2011年5月18日水曜日

5月16日に振り込まれた3名の方(18回目、8回目、7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は128,020円、延べ293人からの合計額は3,072,585円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市橋君の人生において、本山先生との出会いは最大の宝であると私は思います。先生御身大切になさって下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市橋さん、こんにちは。今日も大阪は暑いですよ。そちらはどうですか。体、元気にされてますか。私は病院の待合の時間を利用して郵便局に来ました。病院から歩いて2~3分の所に郵便局あります。私、毎日体調よくなくてつらいですけど、市橋さんも頑張ってらっしゃることだから、私も頑張ります。これで7回目かな?8回目かな?7回目と思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東北在住のある支援者からは下記のようなすてきなメールのお便りをいただきました。ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
-----
以前支援金を送ってから、だいぶ日が空いてしまいましたがその間にも色々な事がありましたね。市橋さんの手記が出版され、当時の細かな描写や、線の一本一本まで丁寧に書かれた本人の直筆画、興味深く拝見しました。今は公判の日程が決まり、万全の体制でその日を向かえるべく、市橋さんも弁護団の先生方も色々と準備をしている事と思います。
それから、本山先生の駅伝に向けての走り込みは私にも励みになりました。研究している内容も、一読しただけでは難しいですが、日々の生活の中においての農薬の影響、役割を考える、良いきっかけになっています。
市橋さんが適正な裁判を受けられるよう、いつも願っています。私も公判が結審するまで、また支援金を送りたいと思います。


また、今は3月11日に発生した震災で被災された方々の為に、自分が出来る事をしています。私も大切な親類を三人亡くしました。流された家の跡地を訪れて、前向きに生きている近所の人達を目の当たりにしました。生前の親類を知る方々からは「大変だったね、残念だね」と逆に励まされ、思わず涙が込み上げました。最寄りの駅に入ってみると、崩れた天井や割れたガラスはそのまま、少し前の平和な日本ではこんな危ない状態で放っておくのは考えられません。そこまで周りが追い付いていないのだとつくづく感じました。自宅で避難をしている人達には支援物資が届かないと聞き、少しですが渡してきたり、友人の会社が炊き出しをすると言うので協力したりしました。少しずつでも長期的な支援が必要だと痛感しています。

市橋さんにも、長期に渡り継続して支援してくださる方がたくさんいますね。皆さん、市橋さんに更正の可能性を感じているのだと思います。私は、今回の震災で大事な人を突然失くす悲しみを知りました。リンゼイさんの命を身勝手に奪ってしまった市橋さんは、やっぱり大変な事をしてしまったのだと思います。それでも、見守っている人がたくさんいることを忘れずに、強く生きてほしいです。
-----
いつも先生のアクティブさには元気をもらっています。これから暑くなりますが、ご自愛下さい。
-----
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日の講演の準備はできました。いつも、全体の構想を練って、話に沿ってスライドを配置して、伝えたいメッセージは何かを絞って、与えられた時間内に収まるように時間配分を調整して、スライドの内容にミスがないか何回も見直して、準備をします。内容的に微妙なところは、独断的にならないように信頼のおける元学生や友人に見せて意見をもらって直すこともあります。

ジョギングも時間の許す範囲でやっているので、心身とも絶好調です。来週の秋田県への列車の切符も買ってきましたし、宿泊するホテルの予約もしました。