2010年9月30日木曜日

9月28日に振り込んで下さった方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は146,000円、延べ167名からの合計額は2,210,565円になりました。「・・孤独が市橋さんの心を弱らせていないか案じられます。強い精神で今後の日々をすごして頂きたいです」というメッセージも添えられていました。ありがとうございました。

ちょっと前に一泊旅行から帰ってきました。車の距離計を見たら往復でちょうど700マイルですから、約1,120Km走ったことになります。
昨日モーテルを出発する時は、海岸近くをハリケーンが通過したので先日訪ねたWilmington の町は道路が水浸しになったとテレビのニュースが伝えていました。。西に向かって高速道路を走っている時は激しい雨にあいましたが、6時間くらいかかってAshevilleという町の西端に位置するチェロキーインディアン保護地区(Cherokee Indian Reservation)に着いた時は小降りに変わっていました。1969年に初めてこの地を訪ねた時に比べて、モーテルやみやげ物店が大幅に増え、大きなホテルにカシノ(ギャンブルをする所)も併設されて、観光地化されていました。それでも、上高地の梓川に似た清流に面した小さなモーテルの2階のバルコニーのロッキングチェアーを揺すりながら、清流の音と雨の音を聞きながらワインをすすると、自然と一体になったような気分になりました。

今朝は川沿いに散歩をしたり、チェロキーインディアン博物館を見たりしてから、アパラチア山脈の尾根筋を走るBlue Ridge Parkwayを2時間ほどゆっくり(曲がりくねった山道なのでゆっくりしか走れない)ドライブし、山を降りてAshevilleの町に出てから高速道路を4時間くらい走ってRaleighに帰ってきました。山の中は、霧が深くて先がほとんど見えないところがあったり、紅葉が始まっているところや、遠くの山々が見渡せるOverlook(眺望地点)があったりして、素晴らしい景色を堪能しました。

チェロキーインディアンは、白人が到着するまではこの辺り一帯に分布して、独自の文化をもって栄えていたのに、土地を奪われ、虐げられ、言葉も失われ、北海道のアイヌと同じような境遇にあります。それでも今ではアメリカ国民として、第二次世界大戦にも朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参加し、戦死者の名前を刻んだ記念碑が公園の中に建立されていました。