2017年3月25日土曜日

Brett さん夫妻はノースカロライナ州のシャーロット空港からシカゴのオヘア空港に飛んで、そこから成田に飛んでくることになっています。お互いに初対面ですので、成田空港の到着ロビーで私を認識できるように昨年Frank 君が来た時に一緒に撮った写真を添付して、第2ターミナルの1階の到着ロビーで待っているからと最後のメールを送りました。


今日は浦和高校卓球部のOB会がありましたので、私はもう何十年もラケットを握っていないので現役部員対OB部員の対抗戦出場は無理ですが、総会と交流会だけには10何年振りに顔を出してみようと思って自宅を10時半頃出発して北浦和駅に向かいました。浦和高校時代は、剣道と水泳と卓球をやっていて過労で病気になり剣道と水泳は途中で止めましたが、卓球だけは卒業までやり通しました。当時指導に来てくれていた大先輩の石川正之さんとダブルスで埼玉県代表として東京選手権に出場したこともありました。
当時蕨(川口市芝)に住んでいた私は、北浦和駅から浦高通りを歩いて通学していました。久し振りに同じ道を歩いてみましたが、すっかり様子が変わっていて、唯一昔と同じだったのは浦高通りと北宿(きらじゅく)通りが二股に分岐する角に立っているモリ商会だけでした。ここは確か私の木崎中学時代の大郷君という名前の友人の実家だった筈です。



浦和高校の校舎や配置は全部変わりましたが、正門と銀杏(いちょう)の葉3枚の校章だけは同じでした。シンボルの大銀杏の木は今も玄関の横と校庭の南側にありました。
卓球部は大きな体育館の2階部分に専用の練習場を持っていて、5~6台の卓球台が置いてあって、顧問の先生によると部員は20名ぐらいいるとのことでした。私が最古参のOBで、その他10年以上若いOBが5~6名来ていて、現役部員と対抗戦をやったもっと若い部員(大学生ぐらいの年代)は20名ぐらいいました。試合は五分五分で、最終結果はOBが25勝、現役が24勝ぐらいでした。私が最古参ということで顧問の先生に最後の挨拶を頼まれました。
予想に反して試合後の総会も交流会もありませんでしたので、私はしばらく構内を見学したり、学校周辺を歩いてみました。
卓球部の練習場の壁には目指せ関東大会という目標が貼ってありました。私より数年上の先輩の中には大学時代に全日本のランキング入りした大島 統さん(立教大学)や田口一男さん(日本大学)がいた時代と比べると目標が低いのは現在の卓球部の実力を反映しているのだろうと想像しました。
柔剣道場がりっぱなのには驚きました。剣道場の壁には、歴代部員の名札が掲げてありましたが、私より1年先輩で当時全日本高校チャンピオンになった磯 一男さんと、2年先輩で大学時代に全日本チャンピオンになった渡辺洋一さんの名札もあり、一緒に稽古をした仲ですから懐かしく思いました。
産業道路も少し歩いてみましたが、木崎小学校時代に同級生だった川島 登(?)君の親がやっていた理容店がまだありました。多分、川島君の息子の時代になっている筈です。


























松戸駅に着いたのは夕方5時頃になりました。この頃はちょっと遠回りして坂川沿いに散歩をしながら帰宅することが多いのですが、今日は黄色のレンギョウの花が咲いていました。