ユージン君の家で泊まって、朝は奥さんのキムさんがナッツの入った美味しいパンケーキを焼いてくれました。海に行くか川に行くか、あるいは両方行くか迷いましたが、明日は日本に向けて出発ですので今夜中にスーツケースを詰めなければいけないことを考えて1ケ所にして、Cape Fear Riverという川沿いの遊歩道を4人で歩くことにしました。
キムさんが勤務している病院は、健康保険のない貧乏な患者を診察・治療してくれる病院で、治療費用の半分は連邦政府が支援しているそうです。患者の大半は黒人でしょうが、四分の一ぐらいはスペイン語しか話せない人たちだそうです。キムさんが医学部で勉強をするのに借りた奨学金は約30万ドル(約3,600万円)に上るそうですが、この病院で10年間勤務すればその中の20万ドル(約2,400万円)は返還が免除になるという仕組みだそうです。ウィルミントンという町は、昔ノースカロライナ州が綿の産地だった時に、集荷された綿が運ばれてここの港から海外へ輸出されていたらしく、港町として栄えたところのようです。もう廃止になったAtlantic Coast Lineという鉄道会社もあったらしく、今は博物館のようになっていました。古い町並みは観光スポットとして人気があるらしく、日本のシャッター街に似てビジネスを廃業したレンガ造りのビルが立ち並んでいても、それはそれでなかなかよい雰囲気の町並みでした。
キムさんは前の結婚で3人の子供いて、その中の一人は息子で同じ町に住んでいるので電話をしたらランチに加わりました。可愛い奥さんと孫を連れてきてくれました。
私は何か軽い食事はないかとウェィターに訊いて推薦されたものを注文してみたら、もち米のおにぎりみたいな塊をマグロの刺身で巻いたアメリカ人の創作料理(日本のマグロの握りを真似た?)がでてきました。おまけに甘い味付けの汁の上に置いてあり、ワサビをたくさん付けて食べましたが、まったく美味しくない最悪の味でした。
市(ファーマーズマッケット)が開かれていて、マージーさんとキムさんはワインを買っていました。
夕方ユージン・キム夫妻と別れてローリー市に戻り、日本料理店のスシツネで刺身とみそ汁と枝豆を注文して最後のディナーを食べました。ユージン君の長女のモーガンさんが私にもう一度会いたいので電話をしてほしいと言っていたので連絡をしたら、次女のメラニーさんと二人でレストランに来ました。ユージン君(カストロ首相の共産革命の時に両親と一緒にフロリダに亡命してきた)が先祖の出身地スペインに娘二人を連れて旅行に行った時の写真を2枚くれました。
二人はすでに夕食は済ませたというので、枝豆とお茶(グリーンティ)だけを注文したら二人とも美味しそうに食べていました。フットボールのゲームは、ノースカロライナ州立大学が、全国ランキング7位で上位のサウスカロライナ州のクレムソン大学に敗れたとのことでした。二人とも素直で最高に可愛い娘たちです。
夕食後マージーさんは私のモーテルに来て、冷蔵庫に残っている食材、食器、その他自宅から持ってきてくれたものを全部車に積んで持って帰りました。私は最後の洗濯をして(どっちみち帰国したら妻が全部洗濯し直すことはわかっていますが)、スーツケースに荷物を詰めて、レンタカーにガソリンを満タンにして、明日は1階のホールで朝食を食べればすぐ空港に向かえるようにしました。