1969年からの空手の弟子/友人のFrank B. Peoples 君から、妻と私の様子を確かめる国際電話がありました。ノースカロライナ州でも外出自粛令が出ているようですが、食料はフリーザーに1ケ月分ぐらいは入っているので大丈夫だとのことでした。彼の英語は南部の訛りもあって外国人の私には聞き取り難いのですが、両耳にヒヤリングエイド(補聴器)を付けたと言っていましたので、そのせいか今日は比較的聞き取れました。Frank 君は、私が1969年にノースカロライナ州立大学大学院のPh.D課程に留学した時に学部の4年生で、毎日のように夜まで実験をしていた私の研究室に頻繁に立ち寄って、私が湧かすコーヒーを一緒に飲みながらベトナム戦争その他の話題について会話していたことを思い出します。時々は、日本の家族から船便で送ってもらったチキンラーメン(インスタントラーメン)にお湯を注いで一緒に食べたりもしました。
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後は今年の防除時期に、どういう入札基準で施工業者を選定するかと、受注した造園業者が安全性に配慮した作業をするかですので、注目していこうと思っています。本来は、樹幹注入剤施工後の孔は病原菌が侵入するのを防ぐために、殺菌剤入りのペーストかコルク栓などで蓋をするのが適切な措置だと思いますが。
昨日松戸市役所の帰りに探して見つからなかった岩山稲荷神社の位置をネットで確認して訪ねてみました。以前も寄ったことがある神社で、ビルに囲まれた小高い丘の上にある小さな神社でした。現在の姿からはここも松戸市役所の玄関前の敷地と同じように、洪積世中期(およそ70万年~13万年前)に堆積した貝化石層の一部だったとは想像もできませんが、人口増加に伴って小高い丘の周囲が削られて住宅地になったのでしょう。そういう何十万年という時間のスケールで見ると、目の前の小さな問題で一喜一憂することは馬鹿げたことに思えてきます。東京湾が入り込んで松戸市内も台地を除いて海だった頃は、どんな景色だったのだろうかと想像してしまいます。
岩山稲荷神社がいつ創建されたのかはわかりませんが、そのお蔭でこの小高い丘が開発から守られて残ったのでしょう。参道の麓と中段と上段に3対のお狐様が設置してありますが、3対とも土台のコンクリートに固定された金網が被されているのは異様です。多分何回も盗難に遭ってから氏子がそうしたのでしょうが、稲荷神社のお狐様を盗むとは、信じられないような不心得者がいるものです。
園芸学部研究圃場の元実験池の周りのサクラ(ソメイヨシノ)もモモもナシも満開です。先日気が付いたイヌガヤに似た葉をしている木は近くの木にラベルがあって、コウヨウザンと書いてありました。