2017年2月26日日曜日

NPO法人樹の生命を守る会の平成28年度樹木医技術発表会は、千葉市の千葉県庁のすぐ側のホテルプラザ菜の花の大会議室で開催されました。私も参加の申し込みをしてありましたので、電車でJR本千葉駅まで行って、聴講しました。
3題の発表がありました。
1. 「樹木医活動を顧みた今後の方向性」永野 修氏
2. 「県立青葉の森公園ヒトツバタゴの樹勢回復について」柏崎智和氏
3. 「甚兵衛の森における松枯れ被害報告と、老松を保護するための課題」吉岡賢人氏

私はこの会に参加するのは初めてでしたが、永野氏は何と私と同窓で、千葉大学園芸学部の卒業生で3年先輩でした。農芸化学科を卒業後三共株式会社に入社し、定年退職してから日本樹木医会に登録し、平成17年から北総ガーデンサービスという会社を起業して79才の今日までまだ現役で、庭園管理や病害虫防除、芝生の雑草防除などの他に、ボランティアとしてあちこちで依頼される衰弱した樹木の診断と治療をしているということでした。実際に樹勢回復に成功した事例の紹介をするとともに、人生観についても話をしました。
柏崎氏は、県立青葉の森公園(国の畜産試験場跡地)に平成3年に苗木で植栽されたヒトツバタゴという白い花の咲く樹木が、平成23~24年頃に最盛期を迎え、その後着花量も減少して衰退傾向がみられるということから、公園管理事務所の依頼で実施している衰退原因の診断調査と樹勢回復作業について報告しました。どこでもそうですが、市民に公開している公園では、訪問者が多い程長年の間に土が踏み固められて根が伸長ができなくなるという現象は一般によく見られる現象のようです。ヒトツバタゴは水平根が多いらしく、ここでは樹の周りをドーナツ状に約50cmの深さ掘り起こして土壌改良と発根促進作用のあるホルモン剤の施用で樹勢回復効果を試行しているとのことでした。

吉岡氏は千葉大学園芸学部緑地環境学科の卒業生で、成田市で造園業の3代目をやっていて、私も参加させてもらっている甚兵衛の森を守る会の中心メンバ-です。千葉県樹木医会では一番若手の新進気鋭の樹木医の筈です。
甚兵衛の森の歴史、林相、殺虫剤散布によるマツノマダラカミキリ成虫の防除と殺線虫剤の樹幹注入をやっているにもかかわらず、12本あった老松が最近少しずつ枯れ始めて現在8本残っているという実態と、枯死木の根系調査でクロカミキリ幼虫の大量寄生を発見したことなどを紹介しました。
「甚兵衛」という名前の由来は、1652年(江戸時代の承応元年)にお米の不作で苦しむ農民のために佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)という人が年貢の軽減を4代将軍家綱に直訴した時に、甚兵衛の渡し船で印旛沼を渡った場所からきているとのことですが、直訴が聞き遂げられて年貢は軽減されたものの惣五郎は磔(はりつけ)、妻と4人の男子は斬首の刑に処せられたとのことです。
http://rekishi-club.com/kijin/sakura.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%80%89%E6%83%A3%E4%BA%94%E9%83%8E

吉岡氏らのグループは、防除作業を受注した地元の造園会社が殺虫剤(スミパイン乳剤)を地上から散布した後で、高所作業者に乗ってマツの樹冠部の枝先を採取してマツノマダラカミキリ成虫に摂食(後食)させて、薬剤付着量にむらがあることを確認しただけでなく、殺線虫剤の樹幹注入後にマツの高さ別に枝先を採取して殺線虫剤の濃度分析をして、やはり大きな振れがあって必要な濃度が得られていない枝もあることを明らかにしています。

吉岡氏は甚兵衛の森で2015年に枯死して伐採した老松の直径約1mの幹の輪切りを見本に持参して展示しましたが、年輪を正確に数えると樹齢268年となりますので、2017年から270年を引くと1747年(江戸時代中期の延享4年)に植えられたマツということになりますので、佐倉惣五郎が直訴し処刑されてから約100年後ということになります。
由緒ある老松を松くい虫被害から何とか守って、次の世代に残せればいいなと期待しています。
輪切りの断面には、殺線虫剤の樹幹注入孔の周りが巻き込みで塞がれているものの、腐朽菌やシロアリの侵入による形成層障害と思われる痕跡も見られます。