2018年2月18日日曜日

今日は懇親会がなく飲酒しませんので、朝7時半に自宅を出発して車で甚兵衛の森に向かい、予定通り9時には着きました。
甚兵衛の森の管理を成田市から受託している造園業者が、マツにこも巻をしていますが、水神社の近くの1本のこもには変な形のしめ縄飾りが挿してありました。最初は何のおまじないなのかわかりませんでしたが、すぐ近くの水神社にしめ縄がしてありましたので、多分マツの木にもしめ縄を飾ったのだろうと想像しました。
老大木の幹には樹幹注入剤(殺線虫剤)の施行済票が4枚ずつ貼ってあり、一番新しい施行時期は平成27年2月15日でした。
強風で折れて落ちたと思われるマツ小枝を見ると、マツ赤斑葉枯れ病と思われる病徴が発症しているものがありました。














昨夜は気温が低かったらしく、昨日掘削した地点Aの地層調査用の穴の黒褐色の④地層にだけは霜が降りていました。やはりこの地層は水分が多いのかもしれません。しかし、枯死マツの根は②地層と③地層に分布していました。
黒褐色の④地層は、昔ある時代に印旛沼の底だった時に岸辺に繁茂していた菰(まこも)のような水草が堆積してできた地層かもと想像しました。この地層の年代測定ができないか誰かに頼んでみたいと思って、ジッパー付きのプラスチックバッグにこの地層の土壌を採取しました。
林間の地点Bの穴では、各地層にマツの根が分布していました。
地点Dでは全く根の分布は見られず、最下層の粘土質の土壌はピリジル液をかけるとすぐ赤色を呈しましたので、グライ化していて植物の根の生育には適さない層と思われました。














甚兵衛の森の裏側(印旛沼の水路の近く)では野焼きの赤い炎が上がっていました。昨日の昼食は皆で近くの中華料理のニーハオに行きましたが、今日は甚兵衛茶屋に行きました。入り口の前には、昔は水田地帯でよく見られた古い水車が飾ってありました。今のように動力で動くポンプがなかった時代に、水を低い位置から高い位置に組み上げるのに使われていました。




参加者の多くは掘削した4つの穴について、詳しい調査をするために残りましたが、私は印旛沼の周辺を車で回ってあちこち見ながら帰宅の途につきました。自宅に着いたのは夕方でした。