樹木医のA氏は松戸駅に9時ちょっと過ぎに着いたので、先に大学に寄って先週平砂浦から採取してきたマツ苗の保管状態を一緒にチェックし、問題がないことを確認しました。
10時に松戸駅に戻って、同行する残りの二人を乗せて4人で平砂浦に向かいました。京葉道路と館山自動道のいつも渋滞しがちなところが今日は全く渋滞がなかったので、現地には12時20分頃到着しました。昼食は抜いて、早速計画した通りの試料採取と試験紙を用いた2価鉄イオンの測定を試みました。
作業が終わって館山ファミリーパークの食堂(ひもの屋)で遅い昼食を食べてから、館山駅に着いたのは15時15分くらいで、私たちを待っていて下さった安部 浩先生と一緒に皆でコーヒーを飲みながら顔合わせと情報交換をしました。二人は16時1分発の特急列車で東京に向かい、私を含めて残りの二人は私の車で帰宅の途につきました。ちょうど調査が終わった頃にポツポツ小雨が降り出したのが、途中で土砂降りに変わり、松戸に着いた時には雨はすっかり晴れあがっていました。帰りは一部の箇所で渋滞が発生していたので、自宅に着いたのは19時30分頃でした。
2014年4月6日日曜日
2014年4月5日土曜日
走友会の練習会は、いつものように江戸川堤防の葛飾大橋を出発点として上流に向かって各自のペースで各自の距離を適当に走って下さいという指示のもとに走り出しましたが、走り出した途端にいつものように競争になって皆必死に走っていました。みるみる皆の後姿が遠くなり、視界から消えました。私は今の体調(体重)ではとても皆にはついていけないことがわかっていましたので、無理をして心臓が止まらないように自分に可能なゆっくりしたペースで往復6Km を走ってきました。
帰ってきてから大学生協の奥の部屋で楽しい懇親会をしました、約20年前に走友会が発足した時のメンバーが私のように定年退職したり高齢化して、もっと若手の教職員が入会してくれないと活気がでなくて先細り状態になりそうだという話題になりました。20年前に比べると、教員も事務職員も余裕がなくなっているという見方で一致しました。
何年か前に千葉大学空手部の昭和41年度卒業生の何人かの有志が寄贈して園芸学部の実験圃場の一部の植えてくれた桜の木が、生長して満開の花を咲かせるようになりました。
帰ってきてから大学生協の奥の部屋で楽しい懇親会をしました、約20年前に走友会が発足した時のメンバーが私のように定年退職したり高齢化して、もっと若手の教職員が入会してくれないと活気がでなくて先細り状態になりそうだという話題になりました。20年前に比べると、教員も事務職員も余裕がなくなっているという見方で一致しました。
何年か前に千葉大学空手部の昭和41年度卒業生の何人かの有志が寄贈して園芸学部の実験圃場の一部の植えてくれた桜の木が、生長して満開の花を咲かせるようになりました。
2014年4月4日金曜日
明日の千葉大学走友会の練習会の準備として、江戸川堤防を8Km走ったり歩いたりしてきましたが、すぐ息が切れてとても皆の練習についていける体調ではないことを自覚しました。明日は無理をせずに、マイペースで行けるところまで行って帰ってくるしかありません。江戸川堤防上では風が吹いていて、桜の花びらがまるで雪が舞うように風に流されてハラハラと散っていました。
その後、長期入院している友人・元同僚教授のN君を見舞いに行きました。寝たきりで外に出られないので、最近撮った満開の桜とその他の植物の写真をプリントして持って行って見せました。東京農工大学名誉教授の福嶋 司先生が朝日百科「植物の世界」に書いた「火災を防ぐ植物」という解説記事もコピーをとって持参して、説明をしてあげました。福嶋先生が東京農工大学に転勤する前は、千葉大学で助手をしていてN先生も私も助手で一緒の時代を過ごしたことがあるからです。平砂浦で取り組んでいる調査研究についても話してあげて、松を枯らすマツノザイセンチュウの新しい感染経路を世界で初めて証明できるかもしれないと自慢したら、顔をくしゃくしゃにして「あーっ、うーっ」と絞り出すような声を出しました。よく昔彼もいい研究結果がでた時は私のところに来て、どうだこれは世界で初めてだと自慢をしていましたので、何かを言いたかったのでしょう。
今日は幸い奥様が来ておられ、私が行くまではN君にイヤホンで音楽を聞かせたり、本を読んであげたりしていました。私がしばらくして帰る時には、今日はN君が久し振りにいい顔をしていると言ってくれました。私がわざと研究自慢をして刺激をしたので、血が騒いで血行がよくなったのかもしれません。
その後、長期入院している友人・元同僚教授のN君を見舞いに行きました。寝たきりで外に出られないので、最近撮った満開の桜とその他の植物の写真をプリントして持って行って見せました。東京農工大学名誉教授の福嶋 司先生が朝日百科「植物の世界」に書いた「火災を防ぐ植物」という解説記事もコピーをとって持参して、説明をしてあげました。福嶋先生が東京農工大学に転勤する前は、千葉大学で助手をしていてN先生も私も助手で一緒の時代を過ごしたことがあるからです。平砂浦で取り組んでいる調査研究についても話してあげて、松を枯らすマツノザイセンチュウの新しい感染経路を世界で初めて証明できるかもしれないと自慢したら、顔をくしゃくしゃにして「あーっ、うーっ」と絞り出すような声を出しました。よく昔彼もいい研究結果がでた時は私のところに来て、どうだこれは世界で初めてだと自慢をしていましたので、何かを言いたかったのでしょう。
今日は幸い奥様が来ておられ、私が行くまではN君にイヤホンで音楽を聞かせたり、本を読んであげたりしていました。私がしばらくして帰る時には、今日はN君が久し振りにいい顔をしていると言ってくれました。私がわざと研究自慢をして刺激をしたので、血が騒いで血行がよくなったのかもしれません。
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