2014年9月2日火曜日

松戸から国道6号を柏方面に向かい、呼塚(よばつか)の交差点で国号16号を野田方面に、その後常磐自動車道を走って茨城県の那珂ICで降りて、一般道で大森種苗園に着きました。片道2時間弱の運転でした。
スギの苗圃、ケヤキの苗圃、マツの苗圃などがありましたが、残念ながらクロマツは地上部がわずか5cmくらいの稚苗しかありませんでしたので、前回の試験で使ったのとは違ってきますが、地上部が20cmくらいのアカマツの苗を63本(3本はおまけ)圃場から掘り起こして購入してきました。1本50円でした。

マツ苗の発病試験は明日始めることにしました。マツノザイセンチュウが根系から侵入・感染・発病するのを防ぐ対策として、鉢に植える前に浸透移行性の殺線虫剤の希釈液に根部を浸漬処理する予定ですが、依頼した薬剤は明日届くとの連絡がありましたので、届いたらすぐ試験を開始するつもりです。

往きに常磐道が利根川の陸橋を渡る時に、遊水地の広大な黄金色の水田が見えましたので、もっと間近に見たいと思って、帰りには利根川の陸橋の辺りで常磐道を下りて国道6号を逆戻りし、陸橋の手前で遊水地の水田の中を走っている農道に出ました。
広大な黄金色の水田が見渡す限り広がっていて、中にはちょうどコンバインで稲刈りをしている水田や、稲刈り後にカエルでも探しに来たのかシラサギ(嘴は黒くなかったので多分チュウサギ?)が来ている水田もありました。
毎年繰り返される光景ですが、こうして豊作の水田を見るとホッとします。

昨夜は日本時間の夜の9時(現地では朝9時の筈)にブラジル在住の姉夫婦に電話をして話をしました。やはりブラジル在住の私の兄が80才で亡くなった死亡証明書が日本の外務省に届いていないことがわかりましたので、リオデジャネイロの日本領事館かブラジリアの日本大使館に送るように依頼しました。そうすると外務省に通知が届いて、外務省から日本の本籍地に通知が行って、戸籍に死亡の記録が記載されることになります。消息不明のまま150年経過後に死亡と見なされて戸籍が抹消されるという状況は避けたいと思います。いずれは完全に骨になった段階でお墓を掘って骨を拾ってきて分骨して日本のお墓にも入れてあげたいと思っています。兄自身も無くなる前に、自分が死んだら土葬ではなく火葬にして一部を分骨して日本のお墓にも入れるようにと言い残していたとのことですので、ブラジルに移民して現地でポルトガル人の女性と結婚して何十年とブラジルで暮らしても、日本が郷里との思いは残っていたのでしょう。田舎で近くに火葬場がなかったので土葬にせざるを得なっかったとのことでした。完全に骨になるまで、私やブラジル在住の姉夫婦が元気でいられればいいのですが。