2011年8月31日水曜日

今日は千葉運転免許センターに行って国際運転免許証を申請・取得してきました。アメリカの空港に到着したら、友人が借りておいてくれるレンタカーをすぐ運転して宿泊予定のモーテルに行きます。ノースカロライナ州は南部の田舎で公共交通機関がほとんど発達していないので、自分で車を運転しないと足がないのと同じで不便です。向こうは日本と逆で運転席が左側にあって、車は道路の右側車線を走行しますので、しばらく慣れるまでは慎重に運転します。毎年のことなのでこの頃は頭の中をパッと切り替えられるようになりましたが、それでも交差点で右折や左折をする時は注意をしないと習慣的に反対側の車線に入って逆走してしまいます。

その後で、千葉拘置所に行って市橋君に接見してきました。午後の時間帯だったので昼寝をしていたのか、頭は長い縮れ毛が鳥の巣みたいでした。今日は5回目の接見でしたが、彼の方から私の言葉を遮る(さえぎる)くらい積極的に話してくれました。健康状態も問題ないとのことでした。前回も今回も、もう涙はこぼれませんでした。

江原啓之著の3冊の本は、先週私が言ったことは無視して、先入観念なしに読むように伝えました。無期懲役囚が著した「ドキュメント長期刑務所」は今日の接見後に差し入れの手続きをすることを伝えました(実際にそうしました)。差し入れ申込書には、私の名前の後に(〇〇/〇〇県)と支援者のお名前と県名を追加しました。東北大震災の写真集は支援者が新しいのを購入して私宛に送って下さることになっているので、届いたら差し入れすることを伝えました。このブログは、区切りを考えて明日にでもプリントして郵送で差し入れしようと思っているからと伝えました。

お花の差し入れについては、遠くにお住いの支援者が差し入れしてほしいと言ってお金を送って下さることになっているので、来週私から差し入れするからと伝えました。最初に花を差し入れて下さった方が一緒に差し入れた花瓶がひとつしかありませんので、来週は他の方は花の差し入れは重ならないように控えていただけると幸いです。

本を差し入れたり、手紙を市橋君宛に書いて下さった支援者の中には、家族や周りの人に内緒でしている方もおられるので、礼状を差し上げる時は迷惑になることもあるので慎重にと言っておきました。私が差し入れた支援者一覧表でどなたが支援者かは判断できるし、今まで差し入れをして下さった方のお名前はちゃんと控えてありますと言っていました。ただ、礼状を書いたり、支援者の接見は受けてもいいのですが、何を話していいかわからないので・・・と言っていました。弁護団が控訴審の準備をして下さっている時に、自分が何かを言ってそれが外に広がって足を引っ張るようなことにならないようにしたいと言っていました。私に対して言うことも(内容によってでしょうが)、弁護団の足を引っ張ることにならないように、できるだけ私の胸の中だけに収めておいて下さいとも言っていました。従って当分の間は支援者に礼状を書くことも、支援者の接見を受けることもないと思います。私がブログに書けば支援者全員に伝わるよと言ったら、ありがとうございますという感謝の気持ちを伝えていただければと言っていました。

独居房ではラジオのニュースと言っても音楽を流していることもあって外のことはわからないので、文字の書いてあるものを差し入れていただけるのは大変ありがたいと言っていました。市橋君は未決囚ですから、図書室を利用したりテレビを観る機会もあると言われる既決囚とは違う状態にあるのでしょう。

今日も菅野弁護士と山本弁護士が接見に来られたので、宅下げをお願いしましたと言っていましたので、いずれ宅下げした本をどこかの図書館に寄付をするなり、処分方法については皆さんと相談をするからと伝えました。これからもいろいろな本が差し入れされるだろうけど、社会から隔離されている君にとっては本だけが外との接点であり、勉強できる方法なのだから、読んだ後で感想や感じたことのメモを残すようにしたら、思考力や表現力のトレーニングにもなるのではないかと勧めてみましたが、これに対しては無言でした。というか、隣に座っている刑務官にすでに8分が過ぎたと言われていたので、考える時間がなかったのかもしれません。今日の刑務官は親切で、私の最後の言葉を黙って言わせてくれました。

私は来週もう1回接見に来るけど、9月11日~10月5日はアメリカに出かけるので来れないことを伝えて接見室を出たら、頭を深く下げて見送ってくれました。外で普通に生活している人間でも、ちょっとしたことで気分が沈んだり明るくなったりを繰り返しますが、市橋君のような立場にあれば、一人で考えている中に絶望的に落ち込むこともあるのでしょうが、今日見た市橋君は自分から話をしてくれたので、前回よりもさらに元気を取り戻していると感じました。