかも果樹園芸学ではなく私の生態制御化学研究室を専攻し、卒業後もすぐ家業を継がずにしばらく外で働いて経験と視野を広げてから家に帰りました。りっぱなものです。岩手県の篤農家のところに行ってリンゴ栽培、特に剪定の妙技を勉強してきて、今でも仲間と一緒に技術を高める努力をしながら栽培しているとのこと。
卒業生が家族と一緒に幸せに暮らしているのを見て、私も嬉しい気持になりました。
帰りは彼の家のすぐ近くにあるバス停から新宿行きの高速バスに乗りました。