2012年10月30日火曜日

午前10:40からの講義に間に合うように十分ゆとりを持って自宅を出たのですが、松戸駅に着いたらいつも利用する地下鉄千代田線の隣の駅の金町で電車の窓が割れるという事故があったらしく、千代田線は超ノロノロ運転なのでお急ぎの方はJR常磐線で北千住に行って乗り換えて下さいというアナウンスがありました。多くの通勤客がそうしたので、超満員になりましたが、東京農業大学にはほぼちょうどの時間に着きました。
今日は面白いことに気が付きました。講義の途中で、学生がちゃんと理解してくれているかどうかを確認するために何か質問はありますかと訊いても誰も手を挙げません。そこで前の方で熱心に聴いてくれている学生を指名して個別に質問をしてみると、やはり肩をすぼめる仕草をするだけで何も言いません。
ところが、時間がきて出席カードを教壇のところに提出するように指示すると、大勢の学生が私の周りに集まって次から次に質問をしてきます。結局、人の前でちゃんとした日本語で質問をするのは苦手でできないけれど、個人的に普段の言葉で1対1で話すのだったら、言いたいことがいっぱいあるということのようです。アメリカでは、小さい子供の時から自分の意見をきちんと言葉で表現する訓練を受けていますが、日本では(特に最近は)パソコンの画面や携帯やスマートフォンの画面を眺める時間は多くても、人の前でちゃんとした日本語で自分の意見を表現する訓練を受けていないので、大学生になっても教室全体の中で質問をすることができないということではないかと思いました。

午後から大学の周りを6Km ジョギングして、学会誌に外国から投稿された論文の校閲(査読)をしました。元はと言えば、追い詰められないと集中できない私の性格のせいですが、これでひとまず絶対絶命の危機は脱しました。

自宅に帰ったら、先日会食をした社長から郵便のお手紙が届いていて、人形作家のお父様が日展に出品した創作人形の絵葉書と、国立新美術館(港区六本木7-22-2)で11月2日~12月9日に開催される第44回日展の案内状(2名まで入れる招待券)が同封されていました。「友情の人形は海をこえて」の本は出版社に連絡をして注文をされたようですが、その話を91才のお父様にしたら、青い目の人形使節に対する答礼人形の一つは自分の父親「野口明豊」(明治26年~昭和53年)が作ったものだと一喝されたとのことでした。お母様が人形作家だった市橋君の支援者と、たまたまノースカロライナの博物館で答礼人形を見た私と、農薬関係会社の社長と、そのお父様とそのまたお父様と、人形がきっかけで不思議なご縁ができました。

アメリカの東部海岸は「サンディ」と名付けられた強大なハリケーンが上陸して被害がでているとテレビのニュースが伝えていましたので、ノースカロライナのウィルミントンという海岸の町に住んでいる空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君に電話をしてみました。彼はフロリダ大学工学部卒で、電力会社にエンジニアとして勤務しているので、ハリケーンで電柱が倒れたり電線が切れて停電になると、いつも修理に飛び回ります。留守電になっていたので、今回も電気を回復するのに飛び回っているのかもしれません。ノースカロライナ訪問中にお世話になったマージーさんにも電話をしてみましたが、ここも留守電設定になっていました。どの程度の被害がでているのか・・気になります。