朝5時に目覚まし時計を設定し、シャワーを浴びてからスーツケースに荷物を詰めました。お土産にもらったハチミツやコーヒーカップやマツの材片から分離した線虫を入れた遠心管など荷物が増えましたので、妻がスーツケースのポケットに入れてくれた折り畳み式のバッグを取り出して入れました。飛行機は10時15分出発予定でしたが、レンタカーを返したりする時間も必要なので、私の車とMargieさんの車とFrank君の車の3台で朝7時に空港に向かいました。Don君の小型トラックはモーテルの駐車場に置いて、私の出発後Frank君がDon君をモーテルまで送ってくるという計画です。
空港のチェックインカウンターで、チェックインするスーツケースが重量オーバーなので何か5ポンド分取り出して、機内持ち込みのバッグに移すように指示されました。幸い、パソコンなどの電気関係の小物入れをとり出したらちょうど制限以内になりました。小物入れはハチミツなどを入れたバッグに入れて何とか収まりました。
見送りの3人と別れて、乗り継ぎのワシントンDCのダレス空港行きの飛行機を待ちながら、1ケ月近く滞在した第2の郷里のようなノースカロライナ州に別れを継げました。40~50年前に20才代で空手の稽古で一緒に汗を流した仲間たちは、今は60才代~70才代になりましたが、私にとってはアメリカ人の家族のようなものです。彼らも、当時の稽古の様子を昨日のことのように鮮明に覚えていると言ってくれました。
帰路は、ダレス空港での乗り換えも順調で、離陸後は時差ボケを防ぐために食事時間以外はできるだけ目をつぶって眠るようにし、アメリカモードから日本モードに切り替えました。