2015年11月9日月曜日

昼休みに大学の道場に行って、男子更衣室のモップ掛けをしてから1時間空手の稽古をしました。基本の稽古の他に久しぶりに巻き藁を100本ぐらい叩きました。巻き藁を叩くと、拳の握りが強くなります。

その後、長期入院している元同僚教授/親友のN君を見舞いに行きました。電話で、危篤状態が続いていると知らされていましたが、病室がナースステーションのすぐ横の個室に移されていました。私が、「私がアメリカから帰ってくるまでよく頑張って生きていたな」と声をかけると、頭を少し起してこちら向きにしようとしましたが、結局できずに向こうを見たまま目を閉じてしまいました。
10月末に3回目の脳梗塞を起こしてから危篤状態になり、もう一日おきの定期的な腎臓透析もできなくなり、時々不規則にやっているようです。顎(あご)が外れて元に戻らなくなったので、口が開きっぱなしなので舌がカラカラに乾いていて可愛そうでした。
今回のアメリカ滞在中に撮った写真の中から面白そうな写真を何枚かプリントして持っていき、いつものように写真を見せながら説明するつもりでしたが、N君は苦しそうでしたので止めました。

しばらくしたら看護師の女性が来て、ポンプに連結したチューブを鼻の孔から挿入して痰取り作業を始めましたが、N君は痛すぎたのか、ミットをされている方の手をしきりに動かしてチューブを外そうとしていました。口の端には水蒸気製造機と接続したチューブで湿気を供給していました。苦しそうなので、もう十分頑張ったからそろそろあの世に逝って楽になってもいいんじゃないかと思ってしまいました。
30分ぐらい一方的に話かけてから、写真に奥さん宛のメッセージを書き込んで残してきたら、夕方奥さんから行き違いになってしまいましたと電話がありましたので、少し会話をしました。

以前、土浦刑務所から手紙が届いて一度面会に行ったことのあるA氏から大学宛に手紙が届き、刑が確定後水戸刑務所に4ケ月ほど収容されて、今は府中刑務所に移送されて服役しているとのことでした。ボイラー技士の資格を持っているということから、2千名を超える受刑者の食事を毎日3食作る作業を担当しているとのことでした。残期はちょうど3年となり、仮釈放の恩恵に与(あずか)るには身元保証人が必要だが見当たらないので、満期出所になりそうだとのこと。文面の裏に、私に身元保証人になってもらえないかという気持ちが込められているようにも感じましたが、何回も犯罪(窃盗)を繰り返したと聞きましたので、慎重にならざるを得ません。
風の便り(刑務所内の噂?)では、私の教え子(市橋君のこと)は〇〇刑務所にいるとの情報も書いてありましたが、真偽のほどは不明です。
受刑者の身元保証人とはどういうものか、浦和高校時代の同級生で裁判官を経て弁護士をしている友人のT君に今度確かめてみようと思っています。