2012年10月6日土曜日

朝早く起きて、ケリー君と待ち合わせた山の中のThe Boys というレストランに行って、一緒に朝食を食べました。それからいつもの水力発電のダム湖に行ってボートを降ろしてフィッシングをしました。ちょうど、ケリー君の仕事の相棒のジョン君ともゲートのところで会ったので、今は拳銃を腰に吊っていないのかと聞いたら、普通の拳銃はトラックの座席の下に隠してあって、ポケットからミニチュアみたいな小さな拳銃を取り出して見せてくれました。これでも至近距離で撃てば殺傷能力のある本物の拳銃だそうです。ケリー君もいつも車の中に隠してある拳銃を取り出して見せてくれました。大きな軍隊用のナイフも車の中の人目につかないところに隠してありました。どうも、ガラガラヘビやコブラを撃つというのは言い訳で、本当は普段誰もいない山の中で仕事をしているので強盗に襲われたり、動物(クーガー、熊、ボブキャットと呼ばれる大型の野生猫、コヨーテなどがいるそうです)に襲われた時の護身用だなという気がしました。

釣果はケリー君がいいサイズのブルーギルを3尾、私が2尾だけでしたが、美しい森に囲まれた山中の湖で疑似餌を投げるのは何とも言えない楽しい時間でした。頭上の大木からまるで雪の結晶が降ってくるように落ち葉がひらひら落ちてきました。

昨年も訪ねた山頂に住むターマンさんの家を訪ねる途中で、Medows of Dan という場所で教会関係者が若者の活動を支援する基金集めでランチ会と公民館みたいなところでライブミュージックをやっていたので、立ち寄って昼ごはんを食べました。ライブミュージックは公民館の倉庫か車庫みたいなところで、中学生くらいの少年2人と少女1人のグループが、ギタートバンジョーとベース(チェロかも?)を引きながら主に教会のゴスペルを歌っていました。ほんの10人くらいの聴衆でしたが、さかんに拍手を送って励ましていました。

ターマンさんの家には昨年も会ったマリーさん(85才)と今年は娘のボニータさんもいて、一緒に行ったケリー君とジェイニーさんとマージーさんと私でいろいろな話をしました。マリーさんの認知症は大分進行していて、過去と現在の区別が付かなくなっていました。ボニータさんが、昨年は見なかった地下室やお父さんが生きていた時にやっていた乳牛の牛舎(バーン)や搾乳小屋、牛乳の貯蔵庫など見せてくれました。昔の道具がそのまま保存してあって、まるで博物館のようでした。牛舎は今は乳牛の代わりに猫を飼っているので、Cow House がCat House になったと冗談を言っていました。猫は普段は外に出すのですが、コヨーテが近くに出没するようになって、何匹かが襲われて食べられてしまったらしく、それ以来特に夜は小屋に入れるようにしているとのことでした。
私が終戦直後の子供の頃は米軍の占領下で、小学校では子供たちがアメリカから支給された脱脂粉乳をお湯に溶かして飲んで育ったのだと話したら、食器棚を開いて、たくさんのお皿とカップのセットを見せてくれました。子供の頃はこれで食事をしながら描いてある絵をみながらいろいろな空想をして楽しかったそうです。裏にはMade in Occupied Japan (占領下の日本製)という刻印があり、驚きました。終戦後の米軍統治下の日本から輸出された陶器なのでしょう。こんなものがいまだに残っていて、宝物のように大事に保管されているのに感心しました。