2011年3月27日日曜日

3月もいよいよ最後の週になりました。千葉大学園芸学部では、先週の木曜には今年度最後の教授会が開催され、定年退職する教授(今年は2人)が挨拶をしたようですが、その中の一人は市橋君もよく知っている環境デザイン学講座のT教授でした。研究室も同じA研究棟の3階と2階の位置関係なので、市橋君も学生の時は行き来した筈です。支援者の一人が、今月はリンゼイさんの事件が起こってちょうど4年目だと知らせてくれましたが、大学ではだんだん風化して事件のことも市橋君のことも忘れられつつあるのかもしれません。

今日はあいかわらず風は冷たかったけど天気が良かったので、カメラを持って江戸川にジョギングに行きました。途中にユキヤナギが塀の外に植えてあるところがあって、今年も白い小さな花が満開できれいだったのでシャッターを押しました。途中横切る坂川にはカモが泳いでいました。大学の構内では、桜のソメイヨシノはまだ蕾ですが、E棟(教育棟)東側のオオカンザクラという品種が満開で小鳥が何羽も蜜を吸いにきていました。学生宿舎の浩気寮(こうきりょう)の坂を上ってきたプールの横の三角地点のパンジーも、色とりどりで目を楽しませてくれていました。市橋君にとってはみんな見慣れた景色の筈です。刑務所の中の市橋君にはもう外の景色を直接見たり、春の風を肌で感じることは許されませんが、思い出して想像を巡らすことはできる筈です。そう思って、写真を撮ってきました。

ジョギングコース沿いのユキヤナギと坂川(上段)、園芸学部構内(下段)
私は今日も貸し倉庫の整理をしました。2つを空にするにはもう少しです。今日は、私が初めて論文を書いた1968年の分から今まで保存してあった多くの論文の別刷りを各々数部だけ残して捨てました。何かを書く時の参考資料としてとってあった学生の試験の答案や、レポート(中には世界中どこに出しても恥ずかしくないりっぱなものもありました)も捨てました。アメリカの何人かの空手の弟子/友人達と40年くらい前にやりとりした手紙も捨てました。1970年初め頃にアメリカでは20代の学生が、ベトナム戦争の戦況悪化で徴兵されて戦地に送られたりしていましたが、どこの部隊に派遣されているのか(軍事機密?)わからないように差し出し地は軍のコード番号になっていました。彼らも今は私と同じ60代で、当時の手紙は懐かしい思い出ですが、思い切って捨てました。この春は私にとっても気持ちを切り替えなければならない人生のひとつの区切りです。