残された滞在期間も今日と明日の2日だけになりました。毎年同じ台所付きの長期滞在用のモーテルを利用していますので、郷里に帰ってきたような感じです。エレベーターの壁には1年前と同じ宣伝のポスターがそのまま貼ってありました。
町はハロウィーンの雰囲気で、時々変な飾り付けをした車を見ます。昔家族と一緒に買い物に行ったクラブツリー(Crabtree)というショッピングセンターのモールがどうなっているか見に行ってきました。お客さんの前で派手なショーを見せる鉄板焼きの日本料理店Kanki(歓喜)は、新たにヌードル(麺類)バーを併設していましたが、メニューを覗いてみたらラーメンのようでした。もう一軒の日本料理店はチキンの照り焼きをやっていました。
車で道路を運転していると、時々信号の手前の道路際でホームレスだとか失業中で助けが必要と書いたポスターを手に持ってチップを貰っている人を見かけますが、今日は駐車場で大きな音量で音楽をかけながらアコーディオンを弾いている人を見ました。チップを入れる箱に$5を入れて、了承を得てから写真を1枚撮らせてもらいました。見ていたら、結構何人もの人がチップを入れていました。ポスターには4人の子供がいて、食べ物、赤ちゃん用の食べ物、おしめが必要、神様のご加護をと書いてありました。
どこまでが本当に困っている人たちなのかわかりませんが、アメリカは社会の分断と格差で今こういう状況なのだろうと思いました。
朝の運動と午後の空手の稽古もしましたが、夕方は一人でLake Johnsonに最後のウォーキング/ジョギングに行きました。今日は一日中曇り空でしたが、遊歩道の木立の間から見る湖の景色はいつもの通り素敵でしたし、倒木に生えているキノコ類も輪廻(生命の循環)を感じさせてくれました。
少しずつ紅葉が見られるようになりました。街中が紅葉に染まるのは、私の帰国後になりそうです。
昔の空手の弟子の一人のAl RuRuggiero君からメールが届き電話をしてほしいとのことだったので、電話をして何十振りかで話ができました。昔空手をやっていた頃はイタリア系のティーンエイジャーで半分不良がかっていましたが、今は車で1時間半ぐらいの距離のGreensboroという町に住んでいて、農家とミツバチ飼育と不動産管理をしているとのことでした。農業は300エーカーの土地で主にブドウを栽培しているとのことでしたので、急遽明日訪ねて見に行くことにしました。私の借りているレンタカーにはカーナビ(GPS)が付いていないので、Frankに頼んで彼の車で一緒に行くことにしました。朝8時半に出発すれば、現地で3時間ぐらい過ごして、Margieさんが台所用品や残っている食品を引き取りにくることになっている午後3時までにはモーテルに帰ってこれます。
最後の最後になって、面白いものが見られそうです。
2018年10月27日土曜日
2018年10月26日金曜日
朝から一日中強い雨が降っていましたので、朝のSymphony Lakeでの運動も午後のLake Johnsonでの運動も中止して、モーテルの部屋での空手の稽古を1時間ぐらいだけしました。
ノースカロライナ州立大学のMike Roe教授の研究室に帰国の挨拶に寄る前に、大学構内を傘をさして少し歩いてみました。昔構内を走っている鉄道線路の脇にあった筈のStudent Supply Store(学生用売店)と、体育館の前にあったStudent Center(学生センター)が無くなっていて、代わりに新しいStudent Union(学生会館)ができていました。まるでショッピングモールのような巨大なしゃれた施設で、中には食堂や本屋や売店もあり、大勢の学生が利用していました。
昔はアメリカではごみは分別せずに何でも一緒に大きなダンプスターに放り込んでいましたが、学生会館の中に設置してあったゴミ箱は堆肥化できるごみと、リサイクル資源になるごみと、ゴミ処分場で埋め立てにされるごみ、の3種類に分別されていました。
昔(少なくとも1969年)からあったカーマイケルジムは今もありましたが、その横にあった体育施設は取り壊されて、日本のスポーツジムのような新しい施設の建設工事中でした。
驚いたことに大学構内に選挙運動のポスターがずらっと並んでいて、期日前投票所(Early Voting Site)に指定されている大学会館の3階の部屋に行ってみたら、日本の投票所と同じように入口と出口が別になっていて、投票資格の確認をしたら、候補者の名前が並んで印刷されている縦長の投票用紙を渡されて、仕切りのあるテーブルの上で〇か×かチェックか(遠くで見えませんでした)の記号を書き込んで投票箱に入れていました。連邦議会の選挙だけでなく、州レベルや郡レベルのいろいろな選挙も同時に行われているらしく、教育委員会委員とか、地方検事とか、高等裁判所判事とか、州の控訴裁判所判事、などのポスターが並んでいました。
期日前投票所だけでなく、Curbside Votingの投票所の案内があって、身体障害者マークが付いていました。後でFrankにどういう意味か訊いてみたら、身体障害者などが車に乗ったまま投票できる場所のようでした。
大学会館内で期日前投票所の場所を探してうろうろしていたら、中年の女性に階段を上って上の階だと道案内されましたが、デモクラッツ(民主党員)らしく民主党員の全候補者の名前が印刷された紙を渡されました。裏には、州憲章の改正には全部反対(Against)し、学校支援のボンド(債券)発行には賛成(Yes)と投票するように書いてありました。投票所近くでは選挙活動は禁止のポスターが立っていましたので、違反ぎりぎりのところでの活動をしていたのでしょう。
夕方5時半にFrankがモーテルに迎えに来て、彼の車でMargieさんの娘のSarahの家に行きました。昨日の電話で夕飯は食べないと言っておいたのですが、行ってみたら美味しいディナーが準備してありました。私たちが行ったので、普段は大人と一緒の食卓で食べる子供たちは小さな子供用のテーブルで食べていました。
お兄ちゃんのJackson君(4才ぐらい?)と妹のElle(Ellenorの略称)ちゃん(2才ぐらい?)が両親の愛情いっぱいに育てられている様子がよくわかりました。先日Beaufortで会ったJenniferの男の子J.C.(Joseph Clementの略称)もそうですが、愛情の下で育てられている子供は素直で、幸せそうです。
ノースカロライナ州立大学のMike Roe教授の研究室に帰国の挨拶に寄る前に、大学構内を傘をさして少し歩いてみました。昔構内を走っている鉄道線路の脇にあった筈のStudent Supply Store(学生用売店)と、体育館の前にあったStudent Center(学生センター)が無くなっていて、代わりに新しいStudent Union(学生会館)ができていました。まるでショッピングモールのような巨大なしゃれた施設で、中には食堂や本屋や売店もあり、大勢の学生が利用していました。
昔はアメリカではごみは分別せずに何でも一緒に大きなダンプスターに放り込んでいましたが、学生会館の中に設置してあったゴミ箱は堆肥化できるごみと、リサイクル資源になるごみと、ゴミ処分場で埋め立てにされるごみ、の3種類に分別されていました。
昔(少なくとも1969年)からあったカーマイケルジムは今もありましたが、その横にあった体育施設は取り壊されて、日本のスポーツジムのような新しい施設の建設工事中でした。
驚いたことに大学構内に選挙運動のポスターがずらっと並んでいて、期日前投票所(Early Voting Site)に指定されている大学会館の3階の部屋に行ってみたら、日本の投票所と同じように入口と出口が別になっていて、投票資格の確認をしたら、候補者の名前が並んで印刷されている縦長の投票用紙を渡されて、仕切りのあるテーブルの上で〇か×かチェックか(遠くで見えませんでした)の記号を書き込んで投票箱に入れていました。連邦議会の選挙だけでなく、州レベルや郡レベルのいろいろな選挙も同時に行われているらしく、教育委員会委員とか、地方検事とか、高等裁判所判事とか、州の控訴裁判所判事、などのポスターが並んでいました。
期日前投票所だけでなく、Curbside Votingの投票所の案内があって、身体障害者マークが付いていました。後でFrankにどういう意味か訊いてみたら、身体障害者などが車に乗ったまま投票できる場所のようでした。
大学会館内で期日前投票所の場所を探してうろうろしていたら、中年の女性に階段を上って上の階だと道案内されましたが、デモクラッツ(民主党員)らしく民主党員の全候補者の名前が印刷された紙を渡されました。裏には、州憲章の改正には全部反対(Against)し、学校支援のボンド(債券)発行には賛成(Yes)と投票するように書いてありました。投票所近くでは選挙活動は禁止のポスターが立っていましたので、違反ぎりぎりのところでの活動をしていたのでしょう。
夕方5時半にFrankがモーテルに迎えに来て、彼の車でMargieさんの娘のSarahの家に行きました。昨日の電話で夕飯は食べないと言っておいたのですが、行ってみたら美味しいディナーが準備してありました。私たちが行ったので、普段は大人と一緒の食卓で食べる子供たちは小さな子供用のテーブルで食べていました。
お兄ちゃんのJackson君(4才ぐらい?)と妹のElle(Ellenorの略称)ちゃん(2才ぐらい?)が両親の愛情いっぱいに育てられている様子がよくわかりました。先日Beaufortで会ったJenniferの男の子J.C.(Joseph Clementの略称)もそうですが、愛情の下で育てられている子供は素直で、幸せそうです。
2018年10月25日木曜日
太陽が昇る前のSymphony Lakeの水面には満月が映っていました。
朝焼け空の下で今朝も水面から朝もやが立ち昇っていて、半袖のTシャツの代わりに長袖を着て、その上に薄いウィンドブレイカーを着ても寒くて手がかじかむぐらいでした。多数のカナダガンが来ていたのでざっと数えたら30頭ぐらいの群れでした。昨日上空を飛行していた群れも30頭ぐらいでしたので、同じ群れかもしれません。いつものように重い八角の素振り刀の素振り200回と往復4.4Kmのウォーキングをしました。
昼ちょっと前にモーテルの近くのウォルマートに寄って造花を5組買いました。郵便局で妻への7通目の手紙を投函した後、ハイウェイ70号沿いにあるRaleigh Memorial Park(墓地)に行きました。恩師のDauterman先生と奥様と長男のお墓が3つ並んでいて、弟夫妻のお墓とご両親のお墓が近くにあります。それぞれにお花を捧げて、手を合わせて先生に話しかけてきました。
午後からはモーテルの部屋で空手着に着替えて空手の稽古をし、汗びっしょりになりました。4時頃Frankが来たので一緒に車でLake Johnsonにウォーキングに行きました。彼と一緒にウォーキングができるのは今日が最後になる筈です。East Loopは舗装されていて、途中2~3か所ある急勾配の坂道も苦にならないのですが、West Loopは全く舗装されていなくて、後半は特に木の根が道のあちこちで横切っていたり、尖った大きな石があったりでよっぽど気を付けて歩いたり走ったりしないと危険な道です。
Frankが木の根につまずいて1回目転倒した時は比較的すぐ起き上がれたのですが、なかなか私の後に付いて来ないので引き返してみたら2回目の転倒をして、しばらくは起き上がれない状態で地面に横たわっていました。夕方の時間で気温が下がってきて手がかじかんできたので、Gパンのポケットに両手を突っ込んだまま歩いていたらしく、顔面を地面に打って出血し、片方の手の甲からも出血していました。眼鏡がすっ飛んで近くの草むらに落ちていましたが、フレームが変形しレンズも片方に傷がついていました。
ボートハウスに戻ってトイレの水道で手の甲と顔の傷口の土を洗い流してから、事務所に行って救急箱から消毒用のアルコールを浸み込ませた小さなガーゼを貰ってできるだけ消毒しましたが、Frankも血液が固まらないような薬(こちらではBlood Thinnerと言います)を服用しているのでなかなか出血が止まりませんでした。ガーゼを傷口に当ててテープで止める応急処置をして、車でモーテルに帰る途中でウォルマート内のファーマシイ(薬局)に寄って、消毒薬とバンドエイドを買いました。モーテルの部屋でもう一度水道水で傷口をきれいに洗ってから、私が持ってきた小さなピンセットとハサミを消毒し、破れてぶら下がっている皮膚を切り取って消毒薬を吹きかけて土を取り除きました。手の甲の傷口にはバンドエイドを貼って、顔の傷口は消毒だけしてそのままにしました。目の下を地面に強打したらしく、黒く腫れ上がってきました。触っても痛くはないと言うので、骨が折れたのではなく、Blood Thinnerの影響で内出血が止まらないのと打ち身の腫れだろうと想像しました。
夕食を一緒に食べてから、メガネは近くの字を読むためで、運転には差し支えないと言って車を運転して自宅に帰りました。
Frankにとっては昨日と今日の2日連続の私と一緒のウォーキングで足が疲れていて、足元の悪い坂道で木の根を跨ぐ時に足が十分持ち上がらなくて躓(つまず)いたのではないかと思います。
記念にFrankの顔の写真を1枚撮っておきました。破傷風の予防注射は打ってあると言っていましたので、明日の朝起きて具合が悪かったら医者に診てもらうように勧めておきました。
朝焼け空の下で今朝も水面から朝もやが立ち昇っていて、半袖のTシャツの代わりに長袖を着て、その上に薄いウィンドブレイカーを着ても寒くて手がかじかむぐらいでした。多数のカナダガンが来ていたのでざっと数えたら30頭ぐらいの群れでした。昨日上空を飛行していた群れも30頭ぐらいでしたので、同じ群れかもしれません。いつものように重い八角の素振り刀の素振り200回と往復4.4Kmのウォーキングをしました。
昼ちょっと前にモーテルの近くのウォルマートに寄って造花を5組買いました。郵便局で妻への7通目の手紙を投函した後、ハイウェイ70号沿いにあるRaleigh Memorial Park(墓地)に行きました。恩師のDauterman先生と奥様と長男のお墓が3つ並んでいて、弟夫妻のお墓とご両親のお墓が近くにあります。それぞれにお花を捧げて、手を合わせて先生に話しかけてきました。
午後からはモーテルの部屋で空手着に着替えて空手の稽古をし、汗びっしょりになりました。4時頃Frankが来たので一緒に車でLake Johnsonにウォーキングに行きました。彼と一緒にウォーキングができるのは今日が最後になる筈です。East Loopは舗装されていて、途中2~3か所ある急勾配の坂道も苦にならないのですが、West Loopは全く舗装されていなくて、後半は特に木の根が道のあちこちで横切っていたり、尖った大きな石があったりでよっぽど気を付けて歩いたり走ったりしないと危険な道です。
Frankが木の根につまずいて1回目転倒した時は比較的すぐ起き上がれたのですが、なかなか私の後に付いて来ないので引き返してみたら2回目の転倒をして、しばらくは起き上がれない状態で地面に横たわっていました。夕方の時間で気温が下がってきて手がかじかんできたので、Gパンのポケットに両手を突っ込んだまま歩いていたらしく、顔面を地面に打って出血し、片方の手の甲からも出血していました。眼鏡がすっ飛んで近くの草むらに落ちていましたが、フレームが変形しレンズも片方に傷がついていました。
ボートハウスに戻ってトイレの水道で手の甲と顔の傷口の土を洗い流してから、事務所に行って救急箱から消毒用のアルコールを浸み込ませた小さなガーゼを貰ってできるだけ消毒しましたが、Frankも血液が固まらないような薬(こちらではBlood Thinnerと言います)を服用しているのでなかなか出血が止まりませんでした。ガーゼを傷口に当ててテープで止める応急処置をして、車でモーテルに帰る途中でウォルマート内のファーマシイ(薬局)に寄って、消毒薬とバンドエイドを買いました。モーテルの部屋でもう一度水道水で傷口をきれいに洗ってから、私が持ってきた小さなピンセットとハサミを消毒し、破れてぶら下がっている皮膚を切り取って消毒薬を吹きかけて土を取り除きました。手の甲の傷口にはバンドエイドを貼って、顔の傷口は消毒だけしてそのままにしました。目の下を地面に強打したらしく、黒く腫れ上がってきました。触っても痛くはないと言うので、骨が折れたのではなく、Blood Thinnerの影響で内出血が止まらないのと打ち身の腫れだろうと想像しました。
夕食を一緒に食べてから、メガネは近くの字を読むためで、運転には差し支えないと言って車を運転して自宅に帰りました。
Frankにとっては昨日と今日の2日連続の私と一緒のウォーキングで足が疲れていて、足元の悪い坂道で木の根を跨ぐ時に足が十分持ち上がらなくて躓(つまず)いたのではないかと思います。
記念にFrankの顔の写真を1枚撮っておきました。破傷風の予防注射は打ってあると言っていましたので、明日の朝起きて具合が悪かったら医者に診てもらうように勧めておきました。
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