主催者の話では、懇親会の席での評判では私の講義は好評だったとのことでした。
せっかく筑波に行くので、筑波山の紅葉を見たいと思って東京在住の私の長姉(12才年長ですので、来週89才になります)に一緒に行きませんかと誘って、筑波研修センターに一緒に一泊しました。どういう施設か事前にチェックをせずに電話で宿泊申し込み(ツウィンの洋室)をしたのが悪かったのですが、個室に電話も風呂もトイレもない昔風の施設でした。廊下の端に位置する共用のトイレと洗面台がありましたが、朝髭を剃ろうと思ってもお湯はなく水だけでした。その分、価格が安く設定してありました。
食堂で朝食後、9時頃チェックアウトをして、自分の車を運転して約30分で筑波山神社の近くのケーブルカーの駅まで行きました。車を近くの茶店(食堂兼土産物店)の駐車場に預けて、ケーブルカーで男体山と女体山の中間の御幸ケ原にある山頂駅(標高800m)まで上りました。数日前に天気予報が変わって、昨日も今日も雨天になってしまい、本来は富士山や東京スカイツリーや関東平野が一望できる筈が、霧で全く何も見えませんでした。
少し休んでからケーブルカーで出発した宮脇駅まで下りて、筑波山神社を訪ねました。りっぱな神社で、境内にはイチョウやスギの大木があり、もみじの紅葉も見事でした。筑波山神社と車を置いた茶店の間には石の階段がたくさんあって、高齢の姉にとっては昇り降りが大変でした。
終戦の時(1945年)には私たちの家族は今の北朝鮮の黄海道廣州に住んでいましたので、12才上の姉は当時3才だった私を負ぶってソ連軍に見つからないように山道を歩いて、連合軍と共産軍の間を分断した38度線を越えて、日本への引き揚げ船に乗れたのだと聞きました。今は加齢による骨粗鬆症などで背中も曲がりすっかり小さくなった姉ですが、この年齢になってもこれだけの石段を昇り降りできた脚力はたいしたものだと思いました。姉が元気なうちは、時々旅行に誘おうと思っています。今回はあいにくの雨になってしまいましたが、姉は弟(私)の講義を聞けたことと、日常とは違う時間を過ごせたことはよかったと言ってくれました。津田塾大学を卒業して長年英語教師をしてきた姉は、今でも毎週木曜には自宅に生徒が来て教えているようです。私もそうありたいと思うようなりっぱな姉です。