2024年10月1日火曜日
中華料理店福新の解体工事を見てから園芸学部の研究圃場に行きました。近所の家の庭には酉の嘴のような形をしたアメリカデイゴ(カイコウズ)の真っ赤な花が咲いていました。千葉大学空手部昭和41年度卒業生有志が2008年頃寄贈して植えた桜(ソメイヨシノ)の小さな苗はりっぱに育ちましたが、私が定年退職して誰も管理をしなくなってからは雑草が繁茂して、垣根から蔓性植物が登ってきて絡みついていました。近くにあったキンモクセイの木を伐採して、垣根も撤去して雑草も一度は除草剤で除去したのですが、しばらく見に行かなかったらまた一面が雑草に覆われていました。伐採したナシの木もモクレンの木も切株がまだ生きていてひこねが生えていました。
現職時代に芝生を植えて実験圃場として使っていたところはまるでジャングルのように雑草が繁茂し、電線に絡みついて危険な状況でした。クモの巣網にセミ(と思われる)昆虫が捕獲され、大きなジョロウグモと思われるクモが捕食していました。生協前広場には就職ガイダンスの立て看板が設置してありましたが、全部公務員(農水省、環境省、千葉県、千葉市)でした。先日参加した同窓会の席で、公務員の志望者が減って競争率は2倍程度に下がって危機意識を持っていると話していました。旧正門前の大イチョウの葉はまだ緑色ですが、上の方には熟した銀杏がたくさんなっていました。
小山(こやま)の農家杉浦邸の屋敷内に建築中だった家屋はほぼ完成していました。その横の敷地は建物を建てる準備がしてありました。久し振りに矢切の農耕地を見に行きましたが、上矢切の民家の庭の柑橘の葉にはアゲハチョウsp.の比較的若齢の幼虫がいました。塚田工務店前の掲示板には新しい作品が展示されていました。上矢切第3町会のおまつりのお知らせと神明神社の幟旗(のぼりばた)が立っていました。
唐澤農園の水田は、稲刈り後に発生したひこばえを除草してありました。千葉大学園芸学部作物学研究室の名前が書いてある水草を入れたコンテナは、まだ水田横の畦に置いたままでした。坂川親水広場は雑草が伸び放題でしたが、除草されて歩けるようになっていました。隣接する畑には肥料と一緒にキャベツの苗が定植してありました。
日没時の空には夕陽が映える雲がきれいでした。このあたりが選挙区の自民党衆議院議員のポスターや、地元選出の松戸市議会議員の看板や、社民党のポスターが掲示してありました。帰りは正門前の国道6号の上の歩道橋に上ってみたら、西の方向に東京スカツリーと富士山が見えました。
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