2010年12月2日木曜日

アメリカ訪問中の10月4日に、ノースカロライナ州ローリー市の病院に入院していた友人のFrank Peoples君の奥さんのJoAnnさんをお見舞いに行って、いつかまた会おうとお別れの挨拶をしてきましたが、今日は私の携帯に突然の電話があってびっくりしました。退院して、理学療法士の指導を受けて自宅で歩行訓練などのリハビリをしているとのこと。Frank君も電話に出てくれて、お互いに元気でやっていることを確かめ合いました。久し振りに友人の声が聞けたので、今日は一日いい気分でした。

先日、三重県からの帰りに名古屋に途中下車して、1951年(昭和26年)に空軍兵士だったアメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれたJohn君(59歳)の出生証明書を頼りに、当時お母さんの住んでいたところと産婦人科医院を見つけることができましたが、それを知らせたら、John君と奥さんのMaureenさんから感謝のメールが届きました。今度は、John君からの戸籍調査依頼状が届いたら、次回名古屋に行く時に、それを区役所に持参してお母さん(故人)の兄弟・姉妹の移転先や従兄弟・従姉妹の有無を調べてあげるつもりです。届いたメールによると、John君のお父さんとお母さんが名古屋で出合ったのは17才の時ではなく(それでは計算が合わない)、21~22才頃だった筈とのことでした。お母さんが亡くなる前に、日本でのご家族の消息を探してあげられればよかったのにと思ってしまいます。

昼休みに道場で学生と空手の稽古をした後、車を運転して千葉県山武市にある千葉県森林研究所を訪ねました。先月、松林防除実践講座での私の講演を聴いた県の研究者(千葉大学園芸学部の古い卒業生)が、来年は千葉県の松林を対象に一緒に研究ができないかと提案してきましたので、その相談をしてきました。千葉県は昭和54年(1979年)にあった松林面積35,856haに比べると平成21年(2009年)の残存松林の面積は3,353haですから、30年間で松林の90%以上が消滅しています。わずかに海岸に残っている松林だけは、これも松枯れで酷い状態ですが、防風林・砂防林としての機能を果たしていますので、地域住民の生存環境を保全するためにこれだけは何とか死守したいという考えです。私は、最後の博士研究員がいなくなる来年の4月以降は、大学卒業以来45年間続けてきた研究生活から引退する潮時かなと考えていましたが、場合によってはもう少し続けることになるかもしれません。