2011年3月13日日曜日

地震のことで心配して下さるメールが届きましたので、とりあえず私は大丈夫だったことだけでもお知らせ致します。10日の札幌での講演が終わって、11日は新千歳空港を朝9時に出発する飛行に乗って10時半頃羽田に着きました。まだモノレールもJRも動いていましたのでそのまま東京農業大学に行って、研究会に出席しました。イスラエルのテルアビブ大学のBaruch Sneh 教授の講演を聴いている途中で地震があり、一時的に机の下にもぐって避難しました。その後、午後5時頃研究会が終わってから、どうしても翌日12日には自宅で学会の準備をしたかったので、タクシーや地下鉄や徒歩を組み合わせて帰宅しようと試みたのですが、南千住の駅までたどり着いたのは午前2時でした。そこから再度タクシーを拾おうと思って、長蛇の列に並びましたが、寒くて震える中で5時間近く並んでも結局駄目で、12日の朝8時になってやっと再開したJRの常磐線に乗って松戸まで帰りました。自宅では本棚から本が全部落ちたり、食器棚のお皿や茶碗がほとんど床に落ちて割れたくらいの被害ですみました。東北地方の家屋の倒壊や、巨大な津波の流れに飲み込まれた方々に比べれば、不幸中の幸いで幸運でした。

地震のことではアメリカや中国やパキスタンの元学生や友人たちからも心配してメールや電話がたくさんありました。津波の被害の惨状が各国のトップニュースで報道されているのでしょう。

市橋君の裁判に関連していろいろ書きたいことはたくさんあるのですが、明後日16日から始まる日本農薬学会大会での講演発表の準備などで追われていて、今は時間的な余裕がありませんので、一段落したらブログを更新します。