2022年12月31日土曜日
我が家の台所にはレンコンとサトイモがありました。今日は大晦日(おおみそか)ですので、妻が年越し蕎麦(そば)と煮つけを出してくれました。レンコンは酢の物にするとのことです。
ぎりぎりになりましたが、やっと年内に年賀状を打ってプリントし終わりましたので松戸郵便局の本局のポストに投函してきました。松戸神社は電灯証明がついて、除夜の鐘の後に初詣に来る人を迎える準備をしていました。ついでに江戸川堤防まで足を延ばしてみたら、午後4時半で夕焼け空に東京スカイツリーが浮かんで見えました。上空には半月が上っていました。
明日元旦の朝7時には、東京に住んでいる息子が設定したオンラインでのチャットをする予定です。カリフォルニア州のサンタモニカ在住の娘の家族も参加しますので、孫たちも含めて家族全員が顔を見ながら話ができるので楽しみです。幸い、私の家族は今年も無事過ごすことができました。しかし一方で、92才の私の長姉が脳梗塞で東京女子医科大学病院に入院していることと、千葉大学時代の同級生で空手部でも一緒だった友人の小杉荘八君が糖尿病、腎臓機能低下、視力の悪化、脳梗塞の後遺症でリハビリ病院に入院していますので、心配です。また、元千葉県職員で旧知のW氏は肺がんのステージ4で、治療方法がなく痛み止めだけを処方されている状態です。
2022年12月30日金曜日
アメリカ人の剣道の弟子/友人のRobert(Sleeth) Mitchel君がフェイスブックにJanis Ianという人のクリスマスツリーのような形に本を配置した本棚の写真を共有してくれました。Robert君自身もバンジョウという庶民的な楽器で中世ヨーロッパの音楽を弾く音楽家ですが、このところ何年も会っていませんので今でもバンジョウを弾いているかどうかはわかりません。1970年代にノースカロライナ州のRaleigh市に住んでいた頃、よく冬でも暖房のない屋根裏部屋に住んでいた彼の家(部屋)を訪ねたことを思い出します。
昨日のウォーキングの帰りに、比較的最近開店した居酒屋の前を通りましたが、いつ見てもお客はいないようですので、いつまでビジネスを持ちこたえられるかちょっと心配です。私も最近はほとんどお酒は飲みませんので。近所ののヤマボウシの木にはまだ1つだけ赤い実がなっているのが見つかりました。
2022年12月29日木曜日
東京女子医科大学のタクシー乗り場で朝0時に姪と待ち合わせをし、病院入り口のロビーの看護師が持参して渡してくれたiPadを使って、姉と約5分間リモート面会ができました。ベッドに寝ている姉はすっかり容貌が代わって(痩せてやつれて)いましたが、弟の直樹だと告げて、最近松戸に来られた中国の東北大学教授はハルピンから来られたけど、ブラジルに渡った父が昔満州鉄道に勤めていた時は本山家はハルピンに住んでいたので姉さんはハルピンで生まれたのかと訊きましたら、違う、タイレン(大連)だと答えました。しかし、一部話が嚙み合わないところもあり(例えば私が帰ると言ったら、どこに帰るのかと言ったり)、脳梗塞の影響で一部神経回路がダメージを受けて記憶が失われてつながらない様子でした。妻にも見せられるようにiPadの中の姉の写真を撮りましたので、息子と娘にも送って様子を知らせてあげようと思います。
以前松戸にあって利用していたパソコンの修理店が今は南柏駅前に移転しましたので、午後から訪ねてみました。あいにくすでに年末・年始の休業期間に入ったらしく営業していませんでしたが、場所がわかりましたので、年が明けて営業再開したら、読みだせなくなった外付けのハードディスクを持って行ってデータを回収できるか相談してみようと思っています。南柏駅のエスカレーター横の壁には、エスカレーターでは歩かずに立ち止まって利用するようにというポスターが掲示してありました。関東ではエスカレーターの左側(関西では逆に右側)に立って、右側は歩いて上り下りする人のために空けるというのが習慣化して長い行列ができていますので、これからは堂々と右側に立って乗ろうと思います。南柏駅西口近くの公園にはりっぱなアカマツの大木が立っていました。こんな住宅地に囲まれた公園にこんな大木が残っているのは珍しい気がしました。開発される前はこの辺りにはアカマツ林があったのかもしれないと想像しました。
帰りはわざと遠回りして江戸川をウォーキングしてきました。近所には赤い実のなっている庭木がありました。まだ鈴なりの柿の実がなっている木があり、まるで絵に描いた柿のようで見事でした。コンビニが閉店して置き換わったフィットネスジムには、「セルフエステ」の宣伝も書いてありましたが、中は見えないので私には何をするのか想像ができませんでした。松戸駅西口前の道路と旧水戸街道の交差点近くに設置してある看板には旧水戸街道と旧松戸宿の説明と写真が展示してありますが、汚れてよく見えません。松戸市役所は一度設置すれば終わりではなく、時々見回って、劣化した展示はきれいなものと取り換えてもらえるとありがたいのですが・・。今年初めて玄関の前に門松が飾ってあるのを見ました。
江戸川の松戸側堤防から、雪を被った富士山が幽かに見えました。江戸川とふれあい松戸側の交差するところでは水鳥の群れがいて、拡大してみたらオオバンでした。
我が家の出窓に置いてあるデンマークカクタスは、たくさんの花が咲いてずいぶん楽しみましたが、花が少しずつ萎れてきましたので、妻が全部で147個の花を摘み取って昼間はベランダに出すようにしたら、葉の先に蕾がたくさん出てきました。
2022年12月28日水曜日
東京在住の姪から電話があり、明日の朝10時に待ち合わせをして東京女子医科大学に脳梗塞で入院している私の長姉のお見舞いに行くことになりました。お見舞いと言っても、病院内の施設からパソコンの画面でお互いの顔を見るリモート面会になるようです。直接間近で面会できないのは残念ですが、新型コロナウイルスの感染者数が増加している時期ですから、仕方がありません。長姉は92才で、以前帯状疱疹にも罹ったことがありますので、心配です。
電気スリッパを買いに、近所のヤマダ電機に歩いて行きました。途中の民家の庭には細い幹に鋭い棘(トゲ)がたくさん付いていて、モミジのような形の大きな葉の木がありました。ネットで調べたところ、ハリギリという木ではないかと思いましたが、自信はありません。それにしても、何かに食べられてしまわないように幹に棘を付けて守っているのでしょうが、植物の適応・進化は面白いなと思いました。国道6号沿いの民家の庭にはキンカンの木があり、橙色の奇麗な実が鈴なりでした。
ヤマダ電機に先日来た時は、両足を一緒に入れる電気スリッパしか見つかりませんでしたが、今日は念のために店員に訊いてみたら、左右が別々の電気スリッパがありました。1万2千円もして高額でしたが、買ってきました。今まで使ってきた足を乗せるだけのアンカ形の電気ヒーターよりも温かいので、いい買い物だったと思います。我が家では、電気代節約のために冬季にエアコンの暖房を使いませんので、厚着と足元の暖房だけで過ごしていますが、台所の料理の熱だけで部屋がある程度温まり、結構快適に過ごしています。
どうしようか迷いましたが、結局思い切って来年3月26日(日)に開催される第40回佐倉マラソン~小出義雄メモリアル~の「10km一般の部男子60才以上」に参加申し込みをし、参加料6,000円+手数料330円も払い込みました。80才になった記念のチャレンジです。大会までまだ約3ケ月ありますので、これから計画を立ててこつこつトレーニングをして、制限時間の1時間半以内に完走できるようにするつもりです。昔はこの大会のフルマラソン(42.195km)の部に毎年参加し、確か53才の時に自己ベストの3時間35分で走りました。あれから時間が経って今は80才ですし、体重も減らさなければなりませんし、心臓弁膜症の初期の症状があるとも診断されていますので、無理をせずに10kmの部で走ることにしました。
2022年12月27日火曜日
先週23日(金)に市民会館で開催されたA県議会議員の県政報告会に顔を出してみたら、議員本人の手書きの葉書による礼状が届きました。政治家というのは、常にできるだけ多くの市民(有権者)と交流するというのが日常活動なのでしょうが、大変だなと思いました。早速、こちらからも矢切の農耕地の虫食い状態の問題を指摘した返信メールを送りました。政治家に取り組んでもらいたい問題を知らせるのは、市民の役割だと思いましたので。昨日ウォーキングから戻ってきたのはちょうど日没の時間帯になりましたが、園芸学部のB研究棟のガラス壁には日没の景色が映っていました。E棟裏にはクスノキの大木の後ろにドウダンツツジが3株植栽されていて、ちょうど真っ赤に紅葉していて奇麗でした。
園芸学部には普段は比較的少数のハシブトガラスが生息していますが、時々どこかからハシボソガラスの大きな群れが侵入して縄張り争いが起こります。今はハシブトガラスが優勢(というか、ハシボソガラスの群れはどこかに出て行っていなくなった?)なようです。
2022年12月26日月曜日
打ち合わせ通り、午前10時からオンラインで成田市甚兵衛の森で実施した松くい虫防除のマツグリーン液剤2(アセタミプリド2%)散布に伴う作業者曝露の調査結果の検討会がありました。あらかじめ共有していた分析結果とそのグラフ化した資料を見ながら提案をし、来年3月の日本農薬学会大会で発表する計画を立てました。散布作業者2枚、監視作業者3名の経皮曝露量、吸入曝露量、尿中排泄濃度を散布前後5日間測定した貴重な知見が得られています。
午後からは小山を流れる坂川沿いに矢切の農耕地にウォーキングに出かけました。坂川は一時期家庭の雑排水や汚水が流入して非常に汚いどぶ川のようになった時期がありましたが、その後改善計画が策定されて、昔の清流とまではいきませんが今はかなり水質が良くなっています。最後の将軍徳川慶喜(1837-1913年)が、戸定ケ丘の上にある弟の徳川昭武の別邸に宿泊して坂川の写真を撮ったのは明治38年(1905年)とのことなので、68才の時で、日露戦争が終わった年ということになります。人々が川の水で野菜を洗っているように見えますので、当時の坂川は清流が流れていたのでしょう。
矢切の農耕地には見事なネギ畑がある一方で、耕作放棄地があちこちに存在しているのは残念です。産業廃棄物処分場と耕作放棄地を何とかして、生産緑地を復元したいものです。
矢切の農耕地の間を流れる坂川にはいろいろな水鳥が来ていました。富士山も幽かに見えました。ついこの間まで住宅に囲まれた農地だった場所を埋め立てて宅地化する工事が進行中ですが、工事関係者に対する安全喚起の看板が立っていました。
登録:
投稿 (Atom)