2016年2月27日土曜日

昨夜(2日目)泊まったアユタヤのホテルはClassic Kameo という名前で、朝になったら町の景色が見渡せました。今日は私の希望でアユタヤの日本人村に連れて行ってもらいました。昔から山田長政という日本人がタイに渡って日本と貿易をすると同時に当時のタイ国王に仕えたという歴史を聞いていましたので、いったいいつ頃の話だろうと興味があったからです。展示を見ると、台湾を経由してジャンク舟を乗り継いで1612年に初めてタイに到達したとありますので、今から400年以上も前です。当時のタイの首都アユタヤにはヨーロッパからも人が来ていたようですから、今のように飛行機もエンジンで動く大きな船もなかった時代にたいしたものです。日本への主な輸出品として鹿の毛皮、象牙、大小の壺類が展示してありました。当時のタイには森林がたくさんあって、鹿や象のような野生動物がいたるところに生息していたのでしょう。

次に大規模水田に連れて行ってもらいました。熱帯なので2年に5回お米の収穫ができるそうですが、大型のコンバイン2台でちょうど収穫作業をしていました。収穫後の稲わらを熊手みたいな道具でかき集める作業をしている人がいましたが、日本では強盗をする時に顔を隠すのに使う目出し帽みたいな覆面をすっぽり被っていました。これがこちらでは典型的な作業着だということでした。
その後、農薬販売店を見たいという私の希望で、大きな農業資材(農薬、肥料、種子、散布器具など)店に行きました。父親が中国から来た黄(ふぁ)利民(りみん)さんという一家が丁寧に対応して説明してくれました。小売店への卸が約70%で農家への直接小売が約30%だが、国境を越えて密輸される海賊版農薬は扱っていないとのことでした。しっかり管理されているという印象でした。

次にビルマとの国境に近い第二次世界大戦の連合国軍兵士の墓地に連れて行ってもらいました。同じような墓地が他にも何カ所かあるとのことでしたが、非常によく管理されていました。主にイギリス兵やオーストラリア兵でしょうが、一人一人の兵士の名前や亡くなった時の年齢と遺族の悲しみの言葉が墓標に記されていました。戦争のためとはいえ、母国を遠く離れたアジアの戦地で亡くなった若者と、息子を亡くした親や家族の心情を察すると胸が詰まりました。

最後に、映画The Bridge on The River Kwai「戦場にかける橋」(1957年公開の米英合作映画)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E6%A9%8B
で取り上げられたクワイ川の橋に連れて行ってもらいました。日本軍人として早川雪洲も出演した映画で、私も昔観て今でも強く印象に残っています。観光地化して、大勢の人で賑わっていました。クワイ川を行き来する大小の観光船がありましたが、ひときわ大きな音楽を流しながら大騒ぎをしている船が通ったので誰が乗っているのだろうと思ってよく見たら、中国人女性らしい一団が食事をしながらどんちゃん騒ぎをしていました。日本軍側、連合国軍側に多数の死者がでた歴史的な場所なのに、死者に対する尊敬の念は全くないのかと、ちょっと信じられない光景でした。
夕食は川縁(かわべり)のレストランTara Buree Restaurant で、夕陽が落ちるのを眺めながら、生演奏の音楽を聴きながら楽しみました。