2015年10月31日土曜日

昨日はユージン君の家に娘のメラニーさん(高校3年生、ユージン君は3回目の奥さんと離婚して、娘二人の親権は母親が持っている)が立ち寄りました。翌日ローリー市で伝統のフットボールゲームがあるので、ノースカロライナ州立大学2年生で学生寮に入っている姉のモーガンさんを訪ねて一緒に観戦に行くので、車のガソリンを父親のクレジットカードで入れるのだそうです。どこの国でもそうでしょうが、娘には甘い父親といったところです。

ユージン君の家で泊まって、朝は奥さんのキムさんがナッツの入った美味しいパンケーキを焼いてくれました。海に行くか川に行くか、あるいは両方行くか迷いましたが、明日は日本に向けて出発ですので今夜中にスーツケースを詰めなければいけないことを考えて1ケ所にして、Cape Fear Riverという川沿いの遊歩道を4人で歩くことにしました。
キムさんが勤務している病院は、健康保険のない貧乏な患者を診察・治療してくれる病院で、治療費用の半分は連邦政府が支援しているそうです。患者の大半は黒人でしょうが、四分の一ぐらいはスペイン語しか話せない人たちだそうです。キムさんが医学部で勉強をするのに借りた奨学金は約30万ドル(約3,600万円)に上るそうですが、この病院で10年間勤務すればその中の20万ドル(約2,400万円)は返還が免除になるという仕組みだそうです。ウィルミントンという町は、昔ノースカロライナ州が綿の産地だった時に、集荷された綿が運ばれてここの港から海外へ輸出されていたらしく、港町として栄えたところのようです。もう廃止になったAtlantic Coast Lineという鉄道会社もあったらしく、今は博物館のようになっていました。古い町並みは観光スポットとして人気があるらしく、日本のシャッター街に似てビジネスを廃業したレンガ造りのビルが立ち並んでいても、それはそれでなかなかよい雰囲気の町並みでした。
キムさんは前の結婚で3人の子供いて、その中の一人は息子で同じ町に住んでいるので電話をしたらランチに加わりました。可愛い奥さんと孫を連れてきてくれました。
私は何か軽い食事はないかとウェィターに訊いて推薦されたものを注文してみたら、もち米のおにぎりみたいな塊をマグロの刺身で巻いたアメリカ人の創作料理(日本のマグロの握りを真似た?)がでてきました。おまけに甘い味付けの汁の上に置いてあり、ワサビをたくさん付けて食べましたが、まったく美味しくない最悪の味でした。
市(ファーマーズマッケット)が開かれていて、マージーさんとキムさんはワインを買っていました。

夕方ユージン・キム夫妻と別れてローリー市に戻り、日本料理店のスシツネで刺身とみそ汁と枝豆を注文して最後のディナーを食べました。ユージン君の長女のモーガンさんが私にもう一度会いたいので電話をしてほしいと言っていたので連絡をしたら、次女のメラニーさんと二人でレストランに来ました。ユージン君(カストロ首相の共産革命の時に両親と一緒にフロリダに亡命してきた)が先祖の出身地スペインに娘二人を連れて旅行に行った時の写真を2枚くれました。
二人はすでに夕食は済ませたというので、枝豆とお茶(グリーンティ)だけを注文したら二人とも美味しそうに食べていました。フットボールのゲームは、ノースカロライナ州立大学が、全国ランキング7位で上位のサウスカロライナ州のクレムソン大学に敗れたとのことでした。二人とも素直で最高に可愛い娘たちです。

夕食後マージーさんは私のモーテルに来て、冷蔵庫に残っている食材、食器、その他自宅から持ってきてくれたものを全部車に積んで持って帰りました。私は最後の洗濯をして(どっちみち帰国したら妻が全部洗濯し直すことはわかっていますが)、スーツケースに荷物を詰めて、レンタカーにガソリンを満タンにして、明日は1階のホールで朝食を食べればすぐ空港に向かえるようにしました。







 





 
 






 

 

 



 


2015年10月30日金曜日

多分今日が早朝のウォーキングができる最後だと思って、見納めにSymphony Lakeを1周ウォーキング・ジョギングしてきました。1ケ月滞在したモーテルExtended Stay Americaの建物と大きな松の木のシルエットも湖の朝焼けきれいでした。到着したばかりの頃がまだ緑の葉を付けていた木がすっかり黄葉・紅葉に変わりました。日本のムクドリかカラスに似た鳥が群れで飛び回っていました。

パラ・リーガル(司法書士?)の資格を取ったマージーさんは、就職が決まった法律事務所に今日から出勤するように言われていましたので、勤務初日が終わってからウィルミントン市の空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君を訪ねました。今はインターステイトハイウェィ40号が出来ましたので時速75マイル(約120km)で飛ばすと2時間で行けます。
奥さん(4回目)のキムさんは50才から一念発起して医学部に入って医師の資格をとった人です。ユージン・キム夫妻は私たちの到着まで夕食を食べずに待っていてくれましたので、4人でSomething Fishy(何か怪しい)という名前のシーフードレストランに行ってディナーを食べながらお互いの近況を語り合って、1年ぶりの再会を楽しみました。










2015年10月29日木曜日

ハノイでのプレゼンテーションのスライドに、PHI(収穫前日数)をどうやって設定するのかの説明と、ある殺虫座を例に同じ農薬でも適用作物によってPHIには大きな幅があることを示す表を追加しました。さらに、農薬の毒性による分類についても、WHOでは原体の毒性によって分類がされているのに対して、日本では製剤の毒性による分類がされていることを示すスライドを追加しました。

朝食後Smphony Lakeの遊歩道にウォーキング・ジョギングに行きましたが、残念ながら雨の後で曇っていて朝焼けも朝もやも見えませんでした。ただし遊歩道の周りの木々の黄葉は見事でした。
Tryon Rdを含めてこの辺りの道路はあちこちで道路工事をやっています。混雑する場所で道幅を広げて車線を増やしたり、舗装が痛んでいるところを剥がして舗装し直したり、まるで日本の年度末の予算消化の工事みたいです。

今日は昼は空手の稽古を30分、町に出て日本に持って帰るコーヒー豆(Eight O'clock Coffee)を買ったり用事を済ませてきてから夕方は再度Symphony Lakeに行ってウォーキング・ジョギングをしてきました。もう薄暗くなっていましたが、4才ぐらいの男の子を連れたちょっと年配の黒人の男性ともう少し若い黒人の男性がルアーで釣りをしていましたので、Did you get any strike?(あたりはありましたか)と聞いたら、Only tiny one.(小さいのだけ)と答えていました。こちらに来て少し体重が減ったのか、体が軽くなり動きにも切れがでてきたように感じます。

マージーさんから携帯電話にメッセージ(テキスト)が届き、モーテルの部屋に来たけど(いつでも自由に入れるように予備のカードキーを渡してあります)、私が帰ってきたら夕食の準備をすると言ってきましたので、今Symphony Lakeの遊歩道で運動中だけどまもなく帰ると返事を打って送信しました。モーテルに着いたら、シャワーを浴びている間に手際よくハムとベーコンと野菜とトーストの夕食を作ってくれ、一緒に食べ終わったら私がテレビのニュースを見ている間にフライパンや食器を洗って片づけてくれました。アメリカでもそういうところは日本人の女性と同じです。
マージーさんは何年も前に離婚をして(夫のアル君も私の空手の弟子でした)、娘のサラさんは自立して自分の家庭を持っていて、長年一人で暮らしているので誰かのために食事を作るということがなくなりましたので、彼女にとってはモーテルに来て私の世話を焼くことが家族のような気がして楽しみなのかもしれません。