2010年7月31日土曜日

7月29日に振り込まれた2名の方(4回目と5回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は92,000円、延べ150名からの合計額は1,965,565円になりました。お一人からは、「この猛暑の中、市橋さんが元気でおられるか大変心配です」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。

 今日は明治大学で開講された公開講座「化学物質の法規制」の最終回で、修了証書授与式に続いて講師陣と受講生の懇親会がありました。北野 大教授がコーディネーターの講座で、私も7月17日に2回担当しましたので、懇親会に出席しました。駿河台キャンパスというのだそうですが、お茶の水の駅から歩いてすぐの便利のいいところにあるアカデミーコモンと呼ばれるしゃれた建物の1階のカフェパンセと呼ばれる軽食・喫茶店で行われました。この講座の受講生の大半は化学関連会社の中堅クラスの人達でしたので、受講態度が熱心で活気が感じられました。懇親会の席でも周りを囲まれて質問攻めに近い状態で、私は飲み物にも食べ物にも手を伸ばす暇がないくらいでした。

 人の輪が途切れた時に、アメリカで教育を受けたとおっしゃる若い女性が話しかけてこられ、アメリカでもどんな犯罪者でも弁護人がつくのは当然ですよねと言われたので、多分このWebサイトをご覧になったのでしょう。講義では市橋君のことは話しませんでしたので。私たちの支援活動を理解していただいて嬉しかったと同時に、予想外に多くの方々が見て下さっているのだなと感じました。

 今日もまた、お茶の水界わいの賑やかさにはちょっと複雑な思いもしました。若者が大勢歩いていて、きれいなお店や施設が並び、大学や病院もたくさんあり、エネルギーが溢れているように見えました。一方、私はよく講演で地方都市に出かけるのですが、いわゆる6大都市以外は、県庁所在地ですらちょっと中心部を離れると閉店して店が閉まっているシャッター街が目立ちます。若者がみんな大都市に出て行ってしまうからでしょう。仕事がないから出て行ってしまうのか、人がいなくなるから仕事がなくなるのか・・。千葉大学で私の研究室を専攻した地方出身の学生諸君も、卒業したらどこで就職したいかと尋ねると、沖縄の出身者以外は、ほとんどが郷里以外と答えていましたので、よく冗談でこの親不孝者がと言っていました。沖縄出身の学生だけは、どの学生もできたら沖縄に帰りたいと言いました。しかし沖縄にはそんなに就職先がないので、卒業後郷里に帰って1年間就職浪人をして勉強して地方公務員になった学生もいました。この違いはどこからくるのか、ちょっと不思議な気もします。

 それにしても、こんなに大都市にだけ人が集中する政治でいいのでしょうか。昔のように地方は地方なりの文化があって活気があった(経済的には貧乏でも)時代が懐かしくなります。国の経済的発展と引き換えに失ったものも大きく、人間の幸せという観点からは一度立ち止まって考えてみるべき時期かもしれません。