2011年4月14日木曜日

国立感染症研究所で開催された日本衛生動物学会殺虫剤班のシンポジウム「住環境で発生する媒介蚊の化学的防除事例から学ぶこと」は無事終わり、私の講演「住環境における殺虫剤散布のリスク管理」も準備が何とかギリギリで間に合いました。私は住宅内や住宅周辺での殺虫剤散布の経験はあまりありませんが(畜鶏舎やゴミ処分場を除いて)、松くい虫防除で大規模散布された殺虫剤の周辺居住環境への飛散実態調査や健康影響評価については長年の実績がありますので、異分野の経験としてこの学会の参加者には好評だったようです。

反対に私にとっては、他の演者の講演は私が普段取り組んでいる農業分野での殺虫剤問題とは異なり、感染症を媒介する蚊の防除が中心でしたので、新鮮でした。特に、経験豊富な緒方一喜博士の「殺虫剤による蚊成虫防除の試みと展望」と題した講演は、1950年代からの殺虫剤散布技術の総括が含まれていて、勉強になりました。西ナイルウィルスは、1937年にアフリカのウガンダで初めて発見された蚊が媒介する感染症ですが、アメリカでは1999年にニューヨーク州で初発患者が発見されて3年間で全米に拡散し、2010年までに犠牲者は数万人に達しているとのこと(正確には、患者数30,575人、死者1,198人、詳しくはhttp://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/westnile1.html
を参照)。このウィルスは、人と鳥と蚊の間で行き来するので、日本にもいつ上陸してもおかしくないのだそうです。そのために、東京のある地域では、緒方博士をリーダーとして、行政や地元住民が西ナイルウィルスが発見されたという想定で、媒介蚊を防除する住環境での殺虫剤散布の試験を実施したとのこと。

終戦後の日本社会の衛生状態は劣悪でしたので、ノミやシラミを防除するために学校の先生が子供たちの頭髪の中やシャツやパンツの中にまでDDTという殺虫剤を散布してくれました。蓋のない下水路や生ごみを捨てるゴミ箱には、役場の人がきて殺虫剤をまいてくれていました。最近はそういうことがなくなったので、いざ感染症が大流行する可能性がでてきた時にどうやって殺虫剤を広域に散布するか、どうやって必要な殺虫剤を備蓄しておくかも含めて、今から準備をしておくことが必要なようです。

これは、2005年9月1日に発行された本の表紙です。最近増刷されたので私も注文して購入しました。終戦直後に米軍兵士が撮ったたくさんの写真が掲載されていて、今の日本では想像もできない当時の様子がうかがわれます。「故郷へ 帝国の解体・米軍が見た日本人と朝鮮人の引揚げ」監修・解説 浅野豊美、訳 明田川融、株式会社現代史料出版、3200円
私自身も1942年に朝鮮の当時の平壌(ピョンヤン)で生まれ、1945年の終戦で南北を分断した38度線を越えて日本に帰国した引揚げ者ですが、まさにこの本の表紙の写真のように感染症を媒介するノミやシラミを防除するためにDDTという殺虫剤を体に直接散布されて、今日まで生き延びることができた一人です。DDTは衛生害虫だけでなく、農作物を加害する農業害虫の防除にも広く使われて食料生産にも大きな貢献をしましたが、環境中に長期間残留することがわかってその後禁止になりました。DDTの作用点は神経の軸索膜のイオンチャンネルにあることを世界に先駆けて明らかにした楢橋敏夫教授(元東大、その後アメリカに移住)によると、DDTはマラリヤの防除を含めて世界で600万人以上の人類の命を救ったと推定されているそうです。

本山の講演風景(葛西真治博士撮影)