2013年1月20日日曜日

東京駅の八重洲南口から出る8:20発の高速バスに乗って館山駅前には10:08に着きました。産経新聞記者を定年退職された女性が車で待っていて下さり、昭和25年頃から始まった平砂浦の砂防林事業に携わった古老(83才~94才)を訪ね、当時の様子をいろいろ伺ってきました。さすが元新聞記者だけあって、当時の植林作業に参加した方々でまだご存命の方々を探し出して、面会のアポイントメントまでとっておいてくれました。ほとんどが終戦で戦地から(お一人はシベリヤ抑留から解放され)帰国して当時20代で、県の事業として実施されたクロマツの植林事業に親と一緒に参加(集落ごとに割り当てられて)したとのことでした。戦争中は平砂浦は軍に接収されて松は伐採され、海軍の砲撃練習場として使われたそうです。戦後払下げられた時は畑を作っても西風が吹けば一晩で砂に埋まってしまったとのこと。竹で囲みを作って、藁を敷き詰めて、苗を植えるという作業に明け暮れ、大変な苦労をされたようでした。このような多くの人々の苦労の上に出来上がって、地元の人々の生活を60年近く飛砂から守ってきた松林が、2008年以降ヘリコプターによる殺虫剤散布が中止に追い込まれてから、急速に松くい虫の激害で壊滅状態になってしまったことは残念なことです。地元の人々の長年にわたる苦労の歴史を知らない、よそ者の農薬反対活動家の浅はかさと無責任さには怒りがこみ上げてきます。
古老の一人から、「平砂浦砂防史」(千葉県農地農林部林務課 昭和33年6月発行)という本をお借りしてきました。クロマツ植林事業がどのように行われたかの詳しい記録と、汀線(ていせん=海面と岸とが接する線)から後背地の山まで広漠とした砂地が続いている写真などが載っている貴重な資料です。砂防林造成の技術的指導をされた当時の権威・河田 杰(まさる)農学博士をはじめ、植林に大きな貢献をした方々の写真も載っています。今からじっくり読んでみようと思っています。