2010年8月2日月曜日

 農大の事務に学生アルバイト募集の掲示をしてもらったら、4人の申込みがありましたので、先週の金曜日に2名に説明会をし、今日は1名に説明会をしました。私が名古屋大学の大学院生だった時の3年半、アメリカのノースカロライナ州立大学での約10年、千葉大学での約30年の間に蓄積した論文の別刷やコピーが約1万4千点あり、物理的に保管するスペースがないので、コピー機でスキャンしてデータベース化する作業です。この中には、私のノースカロライナ州立大学時代の恩師の故W.C.Dauterman教授から相続したものも含まれます。私自身がこれらの論文を読み直すことはもうほとんどないでしょうが、データベース化しておけば、私と同じような分野で研究をしようとする研究者が必要に応じて著者名や論文タイトルやキーワードでいつでも簡単に検索してパソコン上で論文を読めるようになるからです。私が学生だった頃はまだ、光に当たるとだんだん薄くなって消えてしまう青焼きでコピーをとって論文を読んでいたのですから、大変な進歩です。その当時は、実験データなども、3回実験して得られた測定データの平均値をソロバンで計算し、計算間違いがないか確認するためにソロバンの計算も3回やり直したりしていました。アメリカの大学の研究室でも、故W.C.Dauterman教授が試薬を何g量って何ℓの水に溶かすかを計算するのに、掛け算・割り算を計算尺でやっていた時代です。

 朝日新聞の日曜版には書評欄があるのでたいてい目を通していますが、昨日は逢坂 剛の書いた山平(ヤマダイラ)重樹著「裁かれるのは我なり-袴田(ハカマダ)事件主任裁判官 三十九年目の真実」(双葉社)の書評が載っていました。静岡県で発生した殺人事件の犯人として逮捕された人が死刑の判決を受けて現在もまだ服役中ですが、その一審における主任裁判官を務めた人が個人的には無罪の心証を抱きながらも、3人の裁判官による合議制で有罪と決定したために、心ならずも死刑判決文を起草するはめになったそうです。その葛藤から裁判官をやめ、強い自責の念と戦いつつ弁護士業に専念してきたが、ついに原判決から39年後に、心情を公に吐露するはらを決めたのだそうです。検察官が無理を通そうとして冤罪事件が起こり得るという認識はありましたが、裁判官が無罪と思いつつも有罪判決文を書くことがあるのかと、驚きでした。早速、松戸の駅前に行ってその本を買ってきました。すぐ横に、三井 環(タマキ)著「検察の大罪-裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着」(講談社)という本が並んでいたので、ついでにその本も買ってしまいました。著者は元大阪高検公安部長だそうですが、検察も必ずしも真実だけを追及するのではないとしたら、国民が信頼している日本の司法制度の実態はいったいどうなっているのだろうという疑問が湧いてきます。
 今まで私はこういう本には興味がありませんでしたが、市橋君の事件の第3回公判前整理手続きは8月17に予定されているとのことですので、日本の司法制度を理解するために、時間のある時に少しずつ読んでみようと思っています。