2020年5月31日日曜日

長年の空手の弟子/友人のEugene Sanchez 君は、キューバ革命を起こしたカストロ大統領に反発してフロリダに亡命してきた両親の子供でしたが、フロリダ州立大学卒業後ノースカロライナ州の電力会社にエンジニアとして勤務していた時に私の道場に入門して一緒に稽古に汗を流しました。アメリカ人女性と結婚して二人の娘、Morgan(姉)とMelanie(妹)、が生まれましたが、間もなく奥さんが家を出て離婚してしまいました。稼いだ給料の大半を子供の養育費として元奥さんに渡すという生活でしたが、娘たちを大変可愛がっていました。姉のMorgan はNorth Carolina State University (NCSU) at Raleighに進学し、妹のMelanie はライバル校のUnmiversity of North Carolina (UNC) at Chapel Hillに進学し、妹のMelanie が5月に大学を卒業した記念にFacebookに写真と娘への祝辞をアップしました。私はこの姉妹が赤ん坊だった頃からよく知っていますので、私も嬉しい気持ちになりました。



園芸学部の研究圃場には今ちょうど白い紐状の花をびっしり咲かせている木があります。花はスダジイにちょっと似ていますが葉が違います。葉はクヌギにちょっと似ていますが、花が違います。
研究圃場の林を縄張りにしているハシブトガラスのつがいは、私が下を通ると樹上からいつも威嚇してきますので、後ろから頭を突かれないように用心して歩くようにしています。
ツバキのチャドクガ幼虫は相変わらずあちこちで大発生しています。
園芸学部の百周年記念ホールの玄関前には、庭園管理を請け負っている職員が盆栽や花植木などで飾ってくれていますが、周辺住民の中には散歩のついでに持ち帰る人がいるいらしく、注意書きが掲示されていました。生協横の茂みでの猫の餌やりも続いているらしく、さらに新しい注意書きが掲示されていました。
A棟前庭園にある3つの小さな池の1つでは白メダカが泳いでいました。私は以前、試験終了後に生き残ったヒメダカを隣りの池に放飼したことがありますが、その後誰かが別の池に白メダカを放飼したようです。










 




アメリカオニアザミは大きく育ちすぎて側を通る人が棘に刺されて危ないと思ったのか、誰かに刈り倒されてしまいました。側を通る度に花が咲くのを観察していましたのでちょっと残念な気がしましたが、止むを得ません。株元を見たら、石塀の割れ目から自生していましたので、繁殖しようとする生存力はすごいなと思いました。





江戸川の堤防に自生しているクワの葉に発生しているチョウ目幼虫は、アメリカシロヒトリの若齢幼虫のようです。
ふれあい松戸川沿いのフィッシングスポットには、釣竿を置く木の二股が地面に挿し込んでありました。自生のサワグルミの実は段々大きくなっていますが、太い幹の他に途中から10本の枝が分かれて張っていました。自生のサクラの木も黒紫色の熟した実がなっていました。











この辺りは成田空港を飛び立つ飛行機が頻繁に見られていたのが、新型コロナウイルスの問題が発生して以来、キャンセル便が続出して最近はあまり見ないなと思っていました。今日は機首を鋭角にして飛び上がるANAの飛行機が1機見えました。

2020年5月30日土曜日

我が家の台所には鹿児島産と書いてあるオクラがありました。妻によると国産のものは少し値段が高く、1袋(8本入り)で160円ぐらいだったそうですので、1本約20円ということになります。私は日本にいる時は妻が料理してくれた食事を食べるだけで自分で食材の買い物をしたことがありませんので、つい自分が食べている野菜の値段に興味が湧いてきます。さらに、この野菜を作ってくれた農家にとってはいくらの収入(利益)になったのだろうかと想像してしまいます。


いつものように午後からは園芸学部構内を通って江戸川堤防に行き、葛飾橋を渡って金町側に行き、上流に向かって左岸の堤防をウォーキング/ジョギングしました。
園芸学部の運動広場の隅には、ニセアカシアの若木が自生していて、黄金色の葉がひときわ明るく目立っていました。
A棟前の庭園の池にはちょっとピンクがかった白いハスの花が咲いていました。
アメリカオニアザミは誰かが先に咲いた3本の花を切り取っていました。
葛飾橋近くの堤防に自生しているクワの木の葉にはアメリカシロヒトリ?と思われる幼虫が発生していました。
上葛飾橋を渡って松戸側堤防に戻りましたが、河川敷のお花畑にはポピーの花が咲き乱れていました。
























古ヶ崎では堤防を下りて水田の様子を見てきました。
農家の垣根の側のマキの木には珍しく花が咲いていました。
納屋川岸の青木源内家は代々青木源内を名乗っていると聞いたことがありますが、保全されている昔風の黒と白の塀が以前よりも鮮やかに見えましたので、もしかしたら塗装をし直したのかなと想像しました。



 






タイ料理店は掲示で予告してあった通り、OPENの看板が掛かっていましたので、今日から営業を再開したようでした。新型コロナウイルスの感染者数は少なくなったとはいえ、まだ終息したわけではありませんので、果たしてどれぐらいお客が入っているかどうか・・。私も近いうちにタイ料理を食べに寄って見ようと思っています。


全国農薬協同組合(全農薬)の技術顧問のM氏は、農水省の植物防疫関係の部署に勤務後に転職して技術顧問に就任され、全国各地での消費者対象の農薬シンポジウムの開催に貢献されましたが、この程退職して後任に席を譲られるとのご挨拶のメールをいただきました。シンポジウム終了後は毎回、地元の主催者やパネルディスカッション参加者やM氏らと慰労会を兼ねた懇親会をやるのが常でしたので、懐かしく思い出されます。
また、東京農業大学総合研究所研究会農薬部会の幹事として、何年間にもわたって特別講演や部会セミナーの企画に貢献されたS社のH氏からも、5月末で退職して幹事を後任と交代するとのご挨拶をメールでいただきました。H氏は国際アグロ事業部登録部所属でしたので、文献収集に加えて海外の農薬事情についていろいろ情報提供をしていただきました。これからは週3日子会社での勤務になるそうですが、OBとして農薬部会のセミナーや特別講演には引き続き参加していただけるものと期待しています。