2011年4月16日土曜日

今日は千葉大学走友会の練習会と総会が松戸でありました。準備運動の後、いつもは江戸川の葛飾橋までゆっくり走って、そこから時差スタートするのですが、今日は普段の練習会にあまり顔を出さない園芸学部のある教員が参加し、葛飾橋に着いてからも止まらずにそのまま走り続けてしまったので皆も引きずられてそのまま走り続けてしまいました。従って、私はあっという間に引き離されて皆の姿が見えなくなってしまいました。私よりも年長者や、私よりも体重オーバーな人もいてマイペースでの練習をしましたが、私もマイペースで往復10km地点で引き返しました。皆は往復20km地点まで行って競走しながら帰ってきました。私はこのままの体調では、29日の横浜駅伝のアンカー区間(8.195km)を走るのは厳しそうです。

今日の練習会には、平成3年(1991年)に千葉大学走友会の設立を呼びかけた当時の人事課長O氏が久し振りに参加したので、懇親会が盛り上がりました。O氏はその後全国の文部科学省関係の機関で幹部職員として勤務し、この3月で60才で定年退職し、東京のある株式会社に就職されたとのこと。文科省所管の公益法人ではないので、いわゆる天下りとは違いますが、現役時代のキャリアが生かせる職場のようです。政治家やメディアの中には官僚の天下りを諸悪の根源のように批判する風潮があり、一部は批判に該当するような実態もあるのでしょうが、年金受給年齢が65才なのに60才で強制的に定年退職させる制度にも大きな問題があるように感じます。人の能力には個人差があるのですから、一定の年齢で自動的に首を切るのは、アメリカでは性差別と同じように年齢による差別として憲法違反になる筈です。単なる天下りの受け皿としての無駄な公益法人の見直しと同時に、年齢による強制的定年退職制度についても見直す必要があるように思います。

幹事長が配布した総会資料には、平成3年12月23日付けの文教ニュースのコピーがありました。千葉大学走友会設立総会の看板の下で、当時の学長、事務局長と並んで会員の教職員が写っている1枚の写真が載っていました。今と比べると、皆ずい分若かったなあという印象です。私が走友会の初代会長で、10年間やりました。今年の12月で設立20周年を迎えるので、何か記念事業をやることになる筈です。