2012年5月5日土曜日

支援者から届いたお便りです。
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嫌がらせのメールは、反応を楽しみに送り、それが相手にされないので、過激な内容になっている気がします。秋葉原無差別殺人事件の被告人は、ネットで知り合った友達に「かまってちゃん」と呼ばれていたそうです。相手にされなかったり無視されると、ムカついたり、いじけたりする感情をそのまま相手に伝えられずに、ネットやメールで違う表現方法として、相手を困らせたり脅したりしているのだと思います。本来ならお互いに会って話し合ったり、例え言葉がなくても気持ちが通じます。そのコミュニケーションが、苦手や面倒などで避けてネットにハマり、犯罪やそれに近いことをしているのにも気付かないまま、現実と架空の世界の区別がつかなくなっている気がします。(本山:その通りだと思います。自分の顔を出してまともなコミュニケーションができないので、ネット上のバーチャルな世界で独りよがりの書き込みをして自己満足している気の毒な人たちだと思います。本当は、直接人と向き合って話をしたり、野外に出て体を動かせば、もっと違った本当の世界が見えてくるのですが・・。
5/2(水)のブログで、本間氏からお答え頂き、参考になりました。ありがとうございました。ご連絡される機会がございましたら、お礼をお伝え下さい。私はこの先ずっと(何年先でも)焦らずに、市橋達也さんを遠くから見守っています。間接的でも、私が出来ることを考えて行きたいと思います。
本日空いた時間に、新宿西口で開催されています矯正展に伺いました。家具やテーブルなどの展示販売や、革靴やノート、小物等の販売しています。今回は家具の展示が多く殆どが『協賛業者製品』と書かれていました。又、説明文が貼られて『刑務所作業製品』は受刑者が関与した製品で『協賛業者製品』は、受刑者が関与していない、もしくは一部関与した製品だそうです。いつもと雰囲気が違いましたので確認しましたら、受刑者が関与していない製品も『刑務所作業製品』として展示販売し問題になったそうです。樹月カインさんのお返事は決められましたでしょうか?支援に関わるとなれば、そう簡単には決められないですね。

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私は、市橋君があの支援者リストも捨ててしまったのではないか、とか、また絶食していないかしらとか、心配になってしまいます。でも、面会のたびに本山先生の問いかけに対し、「はい、元気です」「ほしいものはありません」「必要なものはありません」「ここの食事で大丈夫です」「毎日同じ作業でも平気です」と言ってた、頼もしい独立心のある市橋君を想像し、「彼なら大丈夫」と私自身にも言い聞かせています。
そして、本当に、長い受刑期間の中で、規則が何らかの形で変わり、外に出られる時があるかもしれない、と密かに期待もしています。だって、昔はやくざの親分で何人も人を殺めてるのに、出所してきて、子分に「お勤め、ご苦労様でした。おかえりなさい」という状態だったのですよね?退職している新聞記者の人も、知識が間違ってるか、「無期懲役っていっても、15年くらいで出てくるよ」と言っていました。今はとにかく、無期は一生塀の中で過ごすのかもしれないけど、受刑者によっては特例とかで出てこれる時が訪れるかもしれない、と希望を持ちたいと思います。
今後も市橋君に何度もお手紙かはがきを書いてみます。拒否されても、返送されても、何度も書いてみます。彼自身が断ってるのか、刑務所自体が破棄してるかわからないから、とにかく、何度も送ります。刑務所の人に「この受刑者は親も誰も面会にこないし、本人が外部との接触を絶ってるけど、支援者がいる」という意識付けをしたい、と思うのです。他の母親のような気持ちの支援者の方も、そうなさるのではないかしら。市橋君が本山先生に連絡を取ってくる時が来ることを願いつつ。
私は、そのうち刑務所への慰問演奏をしたいです。知人の演奏家はどこだったかにボランティア演奏に行ってますが・・・希望者が結構多いらしいです。私じゃ無理かも・・・・ですが。(本山:いいですね。たとえ1年に1回でも、刑務所で本物の音楽を聴く機会があれば、受刑者に感動を与え、更生に大変プラスになるのではないでしょうか。

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今日は久し振りに五月(さつき)晴れらしい、気持のいい天気になりましたので、昔よく農薬の生態影響調査に通っていた大網白里町と山田町(現香取市山田区)にドライブし、水田の景色を見に行きました。ほとんどの水田は弱々しい稲の苗が田植えされたばかりで、人間で言えば産まれたばかりの赤ちゃんのようでした。これがしばらくすると、たくましい濃い緑色に生長し、風が吹くと緑のカーペットのように波打つようになります。筍(たけのこ)は放射能汚染のせいか収穫されず、文字通り竹の子になってどんどん竹になっていました。山田町仁良(にら)地区の橘堰(たちばなぜき)の上空にはたくさんの鯉のぼりが元気に泳いでいて、水田ではアオサギが餌を見つけていました。山田町の近くの府馬(ふま)には、オオクス(実際にはタブノキ)と呼ばれる巨木があり、樹齢1300年~1500年、根回り約27.5m、幹回り12mと看板に説明されていました。それに比べるとわずか100年足らずの人間の寿命の短さを感じさせられます。一方で、その分だけ私たちは短い人生だからこそ悔いを残さないように、しっかり生きなければという気持ちになります。(写真はクリックすると拡大できます。)