2010年7月30日金曜日

 7月28日に振り込まれた2名の方(1名は3回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は72,000円、延べ148名からの合計額は1,945,565円になりました。ありがとうございました。ご自分とは関係がないにもかかわらず市橋君が適正な裁判が受けられるように、それぞれの生活の中から何かを切り詰めて送って下さっている筈ですから、どんな金額でも大変ありがたい大金です。

 7月26日の追記で、私が「何名かの支援者の方は市橋君のことを真剣に考えておられて・・」と書いたことに対して、今日農大の研究室に匿名のお手紙が届き、「市橋君のことを真剣に考えていない支援者はいません」と指摘されました。もちろん、駅前で行われている災害援助の募金箱に通りがかりにその気になってお金を入れるのとは違って、市橋君のためにわざわざ郵便局に足を運んで振り込みの手続をして下さるのですから、支援者の方は全員市橋君のことを真剣にお考えになった上でのことだと思います。その中で、ご自分で情報収集したことや、私がお知らせしたことに対するお考えを私宛にメールやお手紙で送って下さる支援者が何名かいらっしゃる、という意味の文章でした。真剣に考えて支援金を送っているのに、私の舌足らずの文章で不愉快に思われた方がおられたら、申し訳ありませんでした。

 今日は千葉大学で開講された公開講座「食品安全ビジネス論」の最終日で、修了式と懇親会がありましたので、私も農大研究室を早めに出て懇親会に顔を出しました。出席者は、この講義のコーディネーターの松田友義教授以外は全て社会人受講生でしたが、当時千葉県大網の農家の娘だったお一人の女性は昭和29年(1954年)に千葉大学園芸学部に入学したかったが、兄さんがすでに大学生だったので二人を大学にやるのは経済的に無理だと親に言われてあきらめて別の道を選んだと、おっしゃっていました。千葉農業専門学校が新制の千葉大学園芸学部になったのは昭和24年(1949年)ですから、それから間もない時期に、農家の娘がそういう大志を抱いていたということに驚きました。今と違って、当時は大学に進学する人自体が僅かで、しかも農家の娘で大学に進学する人はほとんどいなかった時代です。今ではごく当たり前で千葉大学園芸学部の学生の約半分は女性の筈ですから、日本の社会が過去50数年の間にいかに変化して今日に至っているかということをあらためて思い出しました。