2014年1月29日水曜日

午前中に明日の講演の講演テキスト(スライドごとに話すことのメモ)が大体1/3できましたので、運動に出かけて3時間ぐらいあちこち歩いたり走ったりしてきました。あまり鮮やかな色のない冬の景色の中で、ボケの花の濃赤色が目立ちました。

江戸川を跨(また)ぐ葛飾橋と平行に東京外環道路の延伸工事が行われていますが、松戸側と金町側とがもう少しでつながるところまできました。クレーンを使いながら、よくあんな大きな鉄骨を吊り上げて正確な位置に設置できるなと感心しながら見上げてしまいます。建築や建設の技術はたいしたものです。

ウォーキングから帰ってきたら、千葉大学園芸学部構内の庭園や樹木の管理をしているパート雇用の高齢の男性職員から声をかけられました。リンゼイ・アン・ホーカーさんは遺族に何か金銭的な補償がでるのでしょうかと訊かれて、予想もしていなかった質問に一瞬驚きました。普段、植木の剪定や草刈りや作業をしているのを見かけても、言葉を交わしたこともなく名前もわからない程度の接触しかありませんでしたから。もしかしたら、私が市橋君に適正な裁判を受けさせるための支援活動をしていたことを知っていたのかもしれません。リンゼイさんのご両親は、市橋君が手記の印税を提供しようとしたら受け取りを拒否したし、裁判で来日する旅費も高額なのでカンパを募って少しでも援助できたらと思って私が手紙を差し上げたら、逆に向こうの弁護士を通して抗議の申し込みがあったことをお知らせしました。日本の報道関係者が取材をする目的で訪日する旅費を提供したという噂は聞いたことがありますが、真偽の程はわかりませんし、日本の外務省なり法務省なりから何らかの金銭的な提供があったのかも、あるいはリンゼイさんが勤務していた英語学校が外国人教師に保険を掛けていたかどうかもわかりません。市橋君の判決は下りたのかとも訊かれましたので、無期懲役ですでに服役していることをお知らせしました。無期でも途中で出られるのでしょうと言われたので、普通は30年くらい服役してから仮釈放の審査があるかもしれないと聞きましたと言ったら、30年は長いと驚いた様子でした。支援金の中から弁護士料を支払った残りは、30年後に仮釈放された時に市橋君に渡してもらうために、私より若い年代の支援者3人に管理していただいていることまでは言い忘れてしまいました。
今度見かけたら、何故そんなことを私に訊いたのか、私が支援活動をしていることを知っていたのかどうか確かめてみようと思います。

夕食後、講演メモの作成を続けて全部終わりました。後は明日の午前中に見直して、時間配分を考えながら加筆したり削除したりすればOKです。せっかく70名くらいの人が私の話を聴きにきてくれるのですから、できるだけよい話をしたいと思います。