グラウンドゴルフ場周囲の松林の中に新たに枯死進行中のマツが1本ありました。周辺の木は誰かが調査をしたらしく、マツノザイセンチュウの有無を調べるDNA診断用の材片を採取した跡がありました。
前回の調査でクロカミキリ成虫が多数飛来していた東海大学研修会館入口付近の松林の様子を見に行きましたら、前回は1本だけ枝枯れ状態だったのがさらに数本が枯死状態でした。近くの松林にも枯死した大きなマツが4本ありました。
これらの松林は民有林だと思いますが、伐採する時に連絡してもらってマツノマダラカミキリ成虫による当年枝・1年枝の後食痕の有無や、枝や幹の幼虫の穿入孔の有無などを調査させてもらえればと思いますが、静岡市治山林道課の所管でないとすると、難しいかもしれません。本当は伐採後、根も掘り起こして根がクロカミキリ幼虫に食害されているかどうかも調査したいところです。一応、静岡市役所の担当者に連絡して打診してみようと思っています。
枯死原因を解明してそれを防ぐ対策を打たないと、このままではこの辺りの巨木の松はいずれ全滅してしまうことが心配です。
ちょうど12時頃静岡駅に戻ってレンタカーを返却して、新幹線で名古屋に行きました。名古屋駅前にはしゃれたデザインの巨大なビルが建ち並んでいますのでいつもすごいなあと思って見上げてしまいます。地下鉄で八事(やごと)駅まで行き、お墓参りをしてきました。今年初めてでしたので、砂利や石と石の間からずい分草が生えていて、引っこ抜いてきれいにするのに1時間ぐらいかかってしまい、汗びっしょりになりました。いつも、本山家と同じ場所にある母の母方の荒川家(お墓を守る人がいなくなった)と、少し離れたところにある太田家(元岐阜大学教授だった太田更一先生は母の従弟だったと聞きました)と3つのお墓をお参りすることにしています。太田先生は水の専門家で、私が名古屋大学の大学院生だった頃お目にかかったことがあります。
いつもお花を買う石材店にバケツを返すついでに少し休んで、八事の墓地はいつ頃できたのかと訊いてみたら、大正時代だとのことでした。当時は人里離れた山の中だっただろうなと想像しました。名古屋は戦争(第二次世界大戦)中に米軍の空襲で町が焼野原になったので戦後市内のお墓を郊外に移転したと聞いていましたが、八事の墓地はそれより前にできていたことになります。あるいはすでにできていた墓地に市内に散らばってあったお墓を戦後移転したのかなと思いました。それにしても、荒川家は尾張藩の上級武士だったと聞いていますがどうしてクリスチャンだったのか、不思議です。今と少し離れた場所にあった荒川家のお墓には大きな十字架があったと聞きました。母の父(穂坂秀一)が母の母と出会って結婚したのも名古屋にあったキリスト教の教会だったとのことです。
仕事の関係で遠くに住んでいたり、忙しい現代の生活ではなかなかお墓参りもできなくなりましたが、こうしてお墓の掃除をして新しいお花を供えて、手を合わせて亡くなった人に家族の無事の報告をして語りかけると清々しい気持ちになります。お墓は亡くなった人が安らかに眠る場所と言うよりも、生き残った人が亡くなった家族や先祖に語りかけて心の安らぎを得る場所だなと思います。