昔はバスが通っていたのが人口減で今は廃止され、車がないと長坂や韮崎の町に出ることもできない不便な村になりました。子供は、上津金村はお嫁に来てくれる日本人の女性はいなくて、フィリッピン人の女性が生んでくれた3人と、下津金村に2人いるだけで、町の学校からマイクロバスが来て送り迎えしてくれているそうです。
海岸寺は、看板の説明によると717年に始まった由緒あるお寺で、織田信長軍に焼き払われたり、再建したものも山火事で全焼し、今あるものは1866年に再建されたもののようです。現在の住職は、元中学校の国語の教師だった88才の方で、お経を唱えた後で大変心に響く法話をしてくれました。駕籠(かご)は住職のお父さん(おじいさん?)の奥さんが嫁入りする時に乗ってきた駕籠だとのことでした。境内には杉の巨木が立っていて、百体観音や、静かな参道など、由緒のある格式高い臨済宗のお寺のようです。
浅川家の墓標を見ると、記録の残っている最初は利兵衛という人が元禄11年寅(1698年)2月25日没で、最後は妻の母みや子が平成18年(2006年)5月18日没と刻まれています。1698年というのは、江戸大火のあった年です。
帰りは義弟に車で韮崎駅まで送ってもらいました。