2013年3月6日水曜日

今日は松くい虫関係の調査研究を一緒にしている人と林野庁の森林保護対策室を訪ねて、昨年私たちが実施した新潟県胎内市での薬剤飛散の調査結果の報告と意見交換をしてきました。私たちの研究成果が、今後の松くい虫防除対策に活用されることを期待します。

その後、用事で新橋に来ておられた元森林総合研究所長の小林富士雄博士と待ち合わせて、久し振りに一杯やりました。小林博士は82才だそうですが、東京大学の林学のご出身で、赤松亡国論のきっかけを作った本多静六東大教授(1866~1952)のことや、元林業試験場職員で後に東京農業大学教授になられて1983年に林業技術という雑誌に「マツの木保存論とマツ林亡国論」を書かれた倉田益二郎先生のこともよくご存知で、いろいろ昔のことを教えていただきました。特に、本多先生は若い時にドイツに留学して林学を学び、二宮金次郎のように貧乏の中で苦労して一生懸命勉強をし、日本の林学の祖と呼ばれるようになったとのこと。林学の中に造園学という分野がありますが、日比谷公園や明治神宮の森なども本多先生の設計によるということを始めて知りました。