2011年8月10日水曜日

入金記録簿から不必要な情報を消して、「支援者氏名(都道府県名)年/月/日 振込金額」 だけを残して支援者一覧表を作るのに結構時間がかかってしまいました。今日現在で延べ376名分です。それを差し入れするつもりで全部プリント(A4版に15ページになりました)して、今日千葉拘置所に行って、受付窓口に見せたら、差し入れできるのは「物」だけで、「手紙類」は郵送して下さいと言われてしまいました。さっき書類と手紙を封筒に入れて準備をしましたので、明日発送するつもりです。

今日接見した時の市橋君の様子は、先週8月2日に見た時とは違ってずいぶん改善されていました。先ず顔色がよくなったことと、目つきが神経衰弱的ではなく、普通に戻ってきていました。仕切り板の向こう側の小部屋のドアが開いて、刑務官に付き添われて入ってきた市橋君の雰囲気が明るくなったのが感じられたので、大学内で普通に出会った時と同じように思わず右手を挙げて「おっ、市橋君!」と大きな声をかけてしまいました。気のせいか、市橋君も一瞬嬉しそうな表情をしてくれました。

昨日・今日と東京近辺でも35℃前後の猛暑でしたが、千葉拘置所の中も暑いのでしょう。市橋君はランニングシャツの上に白いシャツを着て、ボタンはかけないで胸の前を開けていました。

少し痩せたようだけどちゃんと食べてるかと訊いたら、先週(私が接見してちゃんと食べなきゃだめだぞと言ってから)以来、食べるようにしていますと答えました。支援者名簿の一覧表を持参したけど差し入れできなかったので郵送するからと伝えました。弁護団以外に接見に来る人がいるかと訊いたら、申し込みはあるけど会っていないと言っていました。ただ、先週来た時に差し入れに来ていて偶然出会った支援者については、〇〇県に住んでいると言っていましたと言っていたので、接見を受けたのかもしれません。先週私が差し入れた国語辞典はちゃんと届いたそうで、嬉しそうでした。
ご両親に手紙を差し上げて、「申し訳ありませんでした」という君の伝言を送っておいたよと言ったら、涙がポロポロ落ちて、鼻水がスーッと流れ出てきました。

先週来た時は表情が暗くうつ病になりかかっている印象を受けたけど、大丈夫か、精神科医に診てもらう必要はないかと訊いたら、はっきり、大丈夫ですと答えました。近いうちに小菅(こすげ)の東京拘置所に移されるそうだなと言ったら、弁護団にそう聞きましたと言いました。小菅は北千住から行くので私にとってはより近くなるので、接見に来やすくなると言ったら、先生は松戸にお住まいですかと訊き直しました。
今日も、君はこれから刑務所の中で長い年月を生きるのだから、覚悟を決めて前向きに生きるようにしなさいと言ってやったら、うなずいていました。今日は言葉もちゃんと話していたし、大丈夫、市橋君はちゃんと生きていけるという明るい印象を受けました。8分間という接見時間はあっという間に終わってしまいました。

数日中には支援者の一覧表が市橋君の手元に届くでしょうから、支援者の中で市橋君を励ます手紙を書きたい方は書いてあげて下さい。もちろん、手紙は千葉拘置所に届いた時点で、事前に刑務官に中身を検閲されて、問題がないと判断されれば本人に配達される筈です。