2010年7月11日日曜日

 7月7日に1名(2回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は15,000円、延べ139名からの合計額は1,888,565円になりました。ありがとうございました。

 昨日の新聞に、国際サッカー連盟(FIFA)が、今大会でここまでに記録された139得点のうち3得点については誤って認められたと判断しているという記事がありました。レベルの高い審判団が選ばれているにもかかわらず、誤審はあり得るということです。イギリスとドイツの試合のゴールのシーンは何回も放映されたので、ボールがゴールラインの中に入っていたことは誰が見ても明らかでした。野球でも相撲でもこの頃は微妙な判定で物言いがついた時は、審判が下した判定がビデオ鑑定で逆転されることがあります。サッカーではまだそういう制度になっていないので、本当はイギリスの得点だった筈のあの1点は幻のゴールのままになりました。

 裁判でも、足利事件で死刑判決を受けて長年服役していた菅谷さんが、不正確なDNA鑑定と拷問に近い取り調べで嘘の自白をさせられたことが明らかになって、一転して無罪になったことは記憶に新しいところです。今はまた、43年前に起きた布川事件で犯人とされて長年服役した二人の被告の再審が注目を集めています。
 日本の裁判制度の中で、検察側は犯罪の被害者の利益を代表して被告人の有罪を証明するのがその役割でしょうけれども、過去の事例からわかることは、検察側が、構築した仮説の証明に不利な証拠は隠して無理を押し通したために、冤罪を作りだすこともあるということではないでしょうか。その結果、本当の犯人がわからなくなるだけでなく、有罪とされた被告人は死刑になったり、服役によって人生の長い時間が空白になるという取り返しのつかない悲劇がおこります。

 市橋君の事件でも、犯した罪に相当する償いをしなければならないことは当然ですが、当初彼を取り逃がした失態や、長期間身柄を拘束できなかったことや、メディアの異常な注目を集めたことや、イギリス国民の対日感情に対する外交的配慮などから、検察側がことさら無理な証明をしようとするようなことはないと信じたいと思います。あくまで、事実を明らかにする適正な裁判が行われることを期待したいと思います。そのためにも、弁護団にはがんばってもらう必要があります。

 私は昨夜金沢から帰ってきました。帰路は米原経由でしたから、新幹線で市橋君の郷里の岐阜羽島付近を通過した時には、窓の外の景色を眺めながら、この町で高校時代までを過ごした市橋君のことを思い浮かべました。私には裁判の行方は全くわかりませんが、彼がきちんと裁判を受けて、罪を償って、いつの日か人生をやり直す日が来ることを祈ります。