Dr. P.V. Shah 夫妻は京都旅行に出かけた期間以外は松戸の東横イン松戸駅東口とホテルシノザキに滞在しましたが、東横イン松戸駅東口の配慮のないフロントの女性従業員(マネージャー?)のために非常に残念な経験をしました。
予約は3月19日(火)~22日(金)の4泊と、京都から帰ってきてからの3月25日(月)~26日(火)の2泊で、27日(水)は満員だったので松戸駅西口のホテルシノザキを1泊で予約してありました。ただし、21日(木)~22日(金)はダブルの部屋(ダブルベッドが1つ)が空いていないということで、ツインの部屋(シングルベッドが2つ)に移ることになっていました。私が22日(金)の朝、東京農業大学に一緒に行くために迎えに行ったら、Dr. P.V. Shah から昨夜ホテル側とトラブルがあったと言われました。21日(木)夜10時過ぎに東京観光からホテルに戻ったら、スーツケースがフロントの前のロビーに放置されていて、しかもスーツケース1個は行方不明で、その夜は満員で泊まる部屋がないと言われ、予約がしてある筈だと議論をした結果、身体障がい者用の別の部屋をあてがわれたとのことでした。宿泊費はきちんと4日分前払いしてありました。結局、スーツケース1個は前泊した部屋に放置されていたのが見つかったようです。
その日の担当のフロントの女性従業員が、予約表をチェックすればすぐわかる筈なのにそれをしなかったために部屋が変わることに気が付かずに、予約期限が過ぎて滞在していると早合点して荷物を本人がいない間にロビーに運び出して、泊まる部屋がないと言い渡したようでした。外国からの旅行者が夜の10時過ぎにホテルに帰宅して、荷物がロビーに放り出されて、泊まる部屋がないと言い渡されればどんなに不安に感じるか、容易に想像できます。
私が22日(金)の朝迎えに行った時に、自分たちのミスを謝るどころか、今後は荷物を預からないからとかえって注意をされましたので、私が同行してチェックインをした時のフロントの担当者が預かると言ったので置いておいたのだから、従業員同士できちんとコミュニケーションをするようにと逆に反論をしておきました。
東京オリンピック2020を招致した時に、日本人の「オモテナシ」の文化が紹介されましたが、東横イン松戸駅東口のフロントの女性従業員がゲストに対してこんなに配慮のない態度を示したということは、Dr. P.V. Shah 夫妻がアメリカに帰国後に周囲の人たちに日本における不愉快な経験として伝える筈で、今までの多くの日本人の「オモテナシ」の努力を無にする情けない話です。東横インは私も講演で各地を回る時に時々利用するホテルですので、今後こういうことがないように、フランチャイスの本部に抗議をして事情を伝えておこうと思っています。
一仕事が終わりましたので、これからは4月10日が締め切りの雑誌「Green Age」の原稿執筆と、4月29日の横浜駅伝大会で走れるようにトレーニングをすることが当面の課題になります。
早速、園芸学部構内を通ってウォーキング/ジョギングに出かけました。運動から帰ってきて久し振りに体重計に乗ってみたら、大分体重が増えていましたので、これから減量しないと競争的には走れません。
生協前広場には今年度最初の就職ガイダンスの看板が立っていました。
園芸学部構内にはイロハモミジの木が何本もあって、今の時期は弱々しい薄緑色の葉が出てきますが、研究圃場にある1本のモミジの木は最初から紅色の葉を出して綺麗です。このモミジの品種の名前があるのでしょうが、私にはわかりません。
2019年3月29日金曜日
2019年3月28日木曜日
東京農業大学総合研究所研究会農薬部会の第113回セミナーは3月22日(金)に開催され、2題の講演がありました。1題目は東京農業大学生命科学部分子生命化学科嘱託教授の本田 洋先生の「行動制御と化学生態学に魅せられて」と題した昆虫フェロモンに関する内容でした。2題目は昨年10月末に米国のEPA(Environmental Protection Agency 環境保護庁)を退職したDr. P.V. Shah の米国における農薬登録に関する内容でした。打ち合わせ段階では"How USEPA reviews an application for pesticide registration"(米国環境保護庁は農薬登録申請に対してどのように審査するか)という演題でしたが、セミナー前日に宿泊しているホテルで見直して、すでに参加者用に配布資料として印刷してあったスライドを何枚か作り直したり、演題も"Pesticides Evaluations at USEPA"(米国環境保護庁にける農薬評価)と訂正しました。
農薬部会セミナーの参加者は通常は会員限定ですので30~50名程度ですが、今回は農薬工業会からDr. P.V. Shah をワシントンDCから招聘する旅費の支援をいただきましたので、参加費は無料として公開にしましたので、80名を超える参加者になりました。お二人の講演とも素晴らしい内容でしたが、座長としての私の不手際で時間不足になり、会場の都合で十分な質疑応答・討議の時間がとれなくなったのは残念でした。
Dr. P.V. Shah は3月19日(火)の午後にデルタ航空で羽田空港に奥さんのTrupti P. Shah さん同伴で到着しました。宿舎は松戸駅東口の近くに最近オープンした東横イン松戸駅東口に予約しました。
20日(水)は私の車で房総半島にドライブに行き、鋸山ロープウェイで山頂に上ったり、平砂浦で太平洋を眺めたり、松くい虫被害で松林が消滅した後の砂浜に再植樹したマツの苗木の生育状態を視察したり、館山ファミリーパークの花畑を見たりしました。
21日(木)は浜松町駅前から英語ガイド付きのハトバスに乗って東京観光をしました。
22日(金)の東京農業大学での講演の後は、いつものように学内の食堂での講師を囲んでの懇親会があり、その後で山本 出先生のご自宅での二次会もありました。
23日(土)~25日(月)は千葉大学時代の私の研究室出身でノースカロライナ州立大学時代にDr. P.V. Shah と親しかった早岡辰巳博士(数年前に日本化薬株式会社を定年退職)の案内で二泊三日で京都・奈良観光に行きました。26日(火)は再度早岡辰巳博士の案内で、上野公園などハトバスの東京観光で回らなかった場所を訪ねました。27日(水)は私が同行して新幹線ひかりで静岡に行き、清水駅前でレンタカーを借りて日本平に上ったり、富士山とセットで世界文化遺産に認定された三保の松原を訪ねたりしました。その後、ネットで予約してあった清水港からの2時間半の駿河湾クルーズのフェリーに乗りました。駿河湾から雄大な富士山を眺めることが目的の一つでしたが、残念ながら曇っていてほとんど見えませんでした。その代り、新幹線の窓からは比較的はっきりと富士山が見えました。
28日(木)は午前中に江戸川堤防や水元公園を散歩し、午後から羽田空港に送って行き、デルタ航空で帰国の途につきました。
私の義兄(東京在住の89才の姉の夫)が92才で亡くなり、25日(月)はお通夜、26日(火)は告別式でしたので、私がDr. P.V. Shah 夫妻を案内できない期間は早岡辰巳博士が私の代わりに案内をしてくれたので助かりました。
Dr. P.V. Shah 夫妻にとっては約10日間の初めての日本への旅行でしたので、帰国後疲れが出たのではと想像しますが、私も無事ホスト役を務め終わってほっとしました。
日本旅行中に私が撮った写真にちょっとした説明を付けて、メールに添付して送ってあげました。夫妻ともインド出身で再婚ですが、長年アメリカに暮らして永久滞在ビザも取得しています。Dr. P.V. Shah の息子は医師になっていて、奥さんのTrupti さんの長女は看護師、次女は医師、一番下の息子は医学部在学中ですから、二人ともインドからアメリカに留学して成功したインド系アメリカ人ということになります。
農薬部会セミナーの参加者は通常は会員限定ですので30~50名程度ですが、今回は農薬工業会からDr. P.V. Shah をワシントンDCから招聘する旅費の支援をいただきましたので、参加費は無料として公開にしましたので、80名を超える参加者になりました。お二人の講演とも素晴らしい内容でしたが、座長としての私の不手際で時間不足になり、会場の都合で十分な質疑応答・討議の時間がとれなくなったのは残念でした。
Dr. P.V. Shah は3月19日(火)の午後にデルタ航空で羽田空港に奥さんのTrupti P. Shah さん同伴で到着しました。宿舎は松戸駅東口の近くに最近オープンした東横イン松戸駅東口に予約しました。
20日(水)は私の車で房総半島にドライブに行き、鋸山ロープウェイで山頂に上ったり、平砂浦で太平洋を眺めたり、松くい虫被害で松林が消滅した後の砂浜に再植樹したマツの苗木の生育状態を視察したり、館山ファミリーパークの花畑を見たりしました。
21日(木)は浜松町駅前から英語ガイド付きのハトバスに乗って東京観光をしました。
22日(金)の東京農業大学での講演の後は、いつものように学内の食堂での講師を囲んでの懇親会があり、その後で山本 出先生のご自宅での二次会もありました。
23日(土)~25日(月)は千葉大学時代の私の研究室出身でノースカロライナ州立大学時代にDr. P.V. Shah と親しかった早岡辰巳博士(数年前に日本化薬株式会社を定年退職)の案内で二泊三日で京都・奈良観光に行きました。26日(火)は再度早岡辰巳博士の案内で、上野公園などハトバスの東京観光で回らなかった場所を訪ねました。27日(水)は私が同行して新幹線ひかりで静岡に行き、清水駅前でレンタカーを借りて日本平に上ったり、富士山とセットで世界文化遺産に認定された三保の松原を訪ねたりしました。その後、ネットで予約してあった清水港からの2時間半の駿河湾クルーズのフェリーに乗りました。駿河湾から雄大な富士山を眺めることが目的の一つでしたが、残念ながら曇っていてほとんど見えませんでした。その代り、新幹線の窓からは比較的はっきりと富士山が見えました。
28日(木)は午前中に江戸川堤防や水元公園を散歩し、午後から羽田空港に送って行き、デルタ航空で帰国の途につきました。
私の義兄(東京在住の89才の姉の夫)が92才で亡くなり、25日(月)はお通夜、26日(火)は告別式でしたので、私がDr. P.V. Shah 夫妻を案内できない期間は早岡辰巳博士が私の代わりに案内をしてくれたので助かりました。
Dr. P.V. Shah 夫妻にとっては約10日間の初めての日本への旅行でしたので、帰国後疲れが出たのではと想像しますが、私も無事ホスト役を務め終わってほっとしました。
日本旅行中に私が撮った写真にちょっとした説明を付けて、メールに添付して送ってあげました。夫妻ともインド出身で再婚ですが、長年アメリカに暮らして永久滞在ビザも取得しています。Dr. P.V. Shah の息子は医師になっていて、奥さんのTrupti さんの長女は看護師、次女は医師、一番下の息子は医学部在学中ですから、二人ともインドからアメリカに留学して成功したインド系アメリカ人ということになります。
2019年3月10日日曜日
東京駅10:01発の新幹線のぞみに乗って、名古屋駅には予定通り12:31に着きました。名古屋駅自体も高島屋が入っていて高層ビルですが、駅前にもいくつか高層ビルが建っています。地下鉄東山線で伏見駅に行き、鶴舞線に乗り換えて八事駅まで行きました。時間に追われていませんでしたので、傘をさして少し歩くと、八事山興正寺東山門の前を通りました。
八事坂を上って中京大学の前辺りを右折すると八事霊園に行きます。カンヒザクラにはヒヨドリが花の蜜を吸いに来ていました。
我が家のお墓を作ってくれた石材店に寄って1,800円のお花をいつものように3組買いました。名古屋に来る時はいつも、私の母といとこ関係で岐阜大学教授だった太田更一先生のお墓と、お墓を守る人がいなくなった母の母の出身の荒川家のお墓と、本山家のお墓にお参りします。
石材店に借りたバケツ(花桶)を返しに行くと今日はお母さん(今年90才になるそうです)がおられて、お茶を出して下さったのでしばらくおしゃべりをしました。バケツにホウズキが一杯入っていて、自由にお取りくださいと書いてあったので、私も欲しいと言ったら袋に4~5個入れてくれました。軽いので完全に乾燥状態だと思ったら、中にちゃんと丸い実が残っていました。
墓じまいをしたのか、守る人がいなくなって無縁墓になったのか、空き地になった区画に名古屋市墓地管理事務所の公募の看板が立っていました。管理料の年3,500円は我が家も払っているので驚きませんが、使用量(初回のみ)1,172,300円というのはずい分高いなと思いました。
八事坂を上って中京大学の前辺りを右折すると八事霊園に行きます。カンヒザクラにはヒヨドリが花の蜜を吸いに来ていました。
我が家のお墓を作ってくれた石材店に寄って1,800円のお花をいつものように3組買いました。名古屋に来る時はいつも、私の母といとこ関係で岐阜大学教授だった太田更一先生のお墓と、お墓を守る人がいなくなった母の母の出身の荒川家のお墓と、本山家のお墓にお参りします。
石材店に借りたバケツ(花桶)を返しに行くと今日はお母さん(今年90才になるそうです)がおられて、お茶を出して下さったのでしばらくおしゃべりをしました。バケツにホウズキが一杯入っていて、自由にお取りくださいと書いてあったので、私も欲しいと言ったら袋に4~5個入れてくれました。軽いので完全に乾燥状態だと思ったら、中にちゃんと丸い実が残っていました。
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