2015年11月28日土曜日

今年5月15日に85才で亡くなられた名古屋大学名誉教授の伊藤嘉昭(よしあき)先生を偲ぶ会が名古屋大学豊田講堂につながったシンポジオンホールで開催されましたので、私も参加してきました。
伊藤先生と私は研究分野は全然違いますが、私が1978年にアメリカから帰国して名古屋大学の研究室の新年会を兼ねた研究集会で講演をし、「1969年に留学した時と1978年に帰国した時では社会の農薬に対する見方がすっかり変化して、農薬の研究者はまるで悪者のように見られていると感じる」と言ったのに対して、当時助教授だった伊藤先生は、「学問は虐げられている時こそ本物が育つのでめげずに頑張れ」と励まされたのが最初の直接的な出会いでした。それ以前にも先生が1963年に出版された「動物生態学入門」(古今書院)を買って読んだことはありました。その後、私が奉職した千葉大学園芸学部で学部祭があった時に、特別講演会の講師として来ていただき、ベトナム戦争での米軍の枯葉剤散布問題について講演をしていただいた時は、ついでに戸定ケ丘の斜面林を歩いてアブラムシのゴール(虫癭)のある葉を木に飛びついて採取し、斜面から転落しないかと心配したこともありました。伊藤先生が名大教授を63才で定年後は、私が農薬工業会から農薬の生態影響を何人かで研究チームを作って研究するからと言って研究費を200万円もらってきて、その中の50万円だったか70万円だったかを差し上げたら大変喜ばれて(農薬工業会の誰かには、本山は農薬工業会の研究費で反農薬の研究をするのかと嫌味を言われましたが)、私たちの研究データの解析(例えば種の多様度指数の計算の仕方など)を指導していただいたりしました。基本的に反農薬の色彩が強い人でも、生態学の基礎がしっかりしている人と一緒にやってこそ本当のところがわかるのだからと、反論して実行しました。今でも覚えていることは、千葉大学の私の研究室にチームが集まって検討会をしていた時に、私が農薬を水田にヘリコプターで空中散布をした真下に位置する水路の水生生物(魚類など)の密度に影響がないという調査結果を報告したら、「桐谷圭司(元農水省農業環境技術研究所の昆虫課長で、伊藤先生らと一緒に日本でいち早く総合防除[当時はIntegrated Pest Controlと言った]の推進を提唱した研究者)によると、農薬は生物濃縮して将来の世代に影響が出るということだから、今影響がなくても将来も影響がないとは言い切れないぞ」と言われたことです。伊藤先生ほどの学者でも、昔のDDTやBHCのような残留性農薬とその後進歩した環境に優しい現在の農薬との区別がついていないのだということを実感しました。それもあって、私たちは同じ水路で何年かにわたって調査を続け、毎年水生生物密度が回復していることを確認しました。

名古屋に行く時はいつもそうですが、八事(やごと)にある本山家のお墓参りをしてきます。昔は周りにもっと木がたくさんあったような気がしますが、墓地が足らないのか、ほんとんど木がなくなりお墓だらけになっています。荒川家は母の母の実家の明治維新の時の尾張藩士荒川忠右衛門の一族ですが、忠右衛門は子供は娘二人だけで家を継ぐ人がいなくなったので、私がいつも本山家と一緒にお墓参りしています。

偲ぶ会は豊田講堂につながったシンポジオンホールで行われ、ざっとみたところ伊藤先生の研究者仲間と名大時代の卒業生など約100人くらいが集っていました。伊藤先生を助教授として採用した斉藤哲夫名誉教授(91才)の挨拶に続いて、式次第に名を連ねたそうそうたるメンバーによる故人を偲ぶ挨拶がありました。
桑村哲生中京大学教授(魚類行動生態学)、斉藤隆北海道大学教授(動物生態学)、嶋田正和東京大学教授(行動生態学)、宮竹貴久岡山大学教授(進化生態学)、長谷川眞理子政策大学院大学教授(行動生態学/生物人類学)
続いて、伊藤先生の直弟子5人(いずれも学会で活躍しているそうそうたるメンバー)による座談会という企画で、先生の思い出や印象に残っている訓示について語っていました。
パーティの最後には、出席していたご長男の挨拶があり、やはり85才になられた奥様の紹介がありました。一世を風靡(ふうび)した反逆児的な存在だった伊藤先生を偲ぶ会に私も出席できてよかったと思いました。