2010年6月1日火曜日

5月26日に1名(2回目)、27日に1名、28日に1名の方から振り込みがありました。支援金の現在高は165,265円、今までに延べ120名の支援者から振り込まれた合計は1,666,565円になりました。「私にできることは支援することと、刑が軽くなるよう神に祈ることだけです。市橋君とご両親がんばって下さい」、「市橋さんの更生を願って。僅かですが、お役に立つことができれば幸いです」というメッセージが添えられていました。ありがとうございました。また、5月7日のテレビ朝日のニュースを見て5月18日に振り込んで下さった方からは、長いメールが届き、励ましていただきました。一見、他人の事には無関心のように見える現代の社会で、こんなにも多くの方々が間違いを犯した一人の人間に関心を抱き、その痛みを自ら感じ、支援金を送るという行為までして下さるというのは驚きです。繰り返し振り込んで下さる支援者に加えて、新たに振り込んで下さる方が後を絶たないというのは、皆さまが輪を広げて下さっているのでしょう。ありがとうございます。

私は北海道での学会から昨夜帰宅しました。札幌では今回は駅の南口側の安いホテル(一泊3千円ちょっと)に宿泊しましたが、毎朝6時に目覚ましをかけて、6時半からサッポロビール園の横を通って豊平川に出て1時間くらいジョギングしました。川沿いの八重桜が散り始めていましたが、遠くの山頂にはまだ雪が残っていて、止まることのない川の流れを見ながら走るのは爽快でした。5月は忙しかったので(言い訳)、残念ながら216kmしか走れませんでした。

北海道大学付属の植物園の中に北方民族資料館があったので、昼休みに学会会場からタクシーを飛ばして見に行ってきました。小さな施設でしたが、アイヌの民族衣装や宗教用具、生活用具、住居の模型などが展示されていました。私が1969年から10年ほど住んでいたアメリカのノースカロライナ州はバージニア州の南部に位置しますが、東側は大西洋に面し、西側はブルーリッジマウンテンと呼ばれる山岳地帯です。そこには、チェロキーインディアンの小さな居住地があり、ちょうど北海道のアイヌの人達と同じように、民芸品を売ったり、ダンスをして観光客からお金をもらったりしていました。昔は辺り全域に居住していたのに、白人の到着によって土地を奪われ強制的に遠隔の地に移住させられ、その途中で多くの人々が飢えや病気で亡くなったので、その道は涙の道(Trail of Tears)として語り継がれていたのを思い出しました。歴史的に世界中どこでもそうでしょうが、先住民族とか少数民族とか言われる人々は、強力な多数民族が現れた時には滅ぼされたり同化されて消えていく運命なのでしょう。今の時代になってみれば、各々の民族の言葉や独自の文化が失われていくのは、残念な気がしますが。北方民族資料館ではそんなことを感じました。

学会では興味深い研究発表がたくさんありましたが、吉原照彦教授の特別講演は印象に残りました。バレイショの塊茎(いわゆるジャガイモ)形成には短日条件が必要なのに、ジャスモン酸を生産する糸状菌の代謝産物として発見されたセオブロキシドと呼ばれる物質は、バレイショの葉に散布すると長日条件下でも塊茎を形成させる活性があるとのこと。世界は人口増加が確実に予測されている中で、食料を生産できる地球の陸地面積(その中の耕地面積)には限界があり、来たるべき食料危機をどう克服するかが人類の大きな課題という時に、こういう研究は進歩が著しい遺伝子組み換え作物の技術や植物工場などと共に、将来食料増産の技術に発展するかもしれないという夢を与えました。

やっと6月3日の徳島と6月4日の大阪での講演の準備ができ、今日パワーポイントのスライドを各々の主催者に宅ふぁいる便で送りました。明日2日の午前中は大学で実験の打ち合わせをして、午後の飛行機で徳島に向かいます。