2012年8月16日木曜日

支援者から市橋君が描いたスケッチについて問い合わせがありましたので、三宅弁護士に以下のメールを差し上げましたら、早速返事が届き、全て本人に返却したとのことでした。
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三宅貞信先生
市橋君の裁判が決着してからどんどん時間が経過していく気がしています。市橋君がどこの刑務所で受刑しているのかもわからないというのは不思議な感じがしますが、それも何かの意味があってそういう制度になっているのかと想像しています。
私のところには今でも時々何人かの支援者からメールが届きますが、その中のお一人から市橋君が千葉拘置所にいた時に描いたスケッチはどうなっているのでしょうという質問がありました。確か、宅下げされた衣類は菅野先生が保管し、本は山本先生が保管し、スケッチは三宅先生が保管されていると伺いました。もしまだ処分されずに保管されていましたら、拝見させていただくことは可能ですか。当時の市橋君の心の中をうかがい知る手がかりになるかもしれないと思いますので。

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本山先生
ご無沙汰しております。お尋ねのスケッチの件ですが,控訴審が終了する前に,弁護団から市橋君本人へ全て返却しています。
支援者の方がスケッチを見て心境を知りたいとのご要望には添えませんでしたが,本山
先生,支援者の皆さんが市橋君の更生を祈っている事は,きっと彼は理解していると思います。
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この頃は、運動をして体を動かして健康管理をすることは仕事のうちと思うようにしています。今日も夕方近くになってから、江戸川堤防を8Km 走ったり歩いたりしてきました。青空に白い雲が浮かんでいましたが、夏を思わせる入道雲ではなく、何となく秋を思わせるような雲だったので携帯電話のカメラで写真を撮りました。江戸川は国土交通省の所管ですが、取水設備が設置してあるところに、子供に危険を知らせる面白い河童(かっぱ)の看板がありました。

夜自宅で樹木医に送ってもらった松くい虫の発生消長のデータの解析をしていて、疲れたので気分転換にテレビ朝日の報道ステーションをつけてみたら、偶然、戦争末期に回天と呼ばれた一人乗り潜水艦に乗ってアメリカ軍の艦隊に体当たりして自爆した特攻隊員に関する番組をやっていました。終戦の1年前1944年頃、制空権も制海権も失った日本軍は最後の手段として、人間魚雷になる特攻隊員を募り、20代の若者106人が海に散ったとのことです。今考えれば狂気の沙汰ですが、当時の若者に選択の余地はなかったのでしょう。戦争は人間の理性を奪い、殺人の道具にしてしまいます。国全体が戦争状態の時には、個人にはそれを拒否する自由はなくなってしまいます。