2010年5月5日水曜日


  この頃の大学の組織はしょっちゅう変わりますので、うっかりすると教員ですら現在の自分の所属している学科や講座や研究室の名前が組織図を見ないとわから なることがあります。表向きは学問の発展や社会のニーズの変化に対応して改組が必要という説明がされますが、あまりにも頻繁に学科や講座が変わるというこ とは、教育を受ける側の学生達にとっては途中でカリキュラムが変更になって迷惑なことです。文部科学省に、大学は自主的に教育研究体制を常に見直して改革 しているという姿勢を見せているようで、実は昔の何十年も続いた単純な学科構成の方が学問体系に沿っていてわかり易かったという面もあります。戦後の大学 は、戦前の反省から学問の自由を保障するために教授会の自治が最大限認められ、自由な発想に基づく研究ができるように最低限の研究費も確保されてきました が、何年か前から大学にも過度の競争制度が持ち込まれ、国から支給された研究費も学長裁量経費・学部長裁量経費として大半が途中でピンハネされ、個々の教 員に配分される時には雀の涙(私が2年前に定年退職する前は教授一人当たり年間研究費が僅か25万円という時がありました)ほどになります。能力と意欲の ある教員には、科学研究費など競争的外部資金を申請して獲得するチャンスがあると言っても、アメリカの場合(私はアメリカの大学に10年間勤務していまし た)と異なり審査制度そのものが学閥・人脈の影響を受けて公平でない(私は科学研究費の第1段階審査員と第2段階審査員を務めたことがある)という問題が あります。さらに大きな問題は、文部科学省の意向を受けて、大学全体では理事会が、学部では学部長を頂点とする役員会の権限が大幅に強化されて、従来の管 理機関であった評議員会(各学部毎に選挙で選ばれた2名の代表と学部長で構成)や教授会の自治に基づく民主主義的運営がトップダウン方式に置き換えられて しまったということです。アメリカの大学のように管理運営と教育研究とを分業させて両方とも効率的にできるような制度にしたと言っても、アメリカの大学の ように教員が管理運営者をリコールできる仕組みと抱き合わせでなければ、独裁的・独善的になる危険性があるので片手落ちです。そのために、若手教員は研究 費も人事権も上に握られて元気を奪われ、このままでは大学が本来の使命を果たせるのか、将来が心配な状況です。
 
  市橋君の事件が起こる前から、大学本部からメディアからの取材申し込みがあった場合は必ず本部を通すようにという通達が学部教授会に伝えられて、驚いたこ とがあります。大学こそは学問の自由、思想の自由、言論の自由が最も保障されなければならない筈なのに、本部の許可なしには個々の教職員が外部に対して自 由に意見表明もできないというのは、正に大学の自殺行為だと思いました。3年前に市橋君の事件が起こった時は、大学はメディアからの取材は窓口を学部長1 本に絞って、それ以外の教職員は一切取材に応じないようにというかん口令を敷きました。メディアの取材姿勢にも問題があって、いわゆるパパラッチ的に学内 に入り込んで教育研究環境が乱されるのを防ぎたいというのは理解できます。しかし、実際に取材申し込みがあった時に、この学生は卒業して2年も経っている ので申し上げることはありませんというような姿勢では、社会に対する説明責任を果たしているとは言えません。私も市橋君が卒業してからの2年間全く交流は ありませんでしたが、警察に踏み込まれて裸足で逃げ出した市橋君がこのままでは逃げ場を失って自殺に追い込まれるのだけは防ぎたいと思って、当時取材にき たあるテレビ局の取材に応じて、私に連絡をするか自首をするように逃走中の市橋君に呼びかけました。その結果、当時の学部長に呼び出され、大学の決めた ルールに違反したので懲罰委員会にかけると脅かされ、テレビで放送されたDVDを提出するように言われました。殺人の容疑者(当時は死体遺棄容疑だけ)と 大学名が一緒に放送されるのを避けたいという大学の考えもわからないではありませんが、私にとっては単に部活(空手部で指導した学生の一人)を通しての関 係の元学生でしたが、一人の元学生の命を救いだすことの方が大学の体面を保つことよりもはるかに重要との判断から、たとえ懲罰委員会にかけられようとも断 固戦うつもりでした。大学は本来教育機関ですから、たとえ殺人の容疑者であろうと、教師が元学生に救いの手を差し伸べるのは当たり前と考えていたからで す。
 
  市橋君が卒業論文の研究で専攻していた当時の研究室の教授は、今まで大学のルールに従って取材は拒否してきましたが、この3月で定年まで5年を残して個人 的理由で退職されたということです。市橋君と同じ時期に勉強していて大学院に残った学生諸君も、もう全員修了していなくなった筈ですから、これから学内で も彼のことはだんだん忘れられていくのでしょう。公判前整理手続がどう展開し、裁判でどういう判決がでるのか私には全くわかりませんが、どういう判決にな ろうとも元学生のこれからを見守り精神的な支援をしていきたいと思っています。
 明後日は、3月19日以後に振り込まれた支援金を菅野弁護士にお届けする日です。