2011年4月11日月曜日

1966年(昭和41年)に卒業した空手部の昔の仲間と久し振りに会って、7名で西千葉キャンパスの中を歩いて桜を見たり、道場の中を覗いたりし、その後駅裏のすし屋で一杯やりながら旧交を温めました。学生時代は工学部や理学部や園芸学部生でした。浪人して入学した者もいますので、年齢的には67才~69才で、一応社会での現役としての仕事は終わった男達です。中には工学部電気科卒で、福島原発の建設に関わった人もいました。昔の話に花が咲きました。過去を振り返って、お互いにあの時はそうだったのかと今になって発見することも多々あり、楽しいひと時でした。

昨日、貸倉庫を整理していたら、古い写真と一緒にアメリカの私の空手の道場に1970年初め頃来ていた弟子から送ってきたクリスマスカードの代わりの印刷物が出てきました。いいなあと思ったので捨てずにとってあったものです。
"There is no quiet place in the white man's cities.  No place to hear the leaves of spring or the rustle of insect wings.  But perhaps because I am savage and do not understand, the clatter seems to insult the ears.  And what is there to life if a man cannot hear the lovely cry of the whippoorwill or the auguments of the frogs around the pond at night?" 
「白人の町には静かな場所がありません。春の葉のささやきや、虫たちの羽を擦る音を聴ける所はありません。もしかしたら私が野蛮人でわからないから、町の騒音が耳を汚しているように思えるだけかもしれませんが。でも、もし人が夜鷹の愛らしい鳴き声や夜の池の周りでの蛙の口論を聴くことができないとしたら、人生には何があるのでしょう。」

その下には次のような説明がありました。
This is a portion of a letter written by a northwest indian to the president 121 years ago.  The author despaired for the quality of his environment and the quality of life of his people.  Let us take this opportunity to echo his concern.  For, as the one diminishes, so does the other.
「これは北西部のインディアンが121年前に当時のアメリカ大統領に書いた手紙の一部です。書いた人は、彼の住んでいるところの環境の質や彼の部族の生活の質の悪化に絶望を表しています。この機会に、彼の心配に私たちも共鳴しましょう。何故なら、一人が滅びれば、他も滅びるのですから。」

そして、次のように署名されていました。
Our best wishes for the new year.  We miss you and hope that we can return soon.
Joann, Jay, Brian and Steve HoneyCutt
「新年が良い年でありますように。皆さんに会えなくて淋しく思っています。近く道場に戻りたいと思っています。ジョアン、ジェイ、ブライアンとスティーブ・ハニーカット」

ハニーカットさんはお母さん(Joann)、小学生の息子二人(JayとBrian)、お父さん(Steve)の家族全員で道場に来ていました。その後の交流はありませんのでどうしているかわかりませんが、当時6~7才だった息子達は今では40代半ばになっている筈です。