2010年3月25日木曜日


  一昨日は千葉大の卒業式で、午後から松戸キャンパスで開催された園芸学部の卒業生・修了生を送る会には名誉教授も招待されるので、私も出席しました。私の 講義を2年生の時に受講した学年ですが、園芸学部の歴史101年目に巣立つ節目にあたります。皆、まぶしいくらい将来への夢に溢れているように見えまし た。出席した名誉教授の最年長は、植物病理学が専門で学部長もおやりになった飯田 格先生で、90才とは思えないかくしゃくとした姿勢で含蓄に富んだ祝辞 の挨拶を述べられました。飯田先生は、太平洋戦争真っ最中の昭和18年(1943年)に京都大学を卒業されたそうですが、学徒動員され各研究室からも祝出 陣と書かれた白いたすきを肩からかけた学生たちが戦場に送りだされていったお話をされました。その中の何人かは戦死して二度と日本の土を踏むことはなかっ たのですが、最近再び日本が戦争に巻き込まれかねない雰囲気が感じられ、心配だとのことでした。悲惨を極めた戦争の体験が、今大学を巣立つ若者たちに引き 継がれていないことは残念なことです。

  昨日は、午前中は「週刊文春」の記者が農大の研究室に来られ、2時間くらい農薬の安全性や、有機農業推進の問題点や、農水省の政策のねじれ問題などについ て私の意見を取材していきました。デスクの承認が得られれば、記事として掲載されるかもしれません。午後には古い卒業生が二人訪ねてきてくれ、ハートフル 農大通りの途中の居酒屋で一杯やって楽しいひと時を過ごしました。一人は明治大学卒業生ですが、アメリカから帰国して着任後間もなくの私の千葉大学の研究 室で研究生として一緒に何年間か研究に従事し、博士号を取得しました。当時、農業分野に導入されて大きな期待を担っていた合成ピレスロイド殺虫剤に対する 抵抗性の発達を日本で初めて発見し、そのメカニズムを解明するという先端の研究をやってくれました。社団法人の部次長として活躍してきた彼も3月に60才 になり、この6月には定年を迎えるとのことで、時の流れの早さに驚かされました。もう一人は、東邦大学卒業生で、私の研究室で修士課程の研究をしました が、現在は、農薬会社の研究所で中堅として活躍中です。蝶の採集や、クワガタムシの飼育や、ミヤコタナゴという魚の繁殖など、今でも趣味に熱中している様 子で、3人の子供の父親であるにもかかわらず、少年の雰囲気を維持していました。大学教師の楽しみは、指導した元学生たちが卒業してそれぞれの道を歩んで 幸せになってくれることです。本当は市橋君も、そういう元学生の一人になる筈だったのですが・・。

 3月23日までにさらに9名(1名は2回目)の方が支援金を振り込んで下さったので、延べ83名からの支援金の合計は1,310,000円になりました。ありがとうございました。3月29日になれば、私も少し時間的なゆとりができる筈です。