2012年4月9日月曜日

明後日11日(水)の判決後に市橋君がどうなるかについて、菅野弁護士に電話でお訊きしました。もし判決に不満で控訴する場合は2週間以内にする必要がありますが、その場合は現在の弁護団のほとんどのメンバーは恐らく関わらないでしょうということでした。従って控訴する場合は、誰かが弁護士費用を負担して新たな考えの弁護士に依頼するか、弁護士費用がない場合は国選弁護士に依頼するかということになりそうです。
もし控訴せずに刑が確定した場合は、1ケ月くらいで服役する刑務所が決まってそこに移されるそうです。それまでは東京拘置所に拘留されたままですが、今までのように未決としての自由はなくなり、既決受刑者として袋張りのような軽い刑務に服することになるそうです。
それでも少なくとも判決後2週間以内は、私が東京拘置所を訪ねて面会の申請書を提出すれば今までと同じように面会ができるようです。その後は面会は制限が厳しくなり、家族以外は元弁護人かそれ以外は市橋君自身が面会者として申請する人に限定されるようです。判決後は、市橋君が控訴するかどうか、控訴しない場合にはどこの刑務所で服役するかもわからなくなる可能性がありますので、判決後なるべく早い機会に面会に行って、控訴するのかしないのか市橋君の気持ちを確かめて、控訴する場合は弁護士費用の支援が必要かどうかを訊いてきます。控訴しない場合は、私を面会者として申請するように市橋君に相談してこようと思っています。

支援者から昨日以下のお便りが届きました。ありがとうございました。人の悩みや苦しみや痛みを自分のものとして感じられる、優しい思いやりをお持ちの方とお見受けしました。知人の26才の娘さんがマンションの13階から飛び降り自殺をされたとのこと、せっかくそこまで生きてきたのに、命を全(まっと)うできずに残念ですね。人の心は繊細で、どんなに苦しくて逃げ道がないようでも、一歩そこを離れられれば別の世界が見えてくるのに、一人で思い込んでしまうと抜け出せなくなるのだと思います。私は飛行機に乗る時によくそう感じます。下界は真っ黒な分厚い雲に覆われてドシャブリの雨でも、飛行機がいったん雲の上に出ると真っ青な空が無限に広がっていることに気が付きます。自分一人で苦しんでいる人が追い詰められる前に、手を差し伸べて雲の上に引き上げてあげられればいいですね。
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満開の桜です。毎日、先生のブログを読ませていただいています。結審が近づき、市橋君はもう腹が据わってる感じですね。先生と市橋君が制限時間に話す内容は少しだけでも、特別のテレパシーで他の会話もしているような空気がある気がします。
私の母は既に亡くなっているので、聞く事はできませんが、保護司をしていたことがあり、受刑者というより保護観察下にある10代の子と何度か話をしていました。専業主婦の母でしたから高度な資格が必要なわけではなかったようですが、それまで全く知らない人の担当になるから難しいし、責任を果たせない、とすぐに保護司を辞めてしまいました。
また、受刑者の更正のために面会する「教誨師」という牧師や神父もいらして、人格者でいらっしゃるけれど、私は、市橋君は他の保護司も教誨師も必要なく、本山先生がそのお役をしてくだされば何よりだと思います。先生ご自身がそれを望んで下さってるので、ありがたいです。是非、よろしくお願いいたします。
先週、私の知人の娘さん(26歳)が、住んでるマンションの13階から飛び降り自殺をしました。ショックでした。市橋君も生きてることが辛いと感じたことがあるでしょうけど、本山先生がおっしゃるように、リンゼイさんの分も生きてほしいです。「生きてほしい!生ききってほしい!」です。刑務所という所は、たとえ死にたくても死ねないように管理されてるわけですが、与えられた能力を使い、許された環境の中で彼なりの達成感を感じながら生きてほしいです。
ところで、先日ブログの中で、先生は「床にほかる」と書かれていました。先生は愛知県出身なんでしょうか。ブログを紐解けば、どこかに出身地のことも書いていらっしゃったかもしれませんが、意識していなかったので、その言葉を見た途端、気持ちが和みました。[本山:私の母の母は名古屋出身で、母は戦前に昔の金城女子専門学校(今の金城学院大学の前身)で学びましたし、私もアメリカ留学前に名古屋大学大学院で過ごしました。お墓が八事(やごと)にありますので今でも年に数回はお墓参りで名古屋に行っていますので、いつの間にか「ほかる」(=捨てる)という言葉を覚えて使ってしまいました。] 先生の若者への素の怒りが感じとれて、不謹慎にも、それに笑ってしまいました。
私は、父の転勤であちこちに転校しましたが、〇〇の高校の音楽科から〇〇〇の音大に進み、中京地区に10年間住みました。
市橋君には、本山先生がいらして、本当に良かったです。お元気で、これからもよろしくお願いいたします。

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