2011年6月16日木曜日

多くの支援者が今日のブログで私がどういう報告をするのか待っておられることと思います。この事件に関心を持っている非支援者も反支援者もメディア関係者も同じかもしれません。

千葉市民協同法律事務所で、弁護側の情状証人として出廷予定の私と市橋君が卒業論文の研究で専攻した千葉大学の研究室のM教授と、質問をする側の菅野弁護士と三宅弁護士の4人で、約2時間話し合いをしました。M教授の希望もあって、先ず最初に事件の概要(全体像)を把握するために、2007年(平成19年)3月25日にさかのぼって、起こったことを順を追って一つ一つ確認しました。事実経過の確認だけでなく、私とM教授は市橋君が何故そういう行動をとったのかとか、市橋君自身はそれに対してどう説明しているのか、など質問をはさみました。いずれ公判では裁判員に検察側の証拠の一つとして見せられるのかもしれませんが、リンゼイさんの遺体の写真に残されたあざ(特に顔)は目をそむけたくなる程で、あの市橋君が拘束されて抵抗できない状態のリンゼイさんにそんな暴力を振るったということは信じられない思いでした。あの写真を見せられれば、リンゼイさんのご両親でなくても、娘の親なら誰でも極刑を求めるだろうと思われました。大学を卒業してからの2年間、留学を目指して英語の勉強をしていたにしても、強姦後の市橋君の行動は全く理解できない、心神喪失状態だったのではないかと私には思われました。

死亡推定時刻は、検察側と弁護側の矛盾点として残ったようです。検察側の主張のように強姦致死・殺人ならば、事件の起こった朝10時過ぎに強姦しすぐ殺害となる筈ですが、実際には、市橋君は強姦後のリンゼイさんを風呂桶の中に拘束して、キング牧師の演説や部屋の壁に貼ってあったチータ(豹)の写真(リンゼイさんは生物学を専攻したとのこと)について会話を交わしていたというのが事実のようです。その間、目隠しや猿ぐつわをしたわけでもなく、トイレにも行かせたようです。死後10時間までは直腸温度が1時間当り1℃下がるということから推定した死亡推定時刻はだいたい市橋君の証言と一致するようです。

その後、菅野弁護士と私、三宅弁護士とM教授に分かれて、公判での段取りについて打ち合わせをしました。今日はお互いの都合で2時間しか時間がとれませんでしたが、6月29日にはもう一度、菅野弁護士と私、三宅弁護士とM教授で打ち合わせをする予定です。

私は、市橋君は自分が犯した罪に相当する罰を受けて、罪の償いをするのは当然だと思っています。それが市橋君の人間としての責任の取り方だと思いますし、亡くなったリンゼイさんへの正義だと思います。ただ、社会の異常なほどの注目を集めた事件だけに、外交的な配慮だとか、市橋君を取り逃がした警察の遺恨や検察の面目だとか、そういうことのために実際に起こった事実以上の厳罰を課すのはリンチと同じで正しくないと思います。公判では事実が明らかにされて、裁判官も裁判員もあくまで事実に基づいて適正な判決を下してほしいと思っています。

弁護団は最低週に1回は市橋君との接見を続けてきましたが、最近は公判が近づいてきたのでもっと頻繁に会っているとのことです。市橋君は独居房の中で相変わらず運動を続けているらしく、メタボ気味だった時と違って、頬がしまって精悍な顔つきになっているそうです。覚悟を決めて公判に臨もうとしているのでしょう。

今日までに貯まっていた支援金は全額引き出して、菅野弁護士にお渡ししました。