2011年8月24日水曜日

8月22日に振り込まれた方(19回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は226,000円、延べ384人からの合計額は3,743,428円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
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19回目の送金をさせて頂きます。よろしくお願い致します。少しずつ秋が近づき、気温が下がってきましたね。くれぐれも体調にお気をつけてお過ごしください。
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今日は千葉拘置所を午後一番に訪ねて市橋君に接見してきました。一目見て、先週よりさらに元気を取り戻していることがわかりました。健康状態はと訊いたら、大丈夫ですと答えました。テレビ、ラジオ、新聞はあるのかと訊いたら、テレビと新聞はないけど、ラジオは一日の中の決まった時間だけ(多分ニュースの時間?)聴くことができますと言いました。支援者の一人が東日本大震災の写真集を持っているので差し入れしようかと言っていたよと言ったら、以前弁護団から大震災があったということは聞きましたが、どんな被害の様子だったのかはわかりませんと言ったので、死者・行方不明者が2万人を超える大変な被害だったことを伝えました。また、それならその支援者に写真集を差し入れしてくれるようにお願いしておくからと伝えました。

差し入れされた本の中で、江原啓之という著者の3冊について、本の内容がいいから支援者が選んでくれたのだろうけど、著者自身はテレビに出演して幽霊が見えるとかインチキくさい発言をして、現在はテレビから追放されているという情報を送ってくれた人がいることを伝えました。宗教的な本の月刊誌「clay」と天理教関係の書籍については、もし差し入れがされたら自分で判断して読むように伝えました。服役経験者が書いた2冊の本「ドキュメント長期刑務所」と「囚人狂時代」については、支援者から今の状態の市橋君にとってプラスになるかマイナスになるか判断してほしいと言って私宛に届いているけど、一応差し入れするからこれも自分で判断して読むようにと伝えました。
昨年の2月から始まったこのブログについては、初めの頃の分は弁護団がプリントして差し入れして下さったようですが、最近の分は差し入れされていない模様でしたので、もう一度全部プリントして郵送で差し入れするからと言ってきました。支援者から市橋君へのメッセージが載せてありますので、市橋君があらためて支援者の皆様から寄せられたお気持ちに接することができると思います。

弁護団は今も大体週に1回は接見に来てくれていて、今日の午前中は山本弁護士が来て下さったと言っていました。今日も宅下げをお願いしたとのことでしたが、いずれ菅野弁護士の事務所も保管場所の問題がでてくるだろうから、今度弁護団と私と支援者の一部とで相談して古本屋などで処分して東北大震災の被害者に支援金として送ってはどうかと考えていると言ったら、お願いしますと答えていました。読みたい本や差し入れしてほしいものがあれば遠慮なく言ってほしいと伝えてほしいと支援者が言っていたよと言ったら、十分です、ありませんと答えました。独居房の中にカレンダーはあるのかと訊いたら、6ケ月分を1枚に印刷したものが壁に貼ってあるので不要ですとのことでした。

私は9月11日から10月5日まで3週間ちょっとアメリカに出かけて接見に来れないので、代わりに東京在住の女性でご夫婦で熱心に支援して下さっている方がおられるので接見に来てもらえないかお願いしてみようかと思っているのだがと言ったら、先生はその方にお会いしたことがありますかと言ったきり(会ってよく知っている人だと答えましたが)、困ったような顔をして返事がありませんでした。まだ弁護団と私以外には会いたくない、会う自信がないのだと感じましたので、この話はなかったことにしました。
支援者にブログで伝えたいことはないかと訊いたら、皆さまのお蔭で弁護団の先生方に弁護していただいています、とお礼を言っていました。支援金(昨日の時点で延べ383人からの合計3,733,428円)はこれまでの弁護活動の実費と控訴審の弁護料として使っていただくために、弁護団に提供したことを伝えました。

あっという間に8分は過ぎ、横に座っている刑務官のストップウオッチのベルが鳴ったので、また来るからなと言って席を立ったら、私がこちら側の小部屋のドアを閉めて去るまで立って見送ってくれました。だんだん市橋君らしさを取り戻してきましたので、今日は、控訴審でたとえ再び無期懲役になったとしても、大丈夫市橋君は前向きに生きて行かれるという印象を受けました。